1992年、大前研一さんが提唱していた「平成維新(の会)」はなかなか衝撃でありまして、まだ当時は「新自由主義」というものが何者か皆良く分かっておらず、失われた10年の立役者でもある竹中平蔵さん(と故・与謝野馨さんの戦いのなか)で「あ、これはアカンのでは」となるまで日本再興のビジョンとして輝きを放っていました。
当時で言えば、茂木敏充さん、長島昭久さん、長妻昭さんといったいまの時代にも繋がる大物もいましたし、朝日新聞の船橋洋一さん、北海道知事の横路孝弘さんといった、党派を超えた繋がりがはっきりあり、京セラの稲森和夫さん、連合の山岸章さんなども名を連ねていた、いまではちょっと考えられないようなカウンター感がありました。
もちろん、後講釈で言えば単に日本の政治が混乱しただけだったんですが、私も「確かにこれはそのまま実現したら面白いんじゃないか」と柄にもなく興奮したこともありましたし、選挙の手伝いに駆り出されていろいろやったりしました。
で、これというのは日本再興のビジョンという意味においてポスト・バブル経済の処方箋であり、日本をより強くするには、より良くするにはどういう政治が必要かという話であって、要は「プラスサムを日本はまだまだ積み上げられる」という楽観的で積極的な政策議論であったのが特徴的でした。つまり、地方分権も財源移譲も、すべては更なる日本の国威高揚のためという大テーマがあって、それにはいままでの自民党政治の延長線上ではダメだという原則に具体的な道州制や大規模な規制緩和といった風呂敷が広がっていました。
90年代は、まだ日本は上を見ていられた時代なんですよね。
そこから平成を過ぎて令和になって30年弱が経過し、現在の日本でも同じように地方分権の議論は出てきておりますが、平成維新のころの地方分権・道州制の議論とは随分様変わりした話になっています。現在は、撤退戦としての地方分権であり、ふるさと納税であり、地方創生であり、一億総活躍社会です。あげあげに日本の活力をより高らしめる平成維新から、衰退著しい地方経済・社会のために延命治療を目的として人口減少地域にもわずかな光をと予算配分していく令和時代になるのは、こりゃまた何なんでしょうか。
翻って、先日元新潟県知事で医師・弁護士の米山隆一さんがツイートで「一人当たりGDPでは日本はランクを凋落させた」という内容から、日本はこの30年間の衰退の総括をしていないのではないか、議論が必要だという趣旨のことを書いておられたので、激しい共感を抱きつつヤフーニュースに記事を書きました。まあ、これはこれで賛否両論だったのですが、ひとつ特徴的なのは、一人当たりGDPのランキング下落は日本の衰退を意味するということに合意でも、そのランクを上げるためには金融やソフトウェア、通信、観光などの利幅の高いビジネスに国家の産業を集中させることに対して自覚的ではなさそうだという点です。
別の言い方では、一人当たりGDPを引き上げるのが国富をもたらし社会を豊かにするのだとするならば、GDPを引き上げない産業には補助金を出さず、競争力のない地域は見捨て、低賃金で働く高齢者は厳格に最低賃金政策を管理して給料を払うようにしてそれに満たない労働は禁じるぐらいのことをしないと駄目です。
つまり、一人当たりGDPを引き上げることに貢献しない国民、地域、産業には国家としてリソースを入れませんという話をする必要があるのですが、そうすると途端に反対論が渦巻くことになるでしょう。なぜなら、一般論として、総論において「一人当たりGDPは大事だ」と言えても、個別論で「あなたの稼ぎは少ないので、より稼げる産業にご自身は移動するか、そういう稼ぎができるスキルが得られるように努力してください」という現実を突きつけられてしまうからです。別に40代、50代からでも英語を覚えて海外でビジネスができるようにしてほしいということまで踏み込むつもりもないのですが、しかし農業国であるフランスよりも日本の一人当たりGDPが少ないという理由は間違いなく競争力のない産業に日本国民がいまなお数多く従事しているからであって、それらは主に霞が関の中央官庁で日本全国均一の政策と法律で国家運営がされているからに他なりません。
そうであるがゆえに、なるだけ早い段階で地方に権限と財源を移譲し、道州制とまでは言えなくてもその地域のリソースに対して合理的な政策を地元が自身で考え実行できる方法論を確立していかなければなりません。もちろん、安全保障上の問題は多々あり、ある過疎化した地域に地方行政が大量の移民を殖産目的で呼び込んだら地方自治を取られて独立されてしまうかのようなリスクもまたありますし、地方行政も経済改革を成功に導けるノウハウを持たないからこそいまの体たらくがあるので、結局は責任の押しつけだろうという議論もまたあります。
その点では、大前研一さんのころはまだ日本に希望も未来もあったなあと思う一方、でもそれは幻想にすぎず、結局は人口減少とグローバリズムの進展で自沈の方向に向かわざるを得なかったというのは神津多可思さんの著書でも明確に著されている内容です。
突き詰めれば、国際競争力を取り戻すために、出生から教育、産業育成にいたるまで一貫した政策を取り世界に打って出られるような国づくりをするべきかという議論になります。それは、一方で対応できない人たちは切り捨てざるを得ない、ある程度の格差はやむを得ないという方向に行くことにもなります。
逆に、そういう格差など容認できない、日本人はもっとみんな仲良く自沈するべきだ、等しく貧しくなろうという議論もなお、あります。安倍晋三さんは総理・宰相として大変な豪運に恵まれた稀有な指導者でしたが、グランドデザインを描く人材をついに確保することはできず、もうしばらくで任期を全うすることになります。これが日本にとって小康状態を保った幸せな時期だったと振り返るのか、大前研一さんが提唱したころの平成維新以降、失われた10年が失われた30年になっただけの、歯止めの効かない長期政権だったと総括するのかは、まだ結論が見えないところです。
悩ましいところではありますが、残念なことに、これが日本の民主主義なのだなあと思わずにはいられません。
お詫び:神津多可思さんのお名前の表記に誤りがありました。謹んでお詫びし、訂正させていただきます。
やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」
Vol.277 平成と令和それぞれの時代の視点から日本再興の理想と現実を考えつつ、このところの中国にまつわるあれやこれやを語ってみる回
2019年10月29日発行号 目次
【0. 序文】ついにアメリカがペンス副大統領の大演説で対中対立の道筋がついてしまう
【1. インシデント1】Microsoftがスマホ市場へ再参入の妙
【2. インシデント2】ビットコイン相場の急回復、中華「上に政策あれば、下に対策あり」の戦い
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A
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