やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

親野智可等さんの「左利き論」が語るべきもの



 先日来、Facebookでも私たち左利きが集まり話題になっていた記事がありまして、まあおおいに賛否両論になりました。

「左利きの矯正」を当然とする社会圧の代償 それは「自分らしく生きる」ことの否定だ | 子どもを本当に幸せにする「親の力」 - 東洋経済オンライン

 私などは、左利きは「ぎっちょだから直しなさい」と両親から言われて矯正した結果、鉛筆や食事は右手、ボール投げや細かい作業、スマホ入力などは左手という、いわゆる「両利き」になりました。もっとも、小学校時代は習字や剣道の授業で右利きのクラスメートに比べて満足に上手くやることができず、非常にストレスが溜まったのはいまでも記憶に残っています。

 しかしながら、左利きは個性だ、尊重されるべきと正面から言われると、「それはそうかもしれないけど、世の中の大半は右利き用にできていて効率的に回っているのだから、多少の不便を享受しないとやっていけない」のも事実です。というより、左利きが尊重されるべきという意見は肯定されても、右利きが有利に出来ている仕組みに適合しなければいけないのであれば、表面上いかに左利きの権利を主張しても意味を持たないのです。

 例えば、私が右手で文字を書くことを練習した理由は、左手で鉛筆を使うと字が汚くなるのは自分でも良く分かっているからでした。だからこそ、ペン習字の本を買ってきて自分で取り組んだり、率先して練習することで、いまでは立派にかわいい丸字を右手で書けるようになりました。もっとも、小学校5年のときにある遊びでうっかり左手の人差し指と中指の関節を外してしまったり、コンビーフの缶を開けようとして左手の親指の付け根をざっくり切ってしまった折に中学校受験の模試があったため、否が応でも書かなければならなかったのですが。

 左利きが右利きに差別されないようにとまでいうのであれば、左右逆転して左手で右から左に書く横書きも社会的に通用してもらうようにしなければ平等にはなりません。でも、そんなことは初めから無理であることが分かっています。左利きが「そうして欲しい」と冗談で言うことはあっても、家庭の教育や本人の志向として矯正されることが社会圧だと批判してほしいと思うことはまずないと思います。

 左手が苦労するのは世の中が左手を理解しないからだ、という論考そのものは分かります。しかしながら、世にあるハサミは右利きであり、自動改札の切符入れやSuicaは右側にあって、左利きの個性が尊重されようが才能を認められようが世の大多数の人たちである右利きの人たちが不便を被ってまで左利きを同じように扱えとはならんでしょう。

 そうであるがゆえに、左利きが社会に出て不利だと思う親は我が子が左利きであることを気にして矯正することがあるのは、一般的な家庭内の躾の問題であって、そういう不利を理解して自己嫌悪に陥らないようにするべきというレベルの話でしかありません。

 左利きだから良い人生が送れない、勉強はもとより遊びも楽しめないと教育評論家がいうことは、世にいる左利きの避けられないストレス、乗り越えてきた障害を無理に大きくしているのではないかと感じます。子どものために左利きを矯正しようと思う親がいたとしてもそれは社会的に非難されるべきものではないし、左利きとして例え日常生活で不利であってもそのままで認めてほしいという気持ちも分かります。しかしながら、問題だと叫んだところでどう考えても解決されない問題を作り上げて、左利き矯正は社会圧だと断じることに何の意味があるのかは冷静に考えなければなりません。

 それを言い始めたら、視力の悪い子が眼鏡をかけるのは不利だ、下あごの成長が遅くて歯列の並びが悪い子も硬いものが食べられなくて不利だ、などさまざまな遺伝的な特質もストレスであり、コンプレックスになります。強力な体臭も不細工も巻き毛もチビもハゲもすべてはその人の個性だから改善しろというのは社会圧になるのかという話になります。もちろんこれは極論ですが。

 人間は遺伝から逃れることはできず、身体的な特質は左利きであろうが生まれつきの近視であろうが不利なこともあります。そもそも左利きは生命保険の世界では常識ですが生活上のストレスに直結することもあり寿命が短いというのはすでに分かっている知見です。左利きとして思うのは、これらを無理に社会圧だと断じるよりも、左利きなりの工夫をする知恵を捻るほうが大事なんだということであります。

 こういう人間のちょっとした差異を見つけてきて社会問題化する必要がどこにあるのか非常に疑問に思うのですが、どうしたもんでしょうか。

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.210 「左利き論」について感じること、過熱気味な仮想通貨ビジネスの実情、Amazon独り勝ちなパブリッククラウド市場などについてあれこれ
2017年11月30日発行号 目次
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【0. 序文】親野智可等さんの「左利き論」が語るべきもの
【1. インシデント1】懸案と焦燥の仮想通貨狂想曲
【2. インシデント2】Amazonのクラウドサービスがいよいよ無双状態になりつつある件
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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