文字の文化を生きる者が、文字以前の世界を思い出す意義

『声の文化と文字の文化』ウォルター・オング著

「脳」以前の思考

thinking(=考えること)というと、普通私たちは、脳の活動を前提としたある程度高度な認知過程を想起するが、神経系の活動を基盤とした高度な「思考」の背景には、常に身体を舞台として展開する情動(emotion)のプロセスがあり、さらには内分泌系や免疫系が司るホメオスタシスの働きがある。思考の過程がそもそも脳以前に、こうしたより基本的な身体の働きを前提としていることを考慮すれば、思考の能力を、複雑な脳を持つ生物の特権と見做すよりは、むしろ、内分泌系に基礎を置く植物的「気分」の世界や、単純な情動過程が織りなす単細胞生物の「ゾウリムシ的思考」のうちに、すでにthinking の萌芽のあらわれていると見做す方が自然であろう。

私たちの思考はあくまで、植物やゾウリムシなどに見出される原始的な「思考」の形式の延長線上に育ってきたのであって、その過程の大部分は本来意識に登ることなく淡々と進行する。そうした淡々と流れる思考のプロセスに「意識」が介入するようになったのはごく最近のことである。

例えばジュリアン・ジェーンズは、自己意識が発生する以前の「二分心(bicameral mind)」の人は、神の声を直接聴き、それにしたがって行為していたと説いたし(『神々の沈黙』)、安田登氏は、中国で「心」という字が生まれる以前、人びとは、自分の力ではどうすることもできない大きな力によって動かされている「命(メイ)」の世界を生きていたのではないか(『身体感覚で「論語」を読みなおす。』)と説いている。

意識にすっかり毒された私たちは、全身の強張った筋肉で「あたま」を支え、目を剥き、「近」を思考するロダンの「考える人」に thinking の姿の典型を見出すが、微笑をたたえ、筋肉はのびやかに解放され、「遠」と交流する弥勒菩薩の姿にもまたthinking のもう一方の極限のひとつの典型を見出すことができるのではないか、と言ったのは三木成夫氏であった(『海・呼吸・古代形象』)。

thinking とひとことでいっても、そこには比較的最近はじまった、意識の介入を前提とする積極的な thinking もあれば、私たちの中に脈々と生き続けている植物的傾向の延長線上にある観得的な thinking もあるのだ。

1 2

その他の記事

PlayStation VRを買ったら買うべきコンテンツ10選(西田宗千佳)
「狭霧の彼方に」特別編 その2(甲野善紀)
僕たちは「問題」によって生かされる<後編>(小山龍介)
回転寿司が暗示する日本版「インダストリー4.0」の行方(高城剛)
「プログラマー的思考回路」が人生を変える(家入一真)
「政治メディア」はコンテンツかプラットフォームか(津田大介)
IT野郎が考える「節電」(小寺信良)
ビデオカメラの起動音、いる?(小寺信良)
嗤ってりゃいいじゃない、って話(やまもといちろう)
「何をやっても達成感を感じられない時」にやっておくべきこと(名越康文)
オリンピックという機会を上手に活かせたロンドンは何が違ったのか(高城剛)
「電気グルーヴ配信停止」に見るデジタル配信と消費者保護(西田宗千佳)
カバンには数冊の「読めない本」を入れておこう(名越康文)
喜怒哀楽を取り戻す意味(岩崎夏海)
「一人負け」韓国を叩き過ぎてはいけない(やまもといちろう)

ページのトップへ