甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(5)

死をどのように受け止めるか

 

武術研究者・甲野善紀氏のメールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」に届いた、若者からの一通のメールによって始まった、哲学と宗教、人生を考える往復書簡。メールマガジン読者の間で話題となった連載をプレタポルテで公開します。

 

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「人間にとっての自然」と「生死は不定」ということ

 

【田口慎也から甲野善紀へ】

甲野善紀先生

今回もご返信いただき、ありがとうございました。先生のお手紙を拝読し、「信仰とは『好み』ではないか」ということ、および「人間にとっての自然とは何か」ということについて、私なりに考えました。その点について、ここで書かせていただこうと思います。

甲野先生は今回のお手紙のなかで、「人間にとって、いったい何が真実なのか」、「人間にとっての自然とは何か」、宗教の伝える教えが「『絶対にそれが正しい』『それ以外の在りようなど考えられない』とは、どうしても思う事が出来なかった」と書かれています。

私がこの箇所を読んですぐに思い浮かんだことは、「人間にとっての自然は『生老病死』である」ということと、「生死は不定である」ということ、そして、「それでも何かせずにはいられない」という人間の性質のことです。甲野先生は「宗教において『信仰者が絶対に譲ることが出来ない部分』とは、その人の、どうしようもない好みなのではないかと思えます。しかし、その好みとは、『何だ、単なる好みか』と軽視は絶対出来ないものだと思います」と書かれていますが、それは「信仰上の『好み』」というものが、ある人間の死生観、特に「死をどのように受け止めるか」ということと不可分に結びついているからだと思うのです。

 

吉本隆明氏のホスピス医療に対する発言と親鸞理解

 

特に今回はお手紙を拝読させていただきながら、吉本隆明氏のホスピス医療に対する発言と親鸞理解について考えました。吉本隆明氏は「ホスピスとナチスのガス室と、いったいどこが違うのか」という旨の発言をされています。これだけ取り上げると過激な発言ですが、これは「どれだけ苦しくても、生きている間は生きている方向に矢印を向け続けていなければならない」ということ、そして「人間の死というものは、人間には絶対にどうすることもできない。ある人間がいつ死ぬかどうか、その人間が死の間際に苦しんでいるのかどうかは、周囲の人間には絶対にわからない。それを勘違いして、『死というものを人間の手のうちに入れてどうにかできる』という発想から行動を起こしては駄目だ」という彼の考え方から来ている発言だと思います。

彼のこの発言に対して、「ホスピス医療にもこのような良い部分がたくさんある」とか、「目の前で苦しんでいる人を介抱し、安らかにさせる行動のどこが悪いのか」といった反論もあるかと思います。私自身、ホスピス医療が無駄であるとは全く思っていません。ただし、こうした「感情的な」反論は吉本隆明氏には「届かない」と思うのです。「ホスピスに良い点があるか否か」という点が問題にされているのではおそらくないのだと思います。そうではなく「生死は不定である」という点から見れば、ホスピスというシステムは認められないということであり、その考えは吉本氏の親鸞理解から来ているのだと思います。

私は浄土宗・浄土真宗の教えを専門的に学んだものではなく、親鸞教学についても素人であり、吉本隆明氏の親鸞理解が「妥当」なものかどうかは判断できません。あくまで吉本氏の親鸞への言及箇所を読んでの感想ですが、吉本隆明氏は「ホスピス医療というものは、恵心僧都源信の発想で『止まっている』考え方である。それは死というものを、『人間の手のうちに入れることができるもの』であるという考え方である。しかし、親鸞が言うように、実際は死というものは人間にはどうすることもできないものである。人間の死というものを人間の意志で『どうにかできる』と思うな」ということを仰っているのだと思います。

年を取ったから死ぬというのじゃなくて、事故で死ぬことも、病気で死ぬこともある。だから死というのはいつ、だれが、どう死ぬか、そんなことはわからんのだと。親鸞はそれに気が付いて、そこまで認識を深めたわけです。

 

死は別物だ。人間の生涯の中には入らない問題で、生きている限りは生きていて、やがては死に至るんだけど、死は人間の個々の人が関与する事柄では全然ない。どういう病気で、誰が、いつ死ぬかわからない。そんなことは考えてもしようがないから、考える必要はない。臨床的にもそうで、死は別系列だ。他人にあるか、近親の手にあるか、医者の手にあるか知らないけれど、自分の手には入らない。

もちろん臨終に際して苦しむ人もいるけど、苦しい顔をしたからといって、本当にご本人が苦しいかどうかは絶対にはたからはわからない、ということも認識でわかってきたわけです。つまり、苦しい顔はいままでしてきたから、習慣上はするかもしれないけど、本当に苦しいかどうか誰にもわからない。はたから見て苦しんでいるとおもったら大間違いで、そんなことはわかるわけがない(『よせやぃ。』)

 

甲野先生から頂いたお手紙への、直接のお答えになっているかどうか定かではありませんが、「死」は「人間にとっての自然」であり、それは「わからない」ものであるという事実を徹底的に見つめ、「わからない」に踏み止まったのが親鸞だったのではないでしょうか。そしてその親鸞思想と向き合い続けてきた吉本隆明氏にとっては、ホスピス医療は「死を手のうちに入れる」態度であり、それを認めることはできないということだと思います。「わからない」で踏み止まり、「生死は不定である」を引き受ける覚悟であると思います。

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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