やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

虚実が混在する情報の坩堝としてのSNSの行方

※この記事はやまもといちろうメールマガジン「人間迷路」 Vol.237(2018年9月30日)からの抜粋です。

 米大統領選を左右した可能性もあるということなどからフェイクニュース問題が注目されて以降、SNSを中心にネット上で流通する情報の信頼性をどう担保するかが大きな課題となりつつあります。

 かなり突き放した考え方の一つとしては、誰もが自由に書き込みできるようなネット上の掲示板やSNSなどで流布される言説の類は、いわゆる“チラシの裏”に書き込まれた戯れ言同然であるという認識で受け止めるのがネットリテラシーの第一歩であると割切ってしてしまえばそれで済む話なのかもしれません。もともと、ネット上での言論というのは「誰が書いているのか分からない」という前提で、しかし2ちゃんねるなどは西村博之さんの独特の思想から「ネット上では肩書を外した建前ではない本音の議論ができる」ということで、自由な情報の流通という金科玉条のもと、誰もが参画できる開かれた場所であるべき、という考えが広まっていました。

 いまの「漫画村」など海賊版サイト対策においても、これらのインターネット原理教と揶揄されるような牧歌的なインターネット観が有力な一角を占めており、実のところ、私もそれには賛成なのです。確かにフェイクニュース問題は抜き差しならないとされつつも、心のどこかで「リアル社会でも詐欺や誤報の山の中で受け手が判断して生きているのが実際だし、ネットだけの問題じゃなかろうに」と思ってしまう自分がいます。自己責任論とはまた違う意味で、情報の取捨選択は受け手の自由であるべきだ、と思うのです。

 しかしながら、ネットを使う万人がそうした心構えで日々ネット情報に接することができるのかといえば、なかなかむつかしいものがあります。また、どれほど達観した人物であろうとも各人が持つそれぞれの心の琴線みたいなものに触れてしまうような話を目にすれば、なぜかネットのチラ裏に書き込まれた微妙なネタでさえも“真実”と信じ込んで思わず脊髄反射してしまうことは往々にあるものです。魔が差すというやつでしょうか。何よりも、すべての分野において詳しい知見を持ち合わせ、情報の真贋を見極められる人物などいません。どんな賢人であっても門外漢の分野はどうしても他人の意見にすがらざるを得ない、というのは真理だろうと思います。

 それゆえに、誰もがこうした過ちを犯すことは仕方ないことでして、ネット上にはびこるデマに騙されてしまうのを完全に防止するのはむつかしい。できることといえば、虚偽の情報であることが判明した時点でそんなつまらない話を信じてしまった自分が間違っていたなと反省しつつ今後は気をつけようということで常に情報のアップデートを心がけることができるのが理想ではあります。さんざん騙され続けてきた私が言うのですから、間違いありません。できることは、騙されないことではなく、どのような情報であっても可能な限り複数の情報ソースを確かめる癖をつけることと、脊髄反射で断言したり反応したりしないということに尽きます。が、これにしても残念ながらなかなか人というのは一度信じてしまった物語を否定するのは苦手なものですし、見栄や面子みたいなものが邪魔することもあるでしょう。

 フェイクニュースという存在自体がそういう人間の心の弱い部分につけこむことを主な目的として巧妙に作られているわけですから思わず釣られてしまうということは避けがたいということです。

 考えようによってはネット上の掲示板やSNSなどというサービスそのものが与太ネタを介してコミュニケーションするための遊び場であるという側面もあります。単なるネットを介した社交場であり、人の心の機微を弄ぶのも娯楽のうちと考えれば必ずしも悪であるとは限らないという見方もできるでしょう。そもそも、井戸端会議の延長線上であるネットが悪いとしても、ネットが成立する前から井戸端会議はあり、限られた情報の中だけで人は暮らしてきていたのです。むしろ、ネットがあるからこそいろんな悪弊が可視化され、白日の下に曝され、バッシングの対象となって是正に追い込まれるという利点はあったとも言えます。

 ただ、ここ最近の“フェイクニュース”は、最初から虚偽の情報を“真実”として伝えることで世論を誘導することが目的となってきており、多くの人がそうした情報を他の人と共有してどんどんネット上で加速度的に拡散させてしまう事態が増えてしまったため、社会的影響を考えるとそのままに放置できないことになってきたという経緯があるわけです。


(この続きは、やまもといちろうメールマガジン 「人間迷路」で)

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.238 迷える家庭の悩みに答えつつ、漫画村ブロッキング問題の顛末や昨今のSNS周辺のフェイクニュースについて思うことを語る回
2018年9月30日発行号 目次
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【0. 序文】代表質問
【1. インシデント1】「御用」と呼ばれる仕事づきあいの作法について
【2. インシデント2】虚実が混在する情報の坩堝としてのSNSの行方
【3. 子育て奮闘記的なもの】修羅の子育て

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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