ネットは本当に「個人」のメディアなのか?
井之上:なるほど。とてもよく分かりました。あともう一つ、私が気になっているのが、ネット上には、「組織で動く」ということに対して抵抗感を持っている人が多いなあという点なんです。ネットは「個人」のメディアであり、これからは「個人」の時代であるという感覚を持っている人が多い気がします。
でも、実際、津田さんのメルマガは、スタッフを何人も抱えてチームで作っていますし、堀江さんのメルマガにしても、編集のSさんが堀江さんにガッツリ協力して作っています。つまり、少なくとも今日本で1位、2位の購読者数を誇るメルマガは、決して「個人」で作っているわけではありませんよね。
津田さんは、この辺りをどうお考えですか。やはり、個人ブログというのは、紙の出版システムに対するアンチテーゼとしての機能も果たしていたと思うんです。アルファブロガーたちが持ち上げられたのも、「編集や校閲の手を借りずに一人で書いている」というところに対する賞賛の気持ちもあった気がするのですが。
津田:たぶん、今、僕が一人で津田マガが出せるかどうかで言えば、「出せる」んです。もちろん、誤字チェックやファクトチェックはゆるくなると思います。でも、他の仕事をすべて蹴って、メルマガだけに専念すれば、おそらく一人で発行し続けることはできる。まあ、それは僕がたまたま編集の技術を持っているからなんですけどね。
でも、僕はメルマガを始めるときに最初から編集者を入れようと思ったし、これからも入れると思います。その理由は単純で、そのほうが面白いものが作れるからです。すべて自分で書いていては、時間的な問題で、どうしても活動の幅を狭めざるを得ません。僕がどんどん人と会ったり、取材をしたりして、面白い話を溜めていく。そして、それを編集の人が読みやすい文章の形にして世に出す。これがもっとも読者の満足度が上がる方法だと考えています。
まあ、そうは言っても、『メディアの現場』の6人体制はやっぱりイレギュラーですよね(笑)。本当は、優秀な書き手もしくはしゃべり手と、それを分かりやすくまとめられる優秀な編集の「ミニマム2人」の体制が一番いいと思うんですよね。
すごく実践的な話をすると、おそらくメルマガで一番大変なのはテンションを維持することなんです。最初のころは、気合が入っているし、ネタもあるから、すごくいいメルマガを作れますけど、だんだんマンネリ化してくるし、自分の中のネタも枯渇してくる。それを回避するためにも、外に出て取材したり、人と会ったりするのは、とても大事なんですね。だからこそ、アウトプットを任せられる編集者が必要なんです。
キャラクターの強いフロントマンが、とにかく外での活動に注力してインプットする。そしてそれを優秀な編集者が「読みやすいテキスト」の形に料理してお客さんに出す。これが最強だと思いますね。
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