武田梵声著『野生の声音 人はなぜ歌い、踊るのか』
「もし本質的な演劇がペストのようだとしたら、それは、演劇も伝染性を持っているからではなく、それがペストと同じように潜在的な残酷性の根元を啓示し、前進させ、外部へ押し出し、それによって一個人、あるいは一国民に巣喰った精神の邪悪な可能性のすべてを突き止めるからである。 」
アントナン・アルトー『演劇とその分身』より)
演劇の本質について考えたことがある者ならば誰もが、昨今の感染症(COVID-19)の世界的な流行について、これを芸能の問題として捉え、思考したことがあるはずだ。言うまでもなく、感染症と演劇の歴史的な関係性は非常に深い。
20世紀のラディカルな演劇である不条理演劇もオルタナティブ演劇も、 「ペスト」を思考する中から生まれたのだ。
アルベール・カミュの『ペスト』が、新型コロナ禍で再び注目を浴びたが、カミュは不条理演劇のパイオニアの一人でもあった。また、20世紀演劇論の最大の聖典とされたアルトーの『演劇とその分身』も、その前半はペスト論である。
ペストの持つ熱病的な身体感覚や意識の変容、不条理性……これらは俳優の感覚と極めて類似するというのがアルトーの考えであった。
列島の民俗芸能においても、感染症の神は極めて重要な存在であった。疱瘡神や疱瘡婆は有名で、列島最大の疫神である疱瘡神の芸能は多い。疱瘡神をマレビトとしてもてなし、川に流す芸能や疱瘡囃子、疱瘡踊り、疱瘡を治す力があるとされるアンバ囃子等々。茨城県の民俗神にはケイケイ様という咳の神がいるが、これも昨今の世相にマッチした民俗信仰の一つである。
他にも列島では事八日、すなわち2月8日と12月8日に行う疫神送りの芸能や、やすらい花もまた代表的な疫神送りの芸能である。
また、 『備後国風土記』のいわゆる蘇民将来の説話の中で、感染症神の王とされるのが牛頭天王であるが、この牛頭天王は武塔神とも呼ばれ、スサノオとも習合してゆく。そしてスサノオは折口信夫のマレビトイメージの原像であった。すなわちマレビトの原像と感染症神の王とは、ぴったりと重なるのだ。
感染症は社会を大きく変え、多くの人が苦しみ亡くなる病である。しかしまた、そこから生まれてくる芸能があり、そこから生まれてくる文化もある。
感染症から生まれた民謡としてよく知られているのが、ハワイのホレホレ節である。ハワイはヨーロッパから持ち込まれた感染症により労働人口が減り、その労働人口を確保するために日本や中国からの移民を受け入れた。その時に、日本各地の民謡がハワイで混血して生まれたのが、ホレホレ節であった。
歌も踊りも芸能者も、これまでさまざまな弾圧や抑圧、社会や時代の変化にも翻弄されてきた。しかし、そのたびに芸能はアメーバのようにメタモルフォーゼを繰り返してきた……。感染症の流行の中、芸能が失われることを危惧する人も多いが、それは芸能の本質を理解しないものの杞憂に過ぎない。感染症によって芸能が失われることはないのだ。
ヒンドゥールネッサンスの聖者達は、社会機能を麻痺させる自然災害、戦争、疫病は変容への気づきをもたらすと語っている。近代社会の機能が麻痺した時ほど、かえって、芸能の本質は浮上してくるだろう。折口信夫は第二次世界大戦後、古代東国の民謡を改めて捉えなおすように弟子達に伝えたが、東日本大震災も、今回の感染症パンデミックも、我々が歌や舞の本質を見直す契機となるはずだ。なぜなら、歌や舞とは、そもそも世界、宇宙のバランスが乱れた時に、そのバランスを真釣り合わす機能を持っていたのだから。
フクロウは、世界各地において芸術や芸能の象徴とされているが、フクロウが暗闇で活動をするように、芸能もまた、暗黒の時代に目覚めるだろう。芸能は、危機的な状況を乗り越えてゆくための思考の源泉であり、身体知の坩堝である。新型コロナ禍はもちろんのこと、この先に起こるであろう、様々な困難を乗り越え、世界の均衡を真釣り合わす古代人の智慧なのだ。
我々はホモパフォーマンス(芸能する人)であり、ホモレリギオースス(宗教を持つ人)である。岡本太郎の明日の神話のマレビトのように、おそらくは世界の果てまでも歌い踊り続けてゆくのだ……。
人間を深く愛する神ありてもしもの言はゞ、われの如けむ。 (釈迢空)
これは、折口信夫の晩年の歌であり、スサノオと折口信夫自身を重ねてゆくものであったが、折口は硫黄島で戦死した折口春洋の鎮魂と、戦後における神の在りかた、神道の在りかた、芸能の在りかたを沈痛な思いで思考していた。この歌は、その顕れであり、すべての芸能を突き抜けた先に顕れてくる「人類教」の発想へと展開していったのだ。
今こそ、我々は戦後の折口信夫の沈痛な思いと思考を考えるべきである。そこに新たな芸能の可能性があり、新たな世界の在りかたがあるのだから。
歴史学者であるアーノルド・トインビーは今から50年ほど前に、もう西洋文明を取り入れる時代は終わったと語っている。新しい歴史は非西洋文明が、自分の文明の原理により科学技術文明をそのなかで考える時代に入らなければならないというのだ。アジアやアフリカから、新たな近代が発生するだろう。それはこれまでのように西洋から生まれた近代ではなく、野生の思考や国学的な思考を基礎にした近代だ。
それはこれまでにも無意識的には行われてきたことではあったし、災害や感染症に対する日本人の発想がアニミズム的であることは、海外の人々からはたびたび指摘されてきたことだ。しかし、これからは社会全体がより意識的にその領域を発動させねばならないフェイズに来ている。本書でここまで重ねてきた古代芸能の思考はその基礎になりうるものであると私は確信している……。それは人類全体が数百万年に渡り、基礎にしてきたものを改めて捉えなおすことなのだ……。
バガヴァティ女神は、インドのケララに伝承される天然痘、コレラなどの疫病の女神である。ケララの芸能であるムディイエットゥにおいて、バガヴァティ女神は祟られないように丁重に扱われる。なぜなら、少しでも気にくわないことがあるならば、バガヴァティ女神は、天然痘やコレラにより、あらゆるものを破壊してしまうからだ。ただし、ムディイエットゥのバガヴァティ女神は、絶対にすべてを破壊しつくすことはない。それどころか、ムディイエットゥのバガヴァティ女神は必ず、再生の種を残してゆくのだ。
我々がいかに過酷な状況に置かれようとも、そこにはバガヴァティ女神の再生の種が必ず残されている。芸能者とはそれを発見し、育てる存在なのだ……
武田梵声著『野生の声音 人はなぜ歌い、踊るのか』
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