城繁幸
@joshigeyuki

メルマガ『サラリーマン・キャリアナビ』より

人事制度で解く 「織田信長の天下布武」

今回のお題は「織田信長の人事制度」。尾張の一角から台頭し、天下統一への道筋をつけた異端児・信長。彼の人事を見ていくと、彼の独特の価値観が深くかかわっているのが良く分かります。

 

実は叩き上げだった信長

戦国大名と言っても、実はいくつかのタイプに分類できる。

1.室町幕府の守護大名

足利将軍家に任じられた正統な大名家。武田、今川、朝倉、九州の島津といった大名家がこれにあたる。特徴として、他の大名家をバカにして、家柄を誇る傾向がある。そして当然ながら、自らの権威の源泉である将軍家への忠誠もあつい。

2.守護代が成りあがった大名

守護大名は偉いので、日常業務は部下に丸投げする人が多かった。最初の内はそれでもよかったが、権威の源泉である室町幕府がヨロヨロになってくるにつれ、部下も「なんでこんな毎日食っちゃ寝ばかりしている人に仕えなきゃならんのだ」と思うようになるのは当然で、やがて日本中で部下達が領地を乗っ取って独立するようになる。三好、長宗我部、長尾(後の上杉氏)、そして織田などが代表。

3.よくわからない人が国を取ってしまった大名

室町も末期になるとなんでもありの時代になり、守護代ですらより下の人達に乗っ取られるようになった。守護代の側近くらいならまだマシで、中には出自が良く分からない大名も多い。小田原の北条早雲と美濃の斎藤道三が有名だが、実は徳川家もここに該当する。

戦国大名にも保守的な人から革新的なタイプまでいろいろあるが、だいたい上記の分類で上に行くほど保守的で年功序列を重んじ、下に行くほど革新的で形式にこだわらないタイプが多い。当然と言えば当然で、己の実力で勝ち上がった人ほど、他人の権威はあてにしていないということだろう。

ところで、上で織田家は守護代出身の2番目グループと書いたが、信長についてはここにあてはまるかは微妙なところ。実は織田家といっても色々あって、信長はその中の清州織田家という家の、さらに家老の家柄にすぎないのだ。要するに守護の部下の部下の部下くらいの家柄にあたる。

しかもそんな小さい家ですらすんなり世襲できず、兄弟と血みどろの争いを経た上でようやく当主に就いている(最終的には弟を殺害)。要するに、信長という人は世襲というよりほとんどゼロから実力で叩き上げた人で、タイプとしては限りなく3番に近いということだ。

ところで、信長の外交関係をみると、面白い事実が見えてくる。義父である斎藤道三、唯一の盟友である徳川家康、初期の同盟者であり妹の嫁ぎ先である浅井長政等、仲の良い大名はみんな3番グループに属する。一方、武田、今川、朝倉といった守護大名とはのきなみ敵対関係にある。恐らくは同じように実力で這いあがってきた人には親近感を抱く半面、権威を世襲しているような人には一種のコンプレックスを抱いていたのではないか。

1 2 3 4
城繁幸
人事コンサルティング「Joe's Labo」代表取締役。1973年生まれ。東京大学法学部卒業後、富士通入社。2004年独立。人事制度、採用等の各種雇用問題において、「若者の視点」を取り入れたユニークな意見を各種メディアで発信中。代表作『若者はなぜ3年で辞めるのか?』『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか-アウトサイダーの時代』『7割は課長にさえなれません 終身雇用の幻想』等。

その他の記事

仮想通貨最先端のケニア(高城剛)
『悲劇の誕生』ニーチェ著(茂木健一郎)
食欲の秋に挑むファスティング(高城剛)
世界的な景気減速見込みで訪れる「半世紀の冬」(やまもといちろう)
「おじさん」であることと社会での関わり方の問題(やまもといちろう)
アマゾンの奥地にしかない「知覚の扉を開く鍵」(高城剛)
「自己表現」は「表現」ではない(岩崎夏海)
ぼくがキガシラペンギンに出会った場所(川端裕人)
コロナ後で勝ち負け鮮明になる不動産市況(やまもといちろう)
それなりに平和だった夏がゆっくり終わろうとしているのを実感する時(高城剛)
ピダハンから考える信仰における「ほんとう」について(甲野善紀)
“今、見えているもの”が信じられなくなる話(本田雅一)
イノベーションが「IT」で起きる時代は終わった(高城剛)
ネットは「才能のない人」でも輝けるツールではありません!(宇野常寛)
可視化されているネットでの珍説や陰謀論に対するエトセトラ(やまもといちろう)
城繁幸のメールマガジン
「『サラリーマン・キャリアナビ』★出世と喧嘩の正しい作法」

[料金(税込)] 550円(税込)/ 月
[発行周期] 月2回配信(第2第4金曜日配信予定)

ページのトップへ