身体技術の断絶
それにしても今回、農作業の実技講習会を行なってみて、最近私が折りに触れて語っていることだが、大袈裟に言えば有史以来連綿として大人から次の世代へと受け継がれてきた生活の基本となる身体技術が、ここ数十年ぐらいの間にほぼ断絶した事をあらためて思い知る。
日本に生まれれば、誰でも特別習わないのに日本語が喋れるように、アメリカに生まれれば英語、中国に生まれれば中国語、フランスに生まれればフランス語が誰でも喋れるようになる。これは、極めて吸収力のある幼児期に言語に接するからだ。身体の使い方の基本の習得もこれと同じで、幼児期に自然と見取って、その時すぐには出来なくても、その動きの骨は身体の感覚の中に刻み込まれ、継承されていた。それがここ数十年の間、様々な機械の発達により、すっかり失われてしまったのである。
絶滅危惧種の生物は、はっきりと目に見える。だが、目に見えにくい技術の伝承は、すでにこれほどまでに滅びてきているのである。しかし、その問題を指摘する声は小さい。中学校で武道を教えるより、もっと幼い時期に基本的な人間の生活技術、労働技術を、その道のスペシャリストから学ぶような機会を作らないと、この先、本当に「道具を使う霊長類」としての人間は益々退化してしまうだろう。
最近は時代劇の衰退を嘆く映画人や俳優といった人達の中から、時代劇の文化を次代へしっかりと継承してゆくことで、日本の文化を支えようという動きがあり、私も協力を依頼されているが、場合によっては今後そうした動きとも連携して、この日本の風土で育った様々な職業の身体の動作法を継承、また復元することをやってゆきたいと思う。こうした事は、能や歌舞伎の伝承以上に意味のあることではないだろうか。
<甲野善紀メルマガ『風の先、風の跡』Vol.23、「松聲館日乗」より>
その他の記事
|
回転寿司が暗示する日本版「インダストリー4.0」の行方(高城剛) |
|
いまそこにある農政危機と農協系金融機関が抱える時限爆弾について(やまもといちろう) |
|
週に一度ぐらいはスマートフォンを持たず街に出かけてみよう(名越康文) |
|
あまり参院選で問題にならない法人税のこと(やまもといちろう) |
|
統計学は万能ではない–ユングが抱えた<臨床医>としての葛藤(鏡リュウジ) |
|
住んでいるだけでワクワクする街の見つけ方(石田衣良) |
|
仮想通貨最先端のケニア(高城剛) |
|
今後20年のカギを握る「団塊の世代」(岩崎夏海) |
|
小商いと贈与(平川克美) |
|
「レゴとは、現実よりもリアルなブロックである」(宇野常寛) |
|
暦から社会と自分の未来を読み解く(高城剛) |
|
優れた組織、人材でも、業界の仕組みが違うと途端に「能無し」になってしまう話(やまもといちろう) |
|
『秋の理由』福間健二監督インタビュー(切通理作) |
|
まるで漫才のような“5G最高”と、“5Gイラネ”が交錯した韓国5G事情(本田雅一) |
|
見捨てられる子供の安全(小寺信良) |











