誰が寝袋で寝るのか、それが問題だ
なぜそんな話になったかというと、拙宅にはダブルサイズのベッドとダブルサイズの敷き布団が2枚ありまして。これだけ聞くとどこの昭和の大家族や! という感じがしますが、夫婦+子供1人の3人暮らし。平成の都会暮らしです。
じゃあなんでそんなことになったかといえば、あんまり子どもが生まれたらどうする、ということを考えていなかったからです。
子供が生まれたために子供を寝かせるスペースを作らなきゃいけない。でもベビーベッドは邪魔、というかとても置けない。じゃあとりあえずフローリングに布団を引きますか、という話になって、冒頭のようなグーグル先生での検討を経て、
「リビングの床にダブルサイズの敷き布団を敷き、主に以下の2パターンをローテーションする」
という現状に落ち着いたのです。
パターン1 ベッド:妻+息子 床:私
確かにね、こうして見ると誰がどう見ても一人分のスペースが無駄になっています。いや、「無駄」という発想自体が貧乏臭い気がしないでもありませんが、どうも効率的ではない、という奥さんの意見に、私も同意したわけです。
「子供用の布団を使えばいいじゃん」と思われるかもしれませんが、子供の寝相をなめてはいけません。結局母親が添い寝をするのがベスト、ということで上記のようなスタイルに落ち着かざるを得ないのです。
ただこのパターン、寝ているときはまあいいのですが、毎朝ベッドの上に畳んだ敷き布団を積み上げなきゃいけないのが大変だとか、積み上げた状態が不格好だということは当初から問題となっていました。いつか、なんとかしなきゃいけないねえ、と。
そこで出て来たのが、先の「寝袋宣言」だったわけです。
しかしフローリングの上で寝袋で寝る日常というのは、どうしても私にはラディカルすぎるような気がします。寝床会における紅衛兵かポルポト派か、というぐらい。
ただまあ、検討の余地はあると思います。もし敷き布団を処分して、寝袋で寝るとしたら、こうなるでしょうか?
うーん、なんかいまいち、問題は解決していないような気もします。いや、もしかしてうちの奥さんのイメージはこういうことなのか?
まさかのベッド処分案。でも、ラディカルな人なので、こういうことも視野に入っているのかもしれない……。
ただ、さすがにまだ5年しか使っていないベッドを処分するのは忍びないので、ここは私も抵抗しようと思います。たぶん「敷き布団を捨てて、寝袋を導入する」場合、最終的に落ち着くところはこれでしょうか。
そうなんですよ。たぶん、寝袋で寝るのは私なんですよ。寝袋を導入すると、どう考えてもこっちに行く気がするんですよ。力学的に。万有引力とか、フレミングの法則みたいな、もうえも言われぬ引力みたいなものが、こっちの方向に引っ張って行くような気がします。
※
和室のないマンションでの寝床問題って、家族が増えるとけっこう悩まされるところがあると思います。ベッドを大きなものに買い替えるのか、エクストラベッドを買い足すのか、三段ベッドにするのか。あるいは、敷き布団を床に敷くのか。
とはいえ、考える選択肢は多ければ多いほどいいでしょう。よろしければ「寝袋導入」も、頭の片隅に入れてご検討いただければ幸いです。
その他の記事
|
FATF勧告でマネーロンダリング日本不合格の後始末(やまもといちろう) |
|
どんなSF映画より現実的な30年後の世界を予測する(高城剛) |
|
「見るだけ」の製品から「作ること」ができる製品の時代へ(高城剛) |
|
メルマガの未来~オープンとクローズの狭間で(津田大介) |
|
人生に「目的」なんてない–自分の「物語」を見つめるということ(家入一真) |
|
「愛する人にだけは見せたくない」顔を表現するということ(切通理作) |
|
フレディー・マーキュリー生誕の地で南の島々の音楽と身体性の関係を考える(高城剛) |
|
週刊金融日記 第287号<イケメンは貧乏なほうがモテることについての再考察、小池百合子は出馬するのか他>(藤沢数希) |
|
実はまだいじくっている10cmフルレンジバックロード(小寺信良) |
|
なぜ若者がパソコンを使う必要があるのか(小寺信良) |
|
なぜ人を殺してはいけないのか(夜間飛行編集部) |
|
ブラック企業と奴隷根性(岩崎夏海) |
|
人工呼吸器の問題ではすでにない(やまもといちろう) |
|
子育てへの妙な圧力は呪術じゃなかろうか(若林理砂) |
|
「対面力」こそAIにできない最後の人の役割(高城剛) |















