岩崎夏海
@huckleberry2008

岩崎夏海のメールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」より

一流のクリエイターとそれ以外を分ける境界線とは何か?

※岩崎夏海のメルマガ「ハックルベリーに会いに行く」より

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「絶対悪」を描くことの難しさ

 
おそらく多くのクリエイターにとって、一流への壁となるのは「悪」の存在ではないだろうか。悪のとらえ方に逡巡を抱いてしまう。有り体にいうと悪を描けない。特に「絶対悪」を描けない。

「絶対悪」というのは、とにかくただただ悪い存在だ。作中で殺されて然るべき存在である。殺されてむしろスカッとするような存在だ。そういう絶対悪をどうして描けないかというと、作者が彼らの存在を慮ってしまうからである。気を遣ってしまうのだ。

「彼らもまた生きているのではないか? だとしたら、たとえ絶対悪であろうと、殺したらそれは人殺しなのではないか?」

そういう逡巡が頭をかすめるのである。

そういう絶対悪が出てくるような物語を、稚拙で、つまらないものと断罪する人間も多い。それは、むしろクリエイターに多い。創作を行う人間というのは、どうしてもいろいろと考える。考えるうちに、やがて上記の「彼らもまた生きているのではないか?」という問題に突き当たる。そして、それが壁となって、それ以上前に進めなくなるのだ。それがボトルネックになってしまうのである。
 
 

一流の物語は「救いのない残酷さ」を描いている

 
しかしながら、クリエイターの一流とそれ以外とを隔てる壁は、実はそこなのだ。その壁を乗り越えて、絶対悪を平気で殺せるような物語を作れるようになると、クリエイターとして一流の高みに到達できる。

というのも、一流の物語というのは、どれも一流の残酷性をはらんでいるからだ。一流の物語というのは、どれも救いのない残酷さ、救いのない人殺しというものを描いている。それを相対化し、俯瞰した眼差しから描いている。だから、それをいいとも悪いともとらえておらず、「そういうものだ」という泰然とした態度で描いている。

そういう物語が、一流の物語なのである。その象徴的な存在ともいえるのが「桃太郎」だ。「桃太郎」は、よくよく読まなくとも、その残酷性は一目瞭然だ。桃太郎は、自分の肉親が殺されたわけでもなく、自分の領土が侵されたわけでもないのに、「鬼ヶ島」という相手の領土を侵略して、鬼を征伐する。そして、鬼の宝物を強奪してくるのである。

これはあまりにもひどい話だ。あまりにも無体な話だ。しかしながら、同時に多くの人々の胸を打つ。人々は、そこから大いなる慰めを得ている。

だから、「桃太郎」は今でも名実ともに日本で一番の昔話であり、物語であり神話である。人々は、そこに描かれる、ただ侵略され強奪されても文句の言えない鬼という絶対悪の存在を認めている。いや、もっといえば欲している。求めているのだ。
 
 

マイナスをゼロにする物語の力

 
クリエイターの役割の一つは、人々の求めに応じ、彼らを慰撫する物語を紡ぐことである。「慰撫」というと良くないことのように思う方もいるかもしれないが、物語の本来的な機能はそこにこそある。古来より、物語は人々の不安を鎮めるものとして存続、発展してきた。まず人々の不安ありきだった。だから、それを慰められるようでなければ、物語の存在価値はないといってもいい。物語はけっして、喜びや感動をもたらすために作られたものではない。

物語というのは、人々の平穏な生活にさらなる喜びをもたらすものではない。彼らの不安定な生活に慰めをもたらすものだ。概念的にいうなら、ゼロをプラスにするのではなく、マイナスをゼロに戻す作業である。だからこそ、これだけ多くの人々に必要とされている。それは、衣食住と同じくらい、人間になくてはならない生活必需品なのだ。

そういう本質を持つからこそ、クリエイターは、悪という存在を描かなければならない。こういうと、例えば「泣いた赤鬼」や「スター・ウォーズ」は、悪を描ききってないではないかという反論をする人もいる。「泣いた赤鬼」は、鬼の人間的な側面を描いた感動作であるし、「スター・ウォーズ」は、悪の善的側面を描いたからこそこれだけヒットしたのだと。

確かに、これらの作品は一見、悪の善的側面を描いているようにも見えるが、しかしその裏には、巨大な残酷さが隠れ潜んでいる。ルークは、悪党の象徴であるダース・ベイダーこそ殺さなかったものの、雑魚の悪なら夥しいほどの数を殺している。「泣いた赤鬼」も、赤鬼の側から見れば感動するような話かもしれないが、その反対に青鬼は全くといっていいほど救いがなく、その意味では残酷きわまりない物語となっている。

このように、一見悪の善的側面を描いているように見える名作も、その裏にはおぞましいまでの残酷さがちゃんと描かれている。「救いのなさ」がちゃんとあるのである。

そういうふうに、名作には必ず何らかの「身も蓋もなさ」がある。逆にいえば、それがなければ名作とはなり得ない。

だから、一流のクリエイターになるとするなら、そういう「身も蓋もなさ」を作品に盛り込まなければならない。それは則ち、悪を悪として描かなければならない。そういう覚悟を持てた人間だけが、一流のクリエイターになれるのである。

 

岩崎夏海メールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」

35『毎朝6時、スマホに2000字の「未来予測」が届きます。』 このメルマガは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』)作者の岩崎夏海が、長年コンテンツ業界で仕事をする中で培った「価値の読み解き方」を駆使し、混沌とした現代をどうとらえればいいのか?――また未来はどうなるのか?――を書き綴っていく社会評論コラムです。

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岩崎夏海
1968年生。東京都日野市出身。 東京芸術大学建築科卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など、主にバラエティ番組の制作に参加。その後AKB48のプロデュースなどにも携わる。 2009年12月、初めての出版作品となる『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(累計273万部)を著す。近著に自身が代表を務める「部屋を考える会」著「部屋を活かせば人生が変わる」(累計3万部)などがある。

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