津田大介
@tsuda

津田大介のメルマガ『メディアの現場』より

日本の脱原発は本当に可能なのか?――ドイツ10年の歩みに学ぶエネルギー政策

(※この記事は2012年11月7日に配信された記事です)

11月16日、野田佳彦首相が衆議院を解散したことを受け、12月の総選挙に向けて各党が次々に公約を公開しました。国民最大の関心事の一つだったエネルギー政策に関しては、少なくとも「脱原発依存」を掲げる政党がほとんどです。しかし、政治家が描く青写真どおりに脱原発が進むのかと、半信半疑の人もいるのではないでしょうか。そこで今回は、この10月、日本の議員団に随行してドイツの脱原発事情を取材した弊社の小嶋裕一(@mutevox)に、現地の取り組みについて語ってもらいました。合意形成、法整備、代替エネルギーの普及……。ドイツの軌跡をたどり、実現可能な脱原発のプロセスを探ります。

 

エネルギー政策は選挙の争点にならない?

津田:次の衆院選はエネルギー政策が争点になる――3.11の福島第一原発事故以来、メディアは折にふれてそう報道してきたし、僕たち国民の間にも暗黙の了解があったような気がします。しかし、いざ総選挙が決まって蓋を開けてみると、各党のエネルギー政策が千差万別になり、毎夜その話題でメディアが持ちきりになるといった状況は生まれていません。表現やいつまでに実現するのかという期間こそ違うものの、自民党と日本維新の会、国民新党以外は「脱原発」――少なくとも「脱原発依存」という点では一致しているという状況です。[*1] つまり、「脱原発」することそのものは争点ですらなく、日本の既定路線になりつつあるとも言えます。これからは原発の是非ではなく、いかに原発をゼロにするかを問うていかなければなりません。小嶋記者は10月にドイツへ行って、現地の脱原発や再生可能エネルギー推進への取り組みを目の当たりにしてきました。そのドイツ視察を振り返りながら、日本が抱えることになる課題を浮き彫りにできればと思うのですが、まずはどういう経緯でドイツへ行ったのか説明してもらえますか?

小嶋:つい先日「日本未来の党」への合流を発表した [*2] ばかりの小沢一郎前衆議院議員や森ゆう子参議院議員らが、10月に当時の「国民の生活が第一」の議員団を率いてドイツを訪問しました。[*3]「国民の生活は第一」はかねてより脱原発を政策の一丁目一番地としていたので、[*4] 脱原発先進国であるドイツの取り組みを視察しようとしたんですね。僕は記者として視察団に同行し、3日間に渡って現地からレポートをニコ生で中継しました。[*5]

津田:日本で「脱原発のモデル国」と言えば代名詞のようにドイツの名前が挙がりますが、実際、ヨーロッパではイタリア [*6] やスイス [*7]、デンマーク、[*8] オーストリア [*9] など、ほかにも数多くの脱原発先進国があります。その中でもドイツの脱原発はどのような違いがあるのでしょうか。

小嶋:1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに、欧州諸国では脱原発の機運が高まっていきました。各国がそれぞれに議論を続ける中、ドイツが政策として脱原発と再生可能エネルギーの推進へ舵を切ったのは2000年代初頭のことです。たった10年前までドイツは日本と同じく化石燃料と原発に頼ったエネルギー構成だったんですよ。しかしその後、2000年時点で6.4%だった再生可能エネルギーの割合は、2011年に20%を超えました。さらに今後、2020年までに35%以上、2050年前に80%以上という目標値を掲げています。[*10] 国家の経済規模や技術水準、電力産業の構造などを考えれば、今の日本の状況は10年前のドイツに近い。ドイツの歩みには、見習い、応用すべき点が多いということでしょうね。

津田:なるほど。ドイツがこの10年間にどんな課題を抱えてきたか、どうやってそれを乗り越えてきたかが大いに参考になる、と。では、ドイツがどのように脱原発を進めてきたか、経緯を簡単に説明してもらっていいですか?

小嶋:はい。先ほども言ったように、ドイツが国の方針として脱原発を決定したのは2000年に入ってからです。まず、1998年に発足したシュレーダー政権(社会民主党:SPDと緑の党の連立政権)が脱原発の方向性を明確化。政府は電力業界と交渉を続け、2000年6月に原発全廃で基本合意します。その合意に基づき、2002年4月には「原発と再処理施設の新設禁止」「既存原発17基の運転年数を平均32年に制限(2022年頃までに全原発停止)」などを盛り込んだ原子力法を改正。[*11] その実現のため、並行して「再生可能エネルギー法」(2000年)を制定し、太陽光や風力などの再生可能エネルギーによる電力の固定価格買取制度を導入します。[*12]

津田:脱原発の伏線になったのは「社会民主党」と「緑の党」――左派政党の連立政権だったわけですね。

小嶋:その後、アンゲラ・メルケル率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)連合が総選挙で勝利し、2005年に政権交代が起きますが、2009年までの第一次メルケル政権は、シュレーダー政権の脱原発方針を踏襲します。しかし、2009年に発足した第二次メルケル政権は、社会民主党(SPD)と連立を解消し、原子力推進派の自由民主党(FDP)と連立。脱原発に不満を抱えていた産業界や電力業界の声に押され、シュレーダー政権の脱原発政策を一部見直すことになりました。[*13] 2010年12月に改正された原子力法では、国内17基の原発の運転期間を平均12年――1980年以前の原発は8年、1980年以降の原発は14年に延長すると決定。全原発の撤廃は2036年を想定することになりました。ただし、これはあくまでも再生可能エネルギーが普及するまでの橋渡しで、同年秋に発表されていた「エネルギー計画」――総電力に占める再生可能エネルギーの割合を2020年に35%、2030年に50%、2040年に65%、2050年に80%とする導入目標、送電網やスマートグリッドの整備などを実現するための措置だとしています。[*14] また、同時に、核燃料の消費に対して電力会社に課税する「核燃料税」なども制定されました。これは電力会社に対する、原発運転期間延長の代償だと考えていいでしょうね。

津田:しかし、その直後に福島第一原発事故が起きてしまう――。

小嶋:ええ。原子力法改正による原発稼働期間延長からわずか3カ月後、日本で福島第一原発事故が発生します。メルケル首相は3月14日に旧型の原発7基を停止し、稼働期間の延長を棚上げして3カ月以内に包括的対応を考える「原子力モラトリアム(猶予期間)」を発令します。[*15] その後、さまざまな議論を経て、6月にはふたたび原子力法を改正。[*16] 今回の法改正では、福島第一原発事故後に停止した原発7基と故障で停止中の1基について、再稼働を認めないことが明記されました。さらに、残りの原発9基についても停止時期を定め、段階的に脱原発を進めていくとしています。2015年に1基、2017年に1基、2019年に1基、2021年に3基、そして2022年に3基が停止して原発全廃が完了する、ということですね。

津田:2010年に一度はゆるみかけた脱原発へのスピードが、福島第一原発事故を機に前倒されることになった、と。ここまでドイツの脱原発の歴史を振り返ってきた中で、いくつかの重要なターニングポイントがあったと思うのですが、小嶋記者はどう考えていますか?

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津田大介
ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師。一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。J-WAVE『JAM THE WORLD』火曜日ナビゲーター。IT・ネットサービスやネットカルチャー、ネットジャーナリズム、著作権問題、コンテンツビジネス論などを専門分野に執筆活動を行う。ネットニュースメディア「ナタリー」の設立・運営にも携わる。主な著書に『Twitter社会論』(洋泉社)、『未来型サバイバル音楽論』(中央公論新社)など。

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