甲野善紀
@shouseikan

「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」

世界は本当に美しいのだろうか 〜 小林晋平×福岡要対談から

甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」Vol.130より




<小林晋平・福岡要 両氏による対談に寄せて>

「最近は本当に頼りになる学校の先生に出会うことは滅多にない」ということをあちこちで耳にする。そういう中で「生徒や学生にとって本当に得難い素晴らしい教師をどなたかご存知ですか」と私が聞かれたとすると、小林晋平東京学芸大学准教授の名前が何よりも真っ先に頭に浮かぶ。小林氏とは、このメールマガジンの前号まで3回に渡って、私と対談をしていただいたが、今回からは、いよいよ福岡要氏との対談が、かなりの回数に渡って載ることとなる。

すでに三回に渡る私と小林准教授との対談を読まれた方は十分に感じられていると思うが、小林氏は専門の理科系の知識について詳しいだけでなく、教育とはどうあるべきかということについて、本当に深く考えられており、「やる気の無料配布」というユニークなニックネームがついたということも深く納得がいく。

世の中には自分だけその気になって、周りを白けさせる熱血教師はまま見られるようだが、そういったレベルの人たちとはおよそ次元を異にする小林氏の教育への情熱には、心底頭が下がる。

そして、対談相手となる福岡要氏は、現在教師という職にはついていないが、「この人を教師にしないのはあまりにももったいない」と私が思う人物である。今回小林氏と対談をされる福岡要氏である。

私が福岡氏と出会ったのは、私が2009年から森田真生氏(数学の独立研究者)と行っている「この日の学校」である。確か池袋コミュニティカレッジで開かれた「この日の学校」の折だったと思うが、福岡氏の要点を突いた見事な質問に驚き、その後このメールマガジンで「日照雨」という私との往復書簡を行うことを提案して、引き受けていただいた。

往復書簡が進むにつれ、この福岡氏ほどの人材の思いが実現するような教育が現実にはないことに本当に残念な思いが胸中に溢れてきた。

それだけに、今回、小林晋平氏という、またとない人材を得てのお二人の対談は、私としても本当に楽しみにしている。この対談を、ぜひ多くの教育関係者に読んでいただき、福岡氏が真に活躍できる場が、見つかる事を心から願っている。

甲野善紀

 

小林晋平×福岡要対談 第8回:世界は本当に美しいのだろうか

世界は本当に美しいのだろうか。

学んで、考えて、試して、ぶつかって、摩耗して、それでも、「ああ、やっぱり世界は面白い」と言えるだろうか。

自分は幸せか、皆は幸せだろうか、その問いの後でもまだ、「世界は素晴らしい」と言えるだろうか。

それを言わせてくれないのなら、科学も宗教も、ただの御託だ。

小林 晋平

 

◇腑に落ちる、とは「小脳」に落ちる

小林:我々も、外部からの情報の取り込みを身体のフィードバックとしてはうまくやっているはずですけど、考えながらやろうとすると難しいですよね。ひとたび自転車に乗れるようになると、しばらく経ってからも乗れるという「体得」と、いわゆる「理解」とは、全然違いますよね。

福岡:そういった「体得」は手続き記憶といって、小脳などに記憶されるんですよ。「私は何をした」とか「これは何である」という「理解」、すなわち、エピソード記憶や意味記憶と呼ばれるものは大脳に記憶されると言われています。

大脳は層構造を持っているからこそ、膨大な情報量を保持・処理できると考えられているんですが、実は小脳も小脳で層構造を持っています。

小林:ひょっとすると、外とのやり取りが本質的なものの場合は、小脳側に落とし込まれるということなんですかね。

福岡:そうですね。体性感覚としてフィードバックがある部分に関しては、小脳にいくものも多いんだと思うんですよ。

あ! かなり怪しい領域に入っていきますが、今日話をした、英語などの新しい言語の習得によって、「世界が変わる感覚」っていうのは(第二回参照)、もしかして小脳的に会得するものなのかもしれません。発話や文法構造に関わるウェルニッケ野やブローカ野というように言語中枢と呼ばれる領域は、大脳に発見されていますが、もっと根本的な、「身体が変わった!」というのや「違和感を感じる」というのは、「小脳が関わる感覚」なのかも。

小林:会話はフィードバックの連続ですから、本当にそうかもしれませんね。

福岡:そう考えると、甲野先生が「体育」が重要だっていうのは、実はすっごい的を射ていますよね。ようは、身体の感覚のその、“小脳的学習”の仕方っていうのを基準として、“大脳的な学習”を載せるっていう。

小林:実に理に適っていますね。単なる反復練習の場合はフィードバックがないから、「腑に落ちる」という体得がないということとも整合的ですね。あくまで、自分や環境と絶えずやり取りをしながらの学習でないと本当の体育には、恐らくならない。この話、運動音痴で学校の体育には苦しめられた僕には余計に納得できます。

福岡:晋平さんもでしたか! 僕も学校の体育の出来はそれはそれは悪かったんです(笑)

小林:そうでしたか(笑)。であれば、これも共感してもらえるかもしれませんが、いわゆる体育が苦手なことと、身体感覚が鈍いことは別ですよね。

福岡:ええ。まったくの別物だと思います。

小林:僕は学生に、「雨が降ってきたときに、もし空気抵抗がなかったらどうなるか」を想像してもらったことがあるんです。1000メートルの高さから空気抵抗ゼロで落ちてきたならピストルの弾に近い速さまで加速するので、雨粒が体を貫くはずなんですね。水だって高速になれば固体のように振舞いますから。そのことを、「プールに飛び込むのに失敗して腹打ちするとすごく痛いよな。あれと同じだよ」って説明したんですけど、運動神経いいやつにはそんな経験がないんですよね(笑)。

福岡:するっと入っちゃうから(笑)。

小林:そうそう(笑)。で、運動の苦手な学生がウンウンとうなずいている。僕は小さい頃に、忍者みたいに水の上を走ってみようと真剣に何度も練習したこともあるので尚更わかるんですけど(笑)。そういう自身の体験に基づいた言葉が紡ぎ出せることが「身体感覚が鋭いこと」であって、それが出来たとき腑に落ちた、いや、「小脳に落ちた」と言えるのかもしれませんね。

福岡:そうしてフィードバックを繰り返して、「身体が変わった」ら、「世界が変わる」ことになる。いやあ、怖いなぁ。今日ここまでいろんな面から話しても軸ズレてないですからね。

小林:このドライブ感、本当に楽しいです。要さんとは、前提条件や適用範囲を確認せずに話が出来るのがいい。お互い、言葉の定義をかなり拡張しながら話してますけど(笑)、「使い方」が同じだから安心感があるんですよ。

福岡:ほんまですね。今日オーバードライブしていますもん、僕。さっきから自分が何を喋っているかよく解からない状態でべらべらしゃべっていますから(笑)!

 

◇今までの教育を変えるような「本」について

福岡:甲野先生から、今までの教育にはなかった、発想や生き方を変えてしまうような「本」をぜひ作っていきましょう、というご提案を受けているんですが、僕はまだ、「本」では難しいと思っていて。今話したことに則れば、本質的な体得を促すときには、「本」で「小脳」を動かさなければいけない。でもなかなか、イメージがわきにくい。

小林:「無人島に探検に行く」ことが「本」としての体裁を取っているようなものですよね。

福岡:そうなんです! 一回でできるのではなくて、何回も失敗して、ようやくできるようなものっていう「何か」にならないと…。

小林:それはもはや学校ですよね。

福岡:ええ。学校作った方が早いと思うんです。その副読本として、今までにないテキストっていうのはきっとできるけど、今までにない「教育」を実現する「本」は、僕はまだヒントも得られていない状態です。

小林:こういう人たちと関わって下さい、「熱」に触れて身体に音として響いてくる状態を感じて下さい、ということを伝えられる「本」ですもんね。まさに「人間そのもの」ですね。

福岡:それって、甲野先生がすでになさってるじゃん! って思うんですよ。実際に身体を変えていくような講義、講演。技を体験して、自分の身体が変わったり、吹っ飛ばされる経験すると、目線はすっかり変わってますよね。先生の技を受けると、世界がガラッと変化する。先生を「本」と形容しては失礼かもしれませんが、非常に「小脳的」だと思います。

小林:同感です。その証拠に、先生の本って、読みながら自分でも動きを試しちゃうじゃないですか。だからなかなかページが進まないんですけど(笑)。これって、先生の本に載っていることが単なる「オモシロ実験」じゃないからなんですよ。学びに繋がる要素である、「家に帰ってから子どもが自分でもう一度やってみたくなる」と、「自分でも改良して発展させる余地がある」という要素が備わっているんです。

単なるオモシロ実験のような “One Input, One Result”的なもの(注:1つ条件を変えたら、そこから予想した通りのつまらない変化が1つ得られること。自明なことをやったに過ぎないという意味で、つまらない研究を揶揄するのに使われる)は、学びにならないですよね。子どもたちが自分でも試したくなって、独自に発展させられるようなものがいい。周囲を巻き込めるとなおいいですよね。なんだか妖しい秘密結社みたいになっちゃいますけど(笑)。

福岡:ちょっと怪しいぐらいがちょうどいい(笑)怪しすぎたり、閉じすぎていたりしてはいけないけど、「ちょっとだけよ」なら、いいんですよね、きっと(笑)

 

◇神霊の世界は変容して再び訪れる

福岡:「学校はちょっと怪しい」…いやあ、この話にいくのかぁ。晋平さん、そろそろ科学と宗教の話にいきましょうか(笑)。

…僕、科学は宗教だと思っているんですよ。

小林:僕ももちろんそう思っています。

福岡:そんなあっさり! これ、案外通じないんですよ(笑) 。

小林:そうなんですよね。科学も宗教も説明体系であるという本質が理解されていない。どちらも「最も納得のいく説明」を与えようとしているだけで、「必要に応じて使い分ける」ことすら可能なのに。

雷の原因を、「地面と雷雲の電位の差」とするか、「雷様が太鼓を叩いている」とするか、どちらも「何らかの説明」であることに変わりはないわけです。ただ現代では、電位差の方をより自然な説明として採用している。なぜなら、今は「再現性があるかどうか」という、科学がその理論を支持する基盤となるものをもって、「正しい」としているからです。

僕は以前から、物理のことを「最も尤もらしい屁理屈」と呼んできたんです。その時代ごとに、一番納得のいく説明。当然こちらの知識が深まれば、それに応じてアップデートもされていく。その時点で最も、「これが自然だ」という説明を採用しているわけですよね。ちなみに「理屈」でなく、敢えて「屁理屈」と呼んでいるのは、物理には神秘のヴェールをはぎ取ろうという無粋な面があるからです。

福岡:ここまで通じるのは、もう、本当に怖いですね。こうも同じことを考えている人がいるとは…。せっかくなので、もう一歩踏み込むと、その信仰の世界、なんというか、怪力乱神の世界というのでしょうか、もういっかい回って来ると思うんですよ。今は「怪力乱神を語らず」の世界ですが、絶対にまた、くるっと、追い付いて、神霊の世界がくると思うんです。

小林:僕も思いますね。ただし、これまでのものと形をかなり異にしているはずです。学んで変容していかない宗教なんて偽物ですし、そんなものを奉るのに至っては、ただの思考停止です。科学は再現性を担保できるかどうか、別の言い方をすれば、予言力があるかどうかに信頼をおいているわけですが、宗教は「奇跡を起こせるかどうか」が本質的であると僕は考えています。つまり、「効き目」が必要なんですよ。しかし、既存の宗教体系に「奇跡」は起こせない。宗教が語る言葉は、呪(しゅ)にしろ、祝(ことほぎ)にしろ、現代というハードの上で機能するソフトになっていないんです。

科学も宗教も、その根底に「徹底的に考え続け、試し続ける」という姿勢があるわけじゃないですか。例えばヨブ記のようなレベルの信仰、これって虚心坦懐の究極というか、「自然」に最大限の敬意を払い、その奥底にあるものを「見せて頂こうとする」という姿勢を貫く覚悟が備わっているという意味で、本当の科学だと思うんですよ。

はっきりいって、この世に「理に適っていない」ことなどありませんが、僕らのスペックを超えていることなどいくらでもあるわけです。ジュール・ヴェルヌの「人間が想像できることは、必ず実現できる」という言葉は、人間の能力の高さを謳ったものでしょうけど、僕には逆に、「人間の想像力など、たかがしれているから実現できるんだ」と思えるんです。世界は、自然は、僕らの想像力を軽く超えてきますからね。僕らが気配としてしか感じ取れていないもの、形而下に落とし込めていないものにもちゃんと「理(ことわり)」はあるわけですから。

福岡:まさにそれです。次のステップとして、日本的霊性というもの、別に日本的じゃなくてもいいですが、霊性っていうものが、世界の認識に、視点にどこまで貢献するかっていうのを考えていく時代になってきました。

小林:僕も同感です。ただし、この道は甘くないんですよ。だって、イエスやブッダにすら達成できなかったことなんですから。だけど、それに挑戦しなければ子どもたちに嘘を言うことになってしまうんです。

先生がおっしゃる「本」を作る作業は、まず僕らが世界は面白いということを心の底から実感し、そうなっているということを子ども達に見せることですよね。それは学校や教育の単なる立て直しではない。ましてや、自分は傷つかない高みから知識をこねくり回すことでは絶対にない。端的に言えば、世界中で起きている紛争の一つでも止めることができないのならダメなんです。これはある意味で革命ですけど、それは悲壮感の漂う物でなく、皆が「楽しそう! 自分もやってみたい!」というものでなければいけないんです。続かないんですから。一個人の安寧から世界平和までという「極端」を考えつつも、いつもニコニコしていられる、僕はそれを「海のように大きな器での、明鏡止水」と例えてきたんです。自分のような不肖の弟子にいくらなんでもその課題は、とも思いますが(笑)、きっと要さんもそうでしょうけど、世界の美しさの片鱗のようなものを一度知ってしまうと、目を背けられないんですよね。

(つづく)

 
対談第1回:「止まるという積極的行動」を取ればいい
http://yakan-hiko.com/BN5075

対談第2回:修得してどうなりたいのか
http://yakan-hiko.com/BN5129

対談第3回:勉強とは、何かに向かう姿勢のこと
http://yakan-hiko.com/BN5212

対談第4回:自分が「有限」であることを自覚するとき
http://yakan-hiko.com/BN5259

対談第5回:「失敗」を「謳歌」する
http://yakan-hiko.com/BN5321

対談第6回:同じ歩速で寄り添ってくれる人
http://yakan-hiko.com/BN5321

対談第7回:「問い」が社会の凝りをほぐす
http://yakan-hiko.com/BN5411

 
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小林晋平(こばやし・しんぺい)
1974年長野県長野市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。専門は宇宙物理学・素粒子物理学。東京大学ビッグバン宇宙国際研究センター研究員、日本学術振興会海外特別研究員(カナダ・ウォータールー大学、ペリメーター理論物理学研究所)、国立群馬工業高等専門学校講師および准教授を経て、現在、東京学芸大学教育学部物理科学分野准教授。ブラックホールや宇宙の始まりについて研究する一方で、子ども・保護者向けの物理学や教育についての講演を通じ、教育のあるべき姿を実践的に探求している。前任校の群馬高専では6年連続して学生からベストティーチャーに選ばれ、学生からついたあだ名が「やる気の無料配布」。

福岡要(ふくおか・かなめ)
1988年、東京生まれ。北海道大学生命科学院修士課程卒業。行動生態学、神経行動学専攻。埼玉県育ち、山形県在住。大学時代から高校生用実験プログラムを提供する学生団体を立ち上げるなど、(特に“科学的であること”に関する)教育に疑問を呈しつつ、本質的な教育とは何かを模索している。現在は、“地域おこし協力隊”として町の情報発信を行いながら、「地域資源」について学ぶ地元の小学校・中学校・高校生の総合学習に携わるほか、さまざまな大学生たちと「地域おこし」についてともに考え、実行する活動を行っている(活動一例:地域おこしを学び隊!https://www.facebook.com/tiikiokosiomanabitai.yuza/)。2013年から本メルマガにて、甲野善紀氏と往復書簡「日照雨(そばえ)」を連載中。

 

甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」

2016年8月15日 Vol.130
目次
00 <発売開始>最新作DVD『甲野善紀 技と術理2016―飇(ひょう)拳との出会い』
01 稽古録<非日常的な内観による技から、ごく日常的な内観による技へ>
02 松聲館日乗<ホースクリニシャン宮田朋典氏との出会い 後篇/私の武術の
技も激変させた天才カヤッカーのスティキーン川下り>
03 小林晋平×福岡要対談・第8回<世界は本当に美しいのだろうか>
04 風向問答
05 活動予定

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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[料金(税込)] 550円(税込)/ 月
[発行周期] 月1回発行(第3月曜日配信予定)

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