スイッチが入ってしまった
リアルファイトの世界の人達が、合気道や古流武術に対して抜き難く抱いているのだろう、キワモノ感や八百長感、そうした感じに対して思わず一人で熱くなっていた。
ふと、かつて古流武術の世界で、一人身体を張って奮闘されていた鹿島神流十八代国井道之師範の事が思い出された。その過激な主張は、例えば1960年10月2日号の『アサヒグラフ』の講道館柔道の特集と同じ号に、しかもその特集が終ってすぐの見開きのページに「これが古流だ」と題して載っている。
「二十一畳のタタミの上に、レッパクの気合いが流れる。ランランと輝く四つの目。体と体がぶつかりあう。一瞬、ひとつの体が宙に舞い、三間かなたへふっ飛ぶ。恐るべき気ハクである。東京滝野川の町道場、当主は国井道之と名乗る。鹿島神流のつかい手、十八代師範家にあたる。
五体これエネルギーのかたまり。水々しい力があふれ出る。六十七歳とはとうてい思えない。『剣は表であり、柔は裏である。陰陽一体の真理なり』、いいざま門弟の一人に『こいっ!』と大喝。素手で相手の木刀をたたき落とし、逆をとってねじ伏せる。一瞬の妙技である。門弟の口からうめき声がもれる。『人を斬らず、己も斬られず、必制即必生、これが神流の本義だ。武蔵は斬らんでもいいやつを斬った。下道だ。武は包容同化の精神のあらわれでなくてはいかん。』(中略)三十二歳、神に祈って奥義をきわめ、上京して道場を開いた。剣道を小馬鹿にし、柔道をせせら笑い、合気道を鼻先で片づける。柔道がオリンピックに登場しようが、国際スポーツとして発展しようが、どこ吹く風。門弟も口をそろえて『講道館柔道は、ぞうきんダンスだ』ときめつける。二十一畳の世界には、現代のにおいがない。古流のトリデ。武に魅せられた人たちである」
これでは講道館関係者からは、さぞ不評だったろうと思う。
まあ、国井師範の毒舌ぶりは、実際にその通りだったようで、何しろ私のところには、これら現代武道を激烈に論難された、とても公開出来ないような国井師範直筆の手紙や手紙のコピーが少なからずある。
その情熱は「型ばかりだ」と批判され、物笑いになりがちな古流武術の名誉を一人で背負って立たれていたプライドがあったからであろう。その国井師範の実力と業績には比すべくもないし、私自身の武術の実技は、もうかつて私が鹿島神流を学んだとはとても思えないほど変容している。しかし、国井師範が強く訴えられた「現に出来てこその武術だ!」という熱い思いは、私の中に深く深く響いており、試合を専らとする剣道・柔道や、受けが素直に受けをとることを基本的に要求されている合気道では、なかなか動きの質の探究がされにくくなっている事に対する残念な思いは常に心中に渦巻いている。それだけに、時として何かがキッカケでスイッチが入ってしまうと、その思いが溢れ出して止まらなくなってしまうのだろう。

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