やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

「テレビに出ている若手ロシア専門家」が古典派ロシア研究者にDISられる件


 まあ端的に言って東京大学先端科学技術研究センターに抜擢された小泉悠さんほぼ名指しなんですけれども、成蹊大学名誉教授の富田武先生らが発表した提言からは、ロシア研究だけでなく、実学と研究領域の持っている慣習や常識の差のようなものはあるんだろうと思います。

「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」 ロシア史研究者有志が声明発表 専門的見地から行動提起

 声明のメインでもある、ロシアとウクライナでの紛争において、停戦と停戦の仲介を求める内容はもっともで、こんな馬鹿な侵攻でウクライナ人もロシア人も血を流すべきではないのは間違いない、これはもう誰もが賛同するところですね。

 他方、いみじくも富田武さんが記事でも引用されたような発現にもあるように「ロシアの現在の蛮行は、日本がかつて満州事変以後に中国本土でくり広げてきたこととほとんど同じではないか。そのことの反省と自覚を抜きにして、ロシアが悪いとだけ主張する考え方に強い違和感を覚える」という話で、これは旧来の学術研究の人たちがかなりデフォルトで持っている第二次世界大戦の大日本帝国がやらかしたことへの強烈な内省的態度に依拠するものであって、実際にロシアとビジネスで関わる私どものような人間からするといまの日露関係でその問題を持ち出すこと自体がナンセンスなのではないかとも思うわけですよ。

 私は極東しかロシアは良く分かりませんし、クレムリンのことはシベリア連邦管区を通して仰ぎ見る感じで付き合ってきましたので、2014年のクリミア併合についてすら、具体的なことは一切、外に言及してきませんでした。良く分かりませんから。ただ、ロシアの地方を通してロシア人全体を理解しようとするとき、やはり「政治的にも産業的にも近代化の波を受けたら分裂しかねない危ういロシア」や「地方の暮らしは未開発国並みだけど、国単体としてはアメリカとタメで戦った超大国だったロシア」という文脈は肌で強く感じることになります。

 その際に、古くは丹波実さんなど、私の父親がソ連貿易で現役だったころにお世話になった本来の意味でのロシアンスクールの皆さんの薫陶というのは私ら商売人の感性の中にも生きていて、例えば廃プラスチックなどの産業廃棄物や中古車、廃自転車などの鉄くずをロシアにリサイクル材として輸出したり、石炭やコバルトなどの原料品を日本へ持ち込むだけの関係では済まない日露間の紐帯、情念みたいなものもあります。どこの国の人と取引をしても感じることではあるけれど、でもロシア人にはロシア特有のおおらかさ(適当さ)と即物的なプラグマティストとしての若干短視眼的な商売観があります。

 このような話をするとき、日本の側のロシア研究が特段に役に立ったことは(少なくとも私の経験では)なかったし、チェチェンのときもグルジア(ジョージア)のときも取引相手のロシア人たちと酒を飲みながらその手の話をすることはあっても「クレムリン(プーチン政権)の話は俺たちは分からないから」とか「最後、どうしようもなくなったら、尻ぬぐいできなくなった奴らがシベリアに飛ばされてくるだろう」ぐらいの話しかしないわけですよ。その中で、モスクワやサンクトペテルブルクから降りてきた役人や教授のような知識人ですら、日本人の私を見て「お前らの戦争」と言われたとき指すのは1904年の日露戦争なのであって、そもそも彼らの歴史観の中に満州もなければ第二次世界大戦で不可侵を一方的に破棄して北方領土(クリル諸島)に侵攻したことなどささいなこととおおらかに考えているようにも見受けられます。

 極東でのロシアとの関係を見る意味では、やはり2012年ウラジオストクで開催されたAPEC以降、旧民主党政権から自由民主党と公明党連立政権で最長宰相となった安倍晋三さんの6回にわたる日露首脳会談まで、一貫して、まあなんとなく良好な感じで交流が続いてきました。浮き沈みは当然あるけれど。でも、日本側のいままでのロシア研究がこれらの日露関係を支えるような理論的支柱となったり、判断する際の役に立つ知識の提供にまで至っていたかと言われると、あまり考慮されてこなかったのではないかとも思います。

 そして、そういう実益上の日露交流だけでなく、今回のようなウクライナ問題が勃発したとき、いままで誰も日本のロシア研究をしてきた人たちを参照してこなかった以上は、テレビマスコミも新聞ラジオネットニュースに至るまで、彼らにお声がかからなかったのは自明のことでしょう。同様に、彼らのロシア研究はこと今回のような具体的な軍事やネットを使ったOSINTといった方面にまでなかなかウイングを広げることはできなかったため、露宇紛争の現況を踏まえた分析をするには至らなかったのもまた事実ではないかとも感じます。

 極東のロシア人も、ある程度知見のある人たちは英語系メディアに親しんで情報を入手しようとするものの、一般的には牧歌的にロシア国営放送を見てあまり疑問も持たずになんか大変なことになってしまったなと思っているようですし、息子が徴兵されていって心配しているというリアルを持っています。そのような状況で、日本の役割がロシアとウクライナ戦争の抑止のために努力しようという大串は理解するものの、70年も前の満州や第二次世界大戦の反省を日本がするべきだと声明に盛り込んでしまうのはやはり価値が乏しいと感じざるを得ず、また、そのようなロシア研究が日本のアカデミックで本流だったとするならば、さすがに観念が硬直化しすぎであり問題なのではないでしょうか。

 個人的には、ロシアによるウクライナ侵攻問題は、とりもなおさず軍事的強国が、指導者の断固たる意志をもって他国を攻撃したとき、その是非を問わず国際社会なるものがそれを止めることはできないということを一層強く学んだのが実際ではないかと思います。それは、南スーダンやイエメンなどいまなお続く内戦と虐殺の連鎖や、アフガニスタンの出口戦略、果てはシリアなども問題の地続きとして存在しています。武力による現状変更は認めない、と口で言うだけでなく、具体的な軍事作戦や経済制裁という政策とパッケージにならなければ実効性が乏しいだけでなく、同じような領土領海的野心に対して日本がどのように対処するのか、また、そこにいる日本人の生命や財産をいかに保全していくのかは極めて重要な外交課題を突き付けているものとも言えます。

 その意味でも、きちんと総括するべきものは他にあり、いまのウクライナ情勢を適切に紹介し解説を行っている、ロシア研究や軍事研究を手がける人たちをDISってる場合じゃないと私は思うんですけどね。
 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.365 古典派ロシア研究者の物言いに感じる違和感を語りつつ、出口なしの大手製造業経営破綻や被害拡大が止まらないサイバー攻撃について考える回
2022年3月30日発行号 目次
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【0. 序文】「テレビに出ている若手ロシア専門家」が古典派ロシア研究者にDISられる件
【1. インシデント1】マレリHDの事業再生ADR入りと日産どうするの問題
【2. インシデント2】ITリテラシーだけではどうしようもなくなりつつあるセキュリティリスク
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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