今、物語が作りにくくなっている。作りにくいというか、必要とされていない。そもそも小説が売れない。ライトノベルにしても、一部の人気は高いものの、全体としてはビジネスになっていると言いがたい。
いや、もっと広い視野で見れば、出版界全体が停滞している。小説はその中でも特に停滞していて、全体の足を引っ張っている。いや、足を引っ張っているというより、今や多くの出版社が見切りをつけてしまっているので、そもそも出版されていない状況だ。
そんな状況の中で、ネットで小説を発表する人も増えている。今は、小説を読みたい人より書きたい人の方が多い。そうした傾向に加え、ネット小説だと人気作は似たような作品ばかりになるという構造があるので、物語を巡る状況はますます逼迫している。特に小説は、ほとんど瀕死の状況といっていい。
しかし、そうした状況だからといって、物語が持つ本質的な価値そのものが死んだわけではない。物語そのものは、今でも日々、どこかで誰かが紡ぎ、誰かがそれを必要としている。
例えば今は、多くの人が「先の戦争をめぐる物語」を必要としている。そして、そのための物語が溢れている。
例えば、南京大虐殺をどうとらえるかというのも、一つの物語だ。それを「あった」と言う人や「ない」と言う人も含め、それについて語ることそのものが、一つの「物語る」という行為なのだ。
もちろん、それを物語っている人は「自分は事実を語っているのであって、物語を語っているのではない」と言うだろう。しかしながら、物語というのはもともと人々が自分たちの来歴や歴史を語るという行為、風習から発生したものなので、事実をどうとらえるかというスタンスを表明することも、広い意味での物語に含まれるのだ。
例えば「永遠のゼロ」がヒットしたのは、そういう文脈による。今、先の大戦やゼロ戦をめぐって、その事実の新しいとらえ方――つまり物語が必要とされていた。百田尚樹氏は、その状況にアジャストした物語を紡ぎ上げた。だから多くの人に支持されたのだ。
あるいは、これはちょっと変化球だが、「火花」もそういうとらえ方ができるであろう。今の日本人にとって切実な問題なのは、格差社会が進行して、エスタブリッシュとそれ以外とがくっきり色分けされるようになったことだ。そうした状況に息苦しさを感じた人が、何か底辺からの一発逆転、あるいは底辺にくすぶっていることを容認するような物語を求めていた。特に、今の文芸はそれそのものが非(反)エスタブリッシュ化していたので、なおさらそういう潜在的欲求が強まっていた。
そうした状況に対し、お笑い芸人でもある作家、又由直樹氏は、自らのキャラクターを含めて非エスタブリッシュからの逆転の、あるいはそこにとどまることを容認する物語を提示した。「火花」のベストセラーは、これはいうまでもないかもしれないが、芥川賞を獲るところまで含めて物語なのだ。彼は、自らの実人生を通して、物語を提供しているのである。
そう考えると、現代における物語というのは二つのアプローチが考えられる。一つは、百田尚樹氏のように、既存の事実に対して新しいとらえ方が求められるとき、それにアジャストしたものを提供するという方法。
もう一つは、又由直樹氏のように、社会の変容というものを読み取った中で、自分自身が一種のトリックスターとなって物語を演じるという方法。この方法は、古くは檀一雄氏などの私小説化や、石原慎太郎氏、あるいは柳美里氏などもとっていた方法だ。
しかしながら、この連載(※)でこれまで提示してきたのは、上記のいずれの方法とも違う、いうなれば第三の方法だ。
それは、社会の空気や本人のキャラクターを越えて、人間存在そのものの不確かさ、不安さに切り込み、そこを癒やす物語を紡ぐ――ということだ。そのためには、視点や方法を工夫するのはむしろ二の次で、人間が物語に本来的に求めているものの純度を高めていくということが、まず肝要となってくる。
現在、そういう物語を作っている人たちがいる。それはピクサーだ。
ピクサーは、物語というものの本質を突き詰めた上で、そこに現代的な視点を加え、現代的な見せ方で人々に提示している。しかもそれを一人でするのではなく、集団でしている。そのストーリー作成においては、高度に洗練されたノウハウが集積し、しかもそれをグループで共有している。そして今なお試行錯誤を重ねながら、その本質のさらに奥深いところににじり寄ろうとしているのだ。
このピクサーのアプローチというのは、非常に参考になるし、また勇気づけられもする。
例えば、最近作である『インサイド・ヘッド』を見るとよく分かるのだが、この作品ができるまでには莫大な費用がかかっている。エンドロールには数え切れないくらいの人たちが名を連ねている。
その費用を捻出するために、ピクサーはあれこれと策を練っているのだが、その中でも特に重視しているのが「ストーリーを練る」ということだ。なぜなら、映画制作の中でストーリーを練ることこそが、最もお金がかからないにもかかわらず、その映画がヒットするかどうかを最も左右するからだ。そのため、ストーリー作りを洗練させない限り、もはやビジネスが成り立たないところまできているのである。
そうしてピクサーは、世界でも、いや歴史的にも希なストーリー制作集団になった。しかも彼らは、そのノウハウを、全てとはいわないまでも、結構な割合でオープンにしてくれている。
だから今、ライトノベルを書こうと思ったら、ピクサーのストーリー作成術を研究しない手はない。
そこで次回は、ピクサーのストーリー作成術について、もう少し詳しく見ていく。
※この記事は岩崎夏海のメールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」連載<ライトノベルの書き方>の抜粋です。
岩崎夏海メールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」
『毎朝6時、スマホに2000字の「未来予測」が届きます。』 このメルマガは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』)作者の岩崎夏海が、長年コンテンツ業界で仕事をする中で培った「価値の読み解き方」を駆使し、混沌とした現代をどうとらえればいいのか?――また未来はどうなるのか?――を書き綴っていく社会評論コラムです。
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