「ない」ものをあたかも「ある」かのように
記号が実体を持ったモノのように振る舞うという点に関して私が思い出しますのは、南直哉さんの「十二支縁起の『無明』とは言語のことではないか」という発言です。十二支縁起とは「苦」が生じる過程を「無明‐行‐識‐名色‐六処‐触‐受‐愛‐取‐有‐生‐老死」の12の項目の関係のあり方に求めるものであり、この考え方が「縁起」であると南氏は説明された後、十二支縁起の根本である無明とは言語のことではないか、と仰います。
私は、人間の実存を考える論理モデルとして、十二支縁起を考えている。十二支縁起の最初は「無明」。私は「無明」とは、龍樹が『中論』で述べている「ことばの虚構」(戯論)、すなわち「言語に拘束されていること」だと思う。その根本は「言語機能」であって、「ことばで言い切ってしまえる世界を信じたらまちがうぞ」ということではないか。
……私は、仏教でいう「苦」は認識のことだ、と思っている。いわゆる苦痛ではなく「無明である」ことだ。「無明」は「言語機能」だが、さらにいえば「言語の働きによって縁起や無常がわからないこと」と言い換えられるかもしれない。これが実存的苦悩をもたらす。(『賭ける仏教』)
そして言語は「ただの記号ではなくて、具体的にものを存在させ、周囲に影響を与える」力を持つと仰っています。また加えて、南氏は体験と言語のあいだを見ることの重要性を常に指摘されています。
『<問い>の問答』のなかにおいても、「意味することと意味されるものとの間‐俗に言えば、経験と言語の間をきちんと見ないと駄目だ」と仰っています。今の私の理解でいえば、言語そのものと、言語が表わそうとするもののあいだには、必ずズレが生じる。しかし、我々はその点を意識できず、そのズレや距離感が見えなくなってしまう。言語と、言語が表すものとをあたかも同じものとして認識してしまうこと。この錯覚が、南氏が無明だと仰る言語の特徴のひとつではないでしょうか。
時間の消失
そして貨幣にもまた、それと類似した断絶が存在するのではないかと、今の私は考えています。これが野口裕之先生の「精神が失われた」という発言とどこまで関連するかはわかりませんが、少なくとも言語も貨幣も、「それそのもの」から遊離するということ、本来実体のないものが実体があるかのように振る舞うという特徴があり、それによってある種の錯覚が生じることは事実だと思います。
いずれにせよ、言語によって我々は思考を獲得し、学問を発展させ、文明も築き上げてきました。それを一面的に「悪」であるとは私は思っていないのですが、しかし同時に世界を切り分けることによって、言語と言語が表わすものとのあいだに、ある種の断裂が生み出されたこと、実体のないものがさも実体があるかのように振る舞うようになったこともまた、事実であると思うのです。そのような言語による縛りに対しても、我々はもっと敏感にならなければならないと考えています。
言語が実体のないものを実体があるかのごとく立ち現せるという機能に絡めて、もうひとつ、書かせていただきたいと思います。それは「効率」というものと言語の関係性についてです。つまり、言語によって「時間の概念」が生まれたということにより、「時間の消失」という問題が生まれたということです。物理的な時間のことではありません。過去・現在・未来などの概念としての時間の発生と、言語の間には密接な関係があると考えられます。
さきの南氏の発言にあるように、言語が「ないものをあたかも『ある』ように錯覚させる」機能を持つのであれば、時間という概念、過去・現在・未来という概念もまた、言語によって発生した可能性があります。特に未来という概念を持つことが出来るのは人間だけだといわれています。動物は未来の予測を行ったり、未来のイメージを持ったりすることは出来ません。たとえばサルは、約20秒先のことしか予測できないといわれています。言語がなければ、未来の予測やイメージを行うことがきわめて難しくなるようです。
言語によって人間は推論能力を持つようになりました。それにくわえて時間が概念となり、モノ化されたことによって、時間を節約するということ、時間を消すことを人間は行うようになったのではないでしょうか。もちろん言語以外の多数の要因もまた関わってきますが、言語による時間の対象化、モノ化も「時間の消失」の原因のひとつではないかと思います。そして環境破壊や現代医療の問題に共通する問題は、この時間の消失ではないでしょうか。
甲野先生がよく言及されるレイチェル・カーソンは、環境問題の本質のひとつとして「時間の消失」を挙げています。
いまこの地上に息吹いている生命がつくり出されるまで、何億年という長いときがすぎ去っている。発展、進化、分化の長い段階を通って、生命はやっと環境に適合し、均衡を保てるようになった。環境があってこそ生命は維持されるが、環境はまたおそろしいものであった。たとえば、場所によっては、危険な放射能を出す岩石があった。すべての生命のエネルギー源である太陽光線にも、短波放射線がひそんでいて、生命をきずつけたのだった。時をかけて――それも何年とかいう短い時間ではなく何千年という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命と環境の均衡ができてきた。時こそ、欠くことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは、時そのものが消えうせてしまった。(『沈黙の春』)
現代医療にも、この時間の消失という問題が存在するようです。身体教育研究所の野口裕之先生は以前、「現代の医療には空間はあっても時間はない」と仰っていました。時間をかけて自然に治るまで待つことができれば、たとえば怪我をした箇所は怪我をする前よりも丈夫になる。ところがそこに現代医療の治療を加えると、たしかに治るまでの時間は早くなるが、怪我以前よりも丈夫になるということはないと仰っていました。すべてにおいて、現代医療には時間というものが存在しないということですが、これは環境破壊の共通した問題点です。両者には様々な共通点があるのでしょうが、「時間の消失」もまた、環境破壊と現代医療に共通した問題なのだと思います。
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