西田宗千佳×小寺信良対談 その5(最終回)

教育にITを持ち込むということ

学ぶチャンスと成果、そして報酬

小寺 あとはやっぱり問題は、学校にそういうことの指導者がいない、ということが一番大きなことなんだけど……。これも実はITである程度解決できる問題だと思うんだけどね。たとえばね、河合塾とかさ。塾のほうがよっぽどIT化が進んでるじゃないですか。

西田 ええ。

小寺 で、教え方がうまいスーパー先生がいて、その授業を全国ネットでやってるわけでしょ。学校でなんでそれできないの、って。たとえば西田さんとか俺みたいな人が、先生達に「今日はこのiPadを使ってブレーンストーミングの練習やりまーす」みたいなことをやると。それをなんで全国ネットでできないの? ってことなんですよね。

西田 そうそう。それでね。これは、早稲田の生徒に呼ばれて、研究授業を見に行った時のことなんですけど、彼らが何をやってたかというと、みんなでプレゼンの勉強をしましょうとなった時に、プレゼンをする時にAppleTVを置いて、みんなのプレゼンをテレビに写しながら、じゃ次の人のプレゼンですって切り替えながら見せたんですよね。

そうすると、「前の人のプレゼンはこうでしたね。じゃ、もう一回戻してみましょう」って切り替えて、「この人のプレゼンはこうでした」って、後からみんなで反省会をやってました。その時にやっぱり重要なのは、みんなで見るとか、みんなで話すとか、そういうところなんだなと。それのためのソースっていうのは、別にそこにいる先生がやらなくても、なんでもいいのかな、っていう。

小寺 なるほど。なんかそれは、学びのかたちの再発見だよね。

西田 うん。

小寺 グループラーニングをやらせると、何もしなくても生徒達で勝手にどんどん走り出してっちゃう時があるじゃない? 自分で学んでいくエンジンみたいなところというのをうまくこうやって焚きつけていく。方向性が間違ってたら誰かが外側から叩けばよくて。それがITでもいいと思うんですよ。

でも、ITでやることに不信感を持ってる先生というのは、結局子どもたちを食いつかせるのはいつも目新しいものであって、目新しいもの、ニンジンを鼻面にぶら下げて走る馬みたいに、ずっと新しいものをやっていき続けなきゃいけないだけでしょ、ってことになっちゃう。ITが特別じゃないという風に考えがちなんですよね。

西田 そういう意味では、紙にできないことがやっとできはじめた、という。沖縄で感じたのが、いわゆる知的障害の子に数字を教える、っていう授業で。iPadで数字があるアプリを動かして。それは別に、ああそうだね、って感じなんですけど、その時に僕が面白いと思ったのは、同じiPadの中にゲームを入れることを許可してるんですよね。というよりむしろ「君が面白いと思ったゲームって何?」っていって、先生が率先して入れてるんですね。

で、ある子は地図が好きだからゲームの代わりにGoogle Mapを使うわけですよ。で、授業がたとえば45分間だとして、最初の30分はとにかく頑張って数字を覚えよう、とやって、後半15分は頑張ったから好きなことをしていいよ、って言って、同じ端末の中で自分でアプリを探して切り替えたんですよ。

で、なんでそうなってるのか、って話を先生に聞いたらば、結果的に今まで問題になってたのは、勉強を教えることじゃなくて、きちんと努力をすれば報酬が待ってる、ってことを教えることだった。

それは、彼らがある程度自立して、たとえば作業所とかに入った時に、一生懸命作業をするのは覚えられるんですよ。で、覚えた後に、じゃそれをなぜやってるか、というのを彼らはわからない可能性がある。普通の人にとっては、一生懸命努力したら金銭的なものであったり、評価であったり、報酬が存在するから、とういうのがわかる。でもその子たちに評価と報酬という考え方を教えるには、同じものの中に同居してる、というのがいいんですよ。

小寺 ああ、なるほどね。

西田 さらに言うと、今まで紙でやってた時って、勉強してる最中にそれを簡単に放り投げるんですって。というのは、そのあとに報酬があるってわからないから。でも、同じタブレット、iPadの上でやると、この中に自分の楽しみなものが入ってるってわかるんで、投げない。

小寺 なるほど。大事にするんだ。

西田 大事にする。もちろん、これが数年経ってくると、iPadを授業中に投げちゃう子も出てくるだろうと。でも多分それは、自分が本当にやりたいことと、やんなきゃいけないことがセットになってる、という特性がある以上、紙よりもはるかにいいだろう、と考えたんですね。だから、その先生はもう去年から、子どもに数を教えるのに紙は一切使ってない。全部アプリで。

小寺 なるほど。いいね、そこは自由でいいね。あ、そこで僕にも成果はあって。

小学二年生の一番のハードルは、九九を覚えることなんですけど、うちの子はずっとiPadのアプリで九九を覚えていったんですよ。それとは別に、学校で使う紙の短冊をめくるヤツね、これを一日一回やりなさい、と宿題が出るわけなんです。

それはそれでしょうがないからやらせるんだけど、iPadのアプリだと飽きないんですよ。暇な時にずっとやってたので。勉強って意識はあんまりなくやってたんですね。

iPad自体も、その中にテレビアプリもあるし、ゲームも『太鼓の達人』とか入ってるし、そういうのを自分で切り替えながら──ゲームフォルダの中のひとつに九九があるわけですよ。で、学校でやってるものがゲームのような形になってそこに存在して、わかる喜びみたいなものが味わえるので、ちょっと高度な知育遊具みたいになってるのかもしれない。

西田 たしかに。

小寺 よく知育遊具というのは、幼稚園児とか三歳児ぐらいの子で、数字を合わせるとか、そういうことを指すけど、考えようによってはあんなメソッドでずーっと高学年まで、ゲームっぽくできるんじゃないかという気がします。

たとえばね、『Angry Birds』とかも、発射角度とかがちゃんと数値入力できて、鳥の重量とかもちゃんとでて、跳ね返り係数とかもちゃんとあって。で、Gの値とかも変えられて、「ここにちゃんと当てて崩すには、どういう計算をすればいいか」って高校生ぐらいにやらせたら、すっごい面白いと思う。

西田 ああ、たしかにそうですね。

小寺 高校の物理って、そういうことじゃないですか。

西田 ニュートン力学の勉強って、頭の中で描ける奴にとっては超面白いんだけど、あれ描けない瞬間に、「何やってんだこれ……」っていう話になるから(笑)。

小寺 現状の『Angry Birds』は、要はトライアンドエラーでやってるだけじゃない? 万人受けのためにはそれもアリなんだけど、自分が計算した結果とシミュレーションの結果が合う快感っていうのは、ひとつの教育の形にできるんじゃないかと思うんですよね。

初等教育だけじゃなくて、高等教育の分野も、紙の教材に限界が来ているんじゃないかと思うと、教育って産業としてもっといろんな人にチャンスがあっていいんじゃないかと思うんですよ。

 

<これまでの記事>
第一回の「ノマド」ってなんであんなに叩かれてんの?はこちらから
第二回のIT野郎が考える「節電」はこちらから
第三回の人は何をもってその商品を選ぶのかはこちらから
第四回のPCがいらなくなる世界はこちらから

 

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