甲野善紀
@shouseikan

「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」

「狭霧の彼方に」特別編 その1

※甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡~ある武術研究者の日々の気づき」 からの抜粋です。

 

「狭霧の彼方に」特別編 その1

 〜釈徹宗先生に田口慎也氏を紹介する〜
 

まえがき  筆・甲野善紀

今年(2018年)の5月31日、私は何年も前から考えていた「見合い」を一つ実現させた。「見合い」と言っても男女の出会いを世話したわけではない。浄土真宗の世界で近年その声名が高くなられている釈徹宗・如来寺住職と、私がこのメールマガジンで、かなり長い間往復書簡を行った田口慎也氏のお二人を是非引き合わせたいという企画がその「見合い」である。

釈先生は、昨年仏教伝道協会から沼田奨励賞を受賞され、著書も数多くあり、NHKのEテレでも「100分でde名著」という番組で『歎異抄』を解説されるなどして活躍されているので、どういう方かは調べればある程度の情報はすぐ得られると思う。

一方、田口氏は私が森田真生氏と行なっている「この日の学校」の参加者として8年ほど前に知り合い、その真摯な宗教に対する、というより「人間が生きるとはどういうことか」ということへの探究心・求道心に感じ入って、私との往復書簡を行うことを提案し、田口氏の了解を得て「狭霧の彼方に」というタイトルのもと、数十回のやり取りをしたので、その原稿は本にしたら2冊文は十分にあるくらいだと思う。

その往復書簡の中で、田口氏は少なからず親鸞上人や浄土真宗のことに触れられているので、いつか釈徹宗先生との御縁をつなぎ、このお二方の会話に立ち合ってみたいと思っていたのである。

そこで今回、練心庵で何度目かとなる私の講座の折、可能ならば田口氏を同行して、釈先生に田口氏に会っていただきたいと思い、まず田口氏に以前私と行なった「狭霧の彼方に」の中から抜粋したものも使って自己紹介文を書いてもらい、これに私の添え状を付けて釈先生にお送りすることを思いついた。

程なく出来上がってきた原稿は、私と田口氏との往復書簡「狭霧の彼方に」が実に見事にまとめられており、「これには釈先生も必ずお心を動かされることだろう」と思われる文章で、私からの手紙を添えて、釈徹宗先生にこの田口氏からの自己紹介文をお送りした。

すると、お送りしてすぐ釈先生から「一読、田口さんがどれほど真摯に『信』に取り組んでこられたかがわかりました。当日お会いするのが楽しみです」という感想のメールをいただいたので、私としても釈先生と田口氏との間でどのような会話が展開するのか、大いに期待してこの日を待った。

そして5月31日、私は15時30分頃、新大阪の駅で田口氏と合流して練心庵に向かった。練心庵はもう何回も伺っているので、最寄駅もどう行けばいいかも、ほぼわかっているが、いざ梅田から阪急電鉄に乗ろうとすると、阪急の何線に乗ったらいいか今ひとつ不確かで、京都在住の田口氏ならよく知っているかと思ったが、元々信州出身の田口氏は、あまりあちこち出歩くこともないのか、今ひとつ大阪は不案内で、駅員に田口氏が確認して、漸く阪急宝塚線の車中の人となった。

田口氏の文章は十分過ぎるほど練りに練ったもので、それは見事なものだが、話すことはむしろ苦手と言ってもいい人物で、私とも車中で田口氏の方から口を開くことはない。そこで私は田口氏が釈先生に何か質問するとしたらどのような事を伺ってみたいのかを尋ねたところ、訥々とした口調で、釈先生が浄土真宗のお寺に生まれられ、御自身が自ら選び取ったわけでもなく、浄土真宗という宗派を継ぐことになって「何か葛藤のようなものを持たれなかったのか」、そういうことを伺ってみたいとの答えが返ってきた。

「なるほど、それはいかにも田口さんらしい質問だな」と思ったが、その時それ以上何を思うわけでもなかった。その他、この車中で何を話したのかほとんど記憶にない。ただ僅かに記憶に残っているのは、田口氏は幼い時から馬の姿が好きで、競馬をするわけではないそうだが、競馬の馬についてはかなり詳しいようだった…。

そうこうしているうち、電車は練心庵の最寄り駅に着いた。駅からは練心庵まで大通りを一回左折するくらいで、極めて簡単な道なので、今回は間違いなく着けると思って歩き出したが、方向が間違ってはいないとは思うものの、どうも確信が持てずに歩いて行くと「ここじゃないですか」と田口氏から逆に声をかけられ、慌てて2、3歩戻って田口氏が指し示す方向を見ると、まさしく目的地の練心庵。門扉を開け、さらに玄関の扉を開くと、ちょうどそこに釈先生が立たれていて我々を迎え入れてくださった。

この日、夕方からある、禅僧で古流の剣術も稽古されている吉田叡禮先生と私との公開トーク「禅と身体技法」の準備がほぼ整えられていて、その一隅に机と椅子を釈先生が用意してくださり、スタッフの方が麦茶やサンドウィッチなども持ってきてくださって会談が始まった。

まず釈先生が少し話をされた後、私が「今日は釈先生にお会いしたら是非伺ってみたいことが田口さんにあるようです」と言う前フリをして、田口さんに先ほど電車の中で田口氏から聞いた釈先生への質問をするように促した。すると田口氏は私が車中で耳にした質問を釈先生に始めたのだが、自らの立場を考え考え言葉を選びながらだったためかもしれないが、その言葉は訥々としたもので、口数が少ない田口氏にしても本当に少ない言葉で、先ほど私が車中で田口氏から聞いた質問を釈先生に行っていた。

すると、釈先生の表情が私が釈先生と出会ってから一度も拝見したことのない、何と言うかある種の苦悩に満ちたものとなり、自らのお立場について「子どもの頃から、ずっと合わない服を着続けているような違和感を持ち続け、現在でもその違和感があります」というお話をされはじめた。私はこの時、私自身の「人を見る目のなさ」に深く恥じ入った。なぜなら何年もお付き合いをさせていただいていたのに、この日初めて私は「釈先生が宗教者として『浄土真宗』とどう向き合えばいいのか」ということを、本当に真剣に己に問われている方なのだという事を、衝撃をもって知ることが出来たからである。

そして、このような釈先生の姿を見ることが出来たのも、田口氏の「生きる」という事と向き合っている姿の真剣さというか、一種の人間的迫力といったものに釈先生が打たれたからだと思った。つまり、田口氏の真剣な問いに対して「これはいい加減には答えられない、この若者にはちゃんと向き合わなければならない」と思われたからだと思う。

その後、親鸞上人の「難信」「信ずる」という事は容易に出来るものではないといったお話も出て、釈先生と田口氏との会談はどんどん深いところへと入っていったが、それについては田口氏自身の筆で書いていただきたいと思うので、私がこの5月31日の釈徹宗・如来寺住職と田口慎也氏との会談について語るのは、ここまでとしたい。

では、これから田口氏がどのような手紙を釈先生に書かれたのか、まず私が田口氏から託された自己紹介文を釈先生にお送りするにあたり添えた、私の手紙の抜粋を引用し、次いで田口氏の手になる自己紹介文を掲載したいと思う。

田口氏の自己紹介文は約2万字あり、またその後、田口氏には釈徹宗先生との会見記もお願いしているので、この「狭霧の彼方に」の特別編は、今後数回続く予定である。

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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