古今東西のジャズの名盤の中から、筆者が独断と偏見で選んでご紹介する「馬鹿ジャズ名盤講座」、第5回目である。
これまでの記事はこちら。
第1回「彼女を部屋に連れ込んでどうにかしたい時に聴きたいジャズアルバム」
第2回「パチンコで5万円負けてしまった後に聴きたいジャズアルバム」
第3回「殺人事件の容疑者になってしまった時に聴きたいジャズアルバム」
第4回「中島みゆきしか聴きたくないときに聴きたいジャズアルバム」
京成線を愛でながら聴きたい
ジャズアルバム
まず、本稿に対する、全てのテツの方々(乗りテツ、撮りテツ、模型テツ等々)からのご意見、苦情などは一切受け付けない事を先に宣言しておく。
私の住んでいる家のごく近くを、京成線という電車が走っている。
京成の「京」は東京の「京」、「成」は成田の「成」。東京と成田を結ぶ鉄道が、京成線である。
私はこの京成線を心の底から愛している。
まれに私は「テツ」、つまり鉄道オタクなのかと問われる事があるが、その答えにはいつも窮する。テツであるような気もするし、かといって本気のテツの方々に比べればその知識、造詣共に浅薄はなはだしいからだ。
私は京成線のみに特化した「テツ」である。それ以外にはさほど強い興味もない。だがしかし、京成線には強い愛着と興味を持っている。そういった塩梅だ。
私の家から少し離れた所を、JR総武線も走っている。まずはこの総武線と京成線を比べる事で、京成線の魅力に迫ろう。
総武線は、私から言わせれば非常に派手である。豪奢にして華美。東京の表舞台を東から西へと横断するのが総武線である。ネオンライトに次ぐネオンライト。そこを颯爽と駆け抜けていく。
それに比べて京成線は、裏街道を行く。駅の周辺は閑散とさびれており、灯りもまばらで、行きかう人々の足取りも心なしか緩やかに感じられる。
女、として見るならば、ばっちりとしたメーキャップに足元はハイヒールできめた都会的な女がJRであり、化粧っ気もそこそこに足元は履きなれたスニーカーという風情が京成線だ。
そう、京成線の魅力の一つはその素朴さと、その裏に隠れた滋味深さなのである。
この京成線を眺めながら、そして愛でながら聴きたいジャズアルバムを、本日は紹介していきたい。
なお、それらのアルバムを再生するメディアであるが、iPodやウォークマンやスマートフォンなど現在は様々なメディアがあるだろうが、私が最も推したいのは「脳内iPod」である。何度も何度もそのアルバムを聴き続ける事で、曲の細部に至るまで脳内で再生が可能になる。イヤフォンも何もしていないのに、頭の中でアルバムが再生される。これが最強である。
上品なブルースフィーリング
レイ・ブライアントの『Ray Bryant Trio』
私の好きなピアニストの一人にレイ・ブライアントというピアニストがいる。
決して派手なタイプのピアニストではない。しかし、確かな技術と卓越したセンス、そして隠しても隠し切れないブルースフィーリングで数々の聴衆を魅了した、名ピアニストである。
彼のアルバムを一枚、と言われればこれは非常に困る。このレイ・ブライアント、良い意味で実に当たり外れの少ないピアニストであるのだ。どのアルバムを聴いても非常に美しい。そして、土臭いアーシーさを常に兼ね備えている。上品な土臭さ、というのがこのレイ・ブライアントを言い表すのに適切な言葉である。
まだレイ・ブライアントのアルバムを一枚も聴いた事が無い人に向けて一枚薦めるとなれば、ここでは『Ray Bryant Trio』を推したい。
『Ray Bryant Trio』/Ray Bryant
<現在の嫌煙ブームに真っ向からケンカを売るジャケット>
1曲目の「Golden Earrings」は、このアルバムの印象を決定づける名演だ。
そこはかとなく漂う哀愁の中で、センチメンタルに堕さずに淡々と奏でられるピアノの音色の美しさに舌を巻く。
ベースのアイク・アイザックの正確なピッチ(音程)とリズムに支えられたコントラバスの音色も聴いていて非常に心地いい。
個人的に好きなのは、5曲目に収録されている25歳の若さで夭折した天才トランぺッター、クリフォード・ブラウンの書いた「Daahoud」である。ここでは溌剌とした、いかにも「ジャズピアニスト」といった調子のレイ・ブライアントの演奏を堪能する事が出来る。
彼の美学はここでも崩れない。ビ・バップの名曲を演奏しながらも、あくまでも美しく、熱くなり過ぎない抑制の効いた演奏である。
ブルース・ピアニスト、オーティス・スパンの
『The Blues Is Where It's at』
レイ・ブライアントの特徴を表す時にブルースという言葉を用いたが、ブルースとは音楽のジャンルの一つである。ジャズはもちろんのこと、現在のヒップホップやR&Bにも強く影響を及ぼしている、いわゆるルーツミュージックである。
ブルースとは何か、という事を考えた時に、落語家である故・立川談志氏の言葉、「落語とは人間の業(ごう)の肯定である」というものが私の頭をよぎる。ブルースも、そしてジャズもまた「人間の業の肯定」であるのかもしれない、そんな風に思うのである。
数々の素晴らしいブルース・ミュージシャンがいるが、ここではオーティス・スパンというピアニスト兼ボーカリストのアルバムを紹介したい。これもまた京成線を愛でながら聴くのにはうってつけな1枚であるからだ。
とりわけ好きなのは、6曲目の「Tain't Nobody's Bizness If I Do」。共演のサミー・ローホーンのギタープレイも冴えに冴えている。
『The Blues Is Where It's at』/Otis Spann
あらためて京成線の魅力に迫る
これらのアルバムを、できれば脳内で再生しながら京成線を眺めてみてほしい。
時刻は夕方以降、やはり空が暗くなってからの方が趣深い。
この時間の京成線というのは、上りの電車と下りの電車で随分と様子が違うのがすぐに見てわかる。圧倒的に下り電車(東京から千葉方面に向かう電車)の方が乗客が多く、上り電車(千葉方面から東京に向かう電車)の方が少ない。
下り電車に目を向けてみよう。乗っている客の大半は昼に東京で働き、千葉にある家に帰る、というシチュエーションの客である。逆のパターン(千葉で働き東京に帰る)に比べてこちらの方が圧倒的に多いのは、家賃や地価の問題と大きく関係している。やはり千葉の方が住宅に関わる費用は全体的に安く済むケースが多い。仕事としての給料は、東京の方が高い事も多い。いわゆる「ドーナツ化現象」である。
その際に、彼らは職場近くの東京に狭い家を借りて住むよりは、少々郊外になっても構わないから一戸建てなどの家を欲した人々である、という想像がつく。
ここで考える。
彼らが欲したのは単なる「一戸建ての家」ではないのだ。それはあくまでも現実的な「物質」であり、欲したもの、また願ったものはその背後にある「家庭」という共同幻想なのだ、と。
家族とは何なのだろう。家庭とは何なのだろう、という思索が私の中で始まる。
眼前を走り去っていく京成線に目を向ける。車窓の中に、窓にもたれかかっている疲れたサラリーマンを見る。一日の疲労が顔色に窺えるものの、その表情にはどこか安堵した色もある。それはおそらく自らが欲した「家庭」に帰っていくからだ。そこは自らの安らぎの場所であり、心を許せる場所であるのだ。
それを眺めながら缶ビールをちびりと呑る。いつも以上にまろやかな苦みが私の口腔を潤す。
上り電車に目を向けると、閑散とした車内が見える。私もこれまでに幾度となく列車の旅をした事があるが、夕方過ぎの閑散とした電車内という雰囲気ほどに旅情を掻き立てるものはない。寂しさと侘しさ。それを暖かく包み込む京成線という一種の「母性」。
上り電車には稀に化粧の濃い派手な格好の若い女なども見受けられる。上野の歓楽街のホステスかも知れない。そんな事を考える。
元々は千葉のヤンキー少女だったのかも知れない。若い頃に付き合った男との間に子供が出来て母親になったは良いものの、父親になるべきその男は放蕩し遊び歩いて家には金を入れない。いつの間にか男は家には帰らなくなり、母一人、子一人の生活が始まった。経済的にも困窮してきた。しかし自分は腕の中に抱えたこの子を育てると決めたのだ。女は、夜の街で働くことを決意した。
そんなストーリーを考えながら缶チューハイをぐびり。いつもより少し辛く感じるのは、そのチューハイが辛口だからではない。
京成線を愛でるという行為の最大の滋味は、こうした無限に繰り広げられる様々な物語の享受なのである。
生きるという事はものすごくかっこ悪い事だ。そしてみっともない事だ。
失敗を繰り返し、誤解を繰り返す。
人を傷つけ、傷つけられる。
赦し、赦されていく。
そうして生きる人間が、どうしようもなく愛おしい。かっこ悪くて、みっともない人間ほど、優しくて、切ない。
女の元にはいつか父親から手紙が届くかもしれない。赦されない、赦す事は出来ない事は知っていて、なおも再び邂逅する「家族」の絵。
ブルースだなあ。
『Ray Bryant Trio』/Ray Bryant
リリース:1957年
1.Golden Earrings
2.Angel Eyes
3.Blues Changes
4.Splittin'
5.Django
6.The Thrill is Gone
7.Daahoud
8.Sonar
The Blues Is Where It's at/Otis Spann
リリース:1966年
1.Popcorn Man
2.Brand New House
3.Nobody Knows Chicago Like I Do
4.Steel Mill Blues
5.Down on Sarah Street
6.T'Aint Nobody's Biziness If I Do
7.Chicago Blues
8.My Home Is on the Delta
9.Spann Blues
(執筆者プロフィール)
福島剛/ジャズピアニスト
1979年東京都出身。青春時代のすべてを柔道に捧げた後、京都府立大学在学中の20歳の頃よりピアノを始める。故・市川修氏に師事。2006年より「ボク、ピアノ弾けます」という嘘とハッタリによりプロの音楽家となる。プロとしての初めての仕事は故・ジョニー大倉氏のバンド。07年、活動の拠点を地元、東京江戸川区に移す。各地でのライブ、レコーディング、レッスン、プロ野球(広島カープ)観戦、魚釣り、飲酒などで多忙な日々を送る。
主なアルバム作品に映画作品のサウンドトラック『まだあくるよに』(2012年 ※iTunesの配信のみ)、お笑いジャズピアノトリオ「タケシーズ」による『みんなのジャズ』(2013)、初のソロピアノアルバム『Self Expression』(2015)がある。座右の銘は「ダイジョーブ」。
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