※紀里谷和明メールマガジン「PASSENGER」2015年5月22日発行vol.051より。
人がカテゴライズしたがるのは「不安」だから
−−漠然とした質問で恐縮ですが、最近、どんなことを考えていますか?
インタビューやなんかのときに「好きな音楽は」「好きな食べ物は」と聞かれる事も多いんですけど、答えられなくて。「最近、好きも嫌いもなくなってきてるな」と思うんです。
ありとあらゆるものに影響されないし、自分もしない。
もっと言えば世の中に起こっていることに関連性が持てないし、何が楽しいのかわからないっていうのはあります。もちろん、一方では次回作の企画を練ったりしているわけですけど、それも「どうしてもやらなきゃいけない」という感じでもないんですよね。「映画はもう作れません」と言われたら、納得できるような気がする。
要はいろんなことが「どうでもいい」ってことなんですけど。
これ、別にネガティブな気持ちで言ってるわけじゃないんです。むしろポジティブで、つまり「何でもありでしょう」ってことなんですよ。
何て言えばいいんでしょうね。例えば、森の中にいたとして「杉の木がいい」「いや、松の木ほうがいい」って思わないじゃないですか。アフリカのサバンナにいって、ライオンがいようがシマウマがいようが、いいでしょうって。お花畑の中で何色の花が好きですかって言われても「別に何色でもいいんじゃないの?」って。そんな気分なんです。
俺が思うに、人間っていうのは趣味志向を含めて「つねに選択をしている」と思うんですけど、同時に「その選択に自分をいちいち照らし合わせて、それで自分が何者かになったかのような気分になってる」と思うんですよ。
でも、「そんなこと、本当はどうでもよくないか?」と思っちゃうんですよね。わかりやすい例で言うと、「あなたはこの手の音楽が好きなんですね。じゃあ、○○系ですね」「僕はワインはブルゴーニュ派です」というふうに、何でもかんでもカテゴライズしていくのが、みんな好きじゃないですか。でも、そういうカテゴライズって、俺はすごくくだらないと思うんですよ。
何でもそうでしょう。何かに関連性を持たせることによって、自分が何者かになったような気がする。そういうことやるのって人間だけでしょう。動物はしない。人間だって、子どものうちはそんなことしません。
で、なんでそうやってカテゴライズしていくかというと、不安だからだと思うんですよ。カテゴライズすることによって、自分の輪郭を知りたい。それって、雪山に根っころがっていて「この雪の質感がいい! いや、あっちの質感がいい!」って言ってるのと同じで、滑稽じゃないですか。
−−それは例えば、「俺は、素晴らしい車を乗りこなすような人間だ」「あいつより、俺のほうがクリエイティブな仕事をしている」というような自己肯定の仕方についておしゃっているわけですか?
そう。そうやってカテゴライズして自分を確認する行動とか、文化に、俺はまったく興味が持てないんです。「どうでもいいじゃん」って思ってしまうんですよ。こういうと紀里谷はやる気がないとか、ネガティブな意味に聞こえるかもしれないですけど、俺はすごくポジティブに「どうでもいいじゃん」と言っているつもりなんです。
つまり、「あなたが今こだわっているものって、本当に大事なの?」ということ。
ポジティブに「どうでもいいじゃん」と言える風潮にしたい
人種差別の問題にしたって、人種の違いに対して「どうでもよくない」人たちが差別や迫害をしてしまうわけでしょう。「どうでもよくない」人たちが一定数いるんですよ。多すぎるんです。
−−カテゴライズするのが当たり前になってしまっている。それが自分たちの首をしめている、というのは本当におっしゃる通りだとは思いますが、ある種当たり前過ぎて、そうした文化、考え方から自由になれるか、と問われるとなれない気がしますね。また、「どうでもいい」という言葉を、言えない空気があるのかもしれないですね。「どうでもいいじゃん」なんて、例えば会社や国会で言うと怒られるでしょうし(笑)。
世間や社会は、「どうでもいい」を許してくれないところがあるでしょう。次から次へと「選べ」「選べ」が始まってしまう。ご飯を食べるときにも「ワインは何がいいですか?」「水はガス入り、ガスなし、どちらがいいですか」っていうのと同じで。
例えば、インタビューで「この映画はどこに一番こだわって作りましたか?」って聞かれたら俺は「そんなの全部こだわって作ってるよ!」と言いたくなるんですけど、そういうこだわりと、生きていく上でのこだわりは、違うんですよね。生きていく上でのこだわりというのは、やっぱり執着だと思うんですよ。何から何までこだわらなきゃいけないっていうのは、やっぱりおかしいんじゃないかと。
世の中に「どうでもいい」(と言える機会、風潮)がもっと増えればいいのになと思いますよ。
紀里谷和明メールマガジン「PASSENGER」
2015年5月22日発行vol.051
<「報道」の役割と矛盾><動物に対する視線、ペットビジネスの罪>ほかより
1.最近のキリヤ
2.「報道」の役割と矛盾
3.動物に対する視線、ペットビジネスの罪
4.Q&A
5.お蔵出しフォト
6.メディア掲載・作品など
※購読開始から1か月無料! まずはお試しから。
※kindle、epub版同時配信対応!
紀里谷和明メルマガ「PASSENGER」のご購読はこちらから


その他の記事
![]() |
「蓮舫代表辞任」後の民進党、野党、ひいては反自民について考える(やまもといちろう) |
![]() |
『マッドマックス 怒りのデスロード』監督ジョージ・ミラーのもとで働いた時のこと(ロバート・ハリス) |
![]() |
生まれてはじめて「ジャックポット」が出た(西田宗千佳) |
![]() |
教育としての看取り–グリーフワークの可能性(名越康文) |
![]() |
「分からなさ」が与えてくれる力(北川貴英) |
![]() |
2017年、バブルの時代に(やまもといちろう) |
![]() |
人生に活力を呼び込む「午前中」の過ごし方(名越康文) |
![]() |
『好きを仕事にした』人の末路がなかなかしんどい(やまもといちろう) |
![]() |
なぜ今、「データジャーナリズム」なのか?――オープンデータ時代におけるジャーナリズムの役割(津田大介) |
![]() |
発信の原点とかいう取材で(やまもといちろう) |
![]() |
『時間の比較社会学』真木悠介著(Sugar) |
![]() |
古い常識が生み出す新しいデジタルデバイド(本田雅一) |
![]() |
世界百周しても人生観はなにも変わりませんが、知見は広がります(高城剛) |
![]() |
成功する人は「承認欲求との付き合い方」がうまい(名越康文) |
![]() |
オワコン化が進む、メタバース、NFT、Web3、AIスピーカー… 真打は生成AIか(やまもといちろう) |