【不定期連載】編集のトリーさんの事件簿(2)

「私、寝袋で寝ようかな」と奥さんが言った

誰が寝袋で寝るのか、それが問題だ

 

なぜそんな話になったかというと、拙宅にはダブルサイズのベッドとダブルサイズの敷き布団が2枚ありまして。これだけ聞くとどこの昭和の大家族や! という感じがしますが、夫婦+子供1人の3人暮らし。平成の都会暮らしです。

 

じゃあなんでそんなことになったかといえば、あんまり子どもが生まれたらどうする、ということを考えていなかったからです。

子供が生まれたために子供を寝かせるスペースを作らなきゃいけない。でもベビーベッドは邪魔、というかとても置けない。じゃあとりあえずフローリングに布団を引きますか、という話になって、冒頭のようなグーグル先生での検討を経て、

 

「リビングの床にダブルサイズの敷き布団を敷き、主に以下の2パターンをローテーションする」

 

という現状に落ち着いたのです。

 

パターン1 ベッド:妻+息子 床:私

nedoko.001-compressor


パターン2 ベッド:私 床:妻+息子

nedoko.002-compressor

 

確かにね、こうして見ると誰がどう見ても一人分のスペースが無駄になっています。いや、「無駄」という発想自体が貧乏臭い気がしないでもありませんが、どうも効率的ではない、という奥さんの意見に、私も同意したわけです。

 

「子供用の布団を使えばいいじゃん」と思われるかもしれませんが、子供の寝相をなめてはいけません。結局母親が添い寝をするのがベスト、ということで上記のようなスタイルに落ち着かざるを得ないのです。

 

ただこのパターン、寝ているときはまあいいのですが、毎朝ベッドの上に畳んだ敷き布団を積み上げなきゃいけないのが大変だとか、積み上げた状態が不格好だということは当初から問題となっていました。いつか、なんとかしなきゃいけないねえ、と。

 

そこで出て来たのが、先の「寝袋宣言」だったわけです。

 

しかしフローリングの上で寝袋で寝る日常というのは、どうしても私にはラディカルすぎるような気がします。寝床会における紅衛兵かポルポト派か、というぐらい。

 

ただまあ、検討の余地はあると思います。もし敷き布団を処分して、寝袋で寝るとしたら、こうなるでしょうか?

nedoko.004-compressor

 

うーん、なんかいまいち、問題は解決していないような気もします。いや、もしかしてうちの奥さんのイメージはこういうことなのか?

nedoko.005-compressor

 

まさかのベッド処分案。でも、ラディカルな人なので、こういうことも視野に入っているのかもしれない……。

 

ただ、さすがにまだ5年しか使っていないベッドを処分するのは忍びないので、ここは私も抵抗しようと思います。たぶん「敷き布団を捨てて、寝袋を導入する」場合、最終的に落ち着くところはこれでしょうか。

nedoko.006-compressor

そうなんですよ。たぶん、寝袋で寝るのは私なんですよ。寝袋を導入すると、どう考えてもこっちに行く気がするんですよ。力学的に。万有引力とか、フレミングの法則みたいな、もうえも言われぬ引力みたいなものが、こっちの方向に引っ張って行くような気がします。

 

 

和室のないマンションでの寝床問題って、家族が増えるとけっこう悩まされるところがあると思います。ベッドを大きなものに買い替えるのか、エクストラベッドを買い足すのか、三段ベッドにするのか。あるいは、敷き布団を床に敷くのか。

 

とはいえ、考える選択肢は多ければ多いほどいいでしょう。よろしければ「寝袋導入」も、頭の片隅に入れてご検討いただければ幸いです。

 

 

1 2

その他の記事

僕がザハ案の国立競技場の建設に賛成していた、たった一つの理由(岩崎夏海)
9月は世界や各人の命運が分かれる特異月(高城剛)
ようやく到着 ポータブル原稿書きマシン「Gemini」(小寺信良)
私事ながら、第4子になる長女に恵まれました(やまもといちろう)
食欲の秋、今年は少しだけ飽食に溺れるつもりです(高城剛)
津田大介×高城剛対談「アフター・インターネット」――ビットコイン、VR、EU、日本核武装はどうなるか?(夜間飛行編集部)
ひとりぼっちの時間(ソロタイム)のススメ(名越康文)
フースラーメソード指導者、武田梵声の大阪講演2017開催決定!(武田梵声)
今週の動画「払えない手」(甲野善紀)
情報を伝えたいなら、その伝え方にこだわろう(本田雅一)
【第6話】闘志なき者は去れ(城繁幸)
大揉め都議選と「腐れ」小池百合子の明るい未来(やまもといちろう)
「古いものとあたらしいものが交差する街」に感じる物足りなさ(高城剛)
人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である(甲野善紀)
知的好奇心の受け皿としての「私塾」の可能性(名越康文)

ページのトップへ