アヤシイ印象を払拭したかった
ぼくの表看板は「占い」ということになっている。世間ではぼくは占い師になっている。若いころは、この「占い師」というウサンくさい響きがどうにも嫌いでしかたがなく、あれこれ悩んで「占星術研究家」だとかそのあとに「翻訳家」などとつけてはそのアヤシイ印象をなんとか払拭しようとしていた。
血気さかんなころは、「占い師のカガミさんです」と紹介されるたびに、内心、カチンときていたりもしたのだった。(占星術ファンのためにいうと、ぼくの出生ホロスコープでは月は勝気な牡羊座にあるのだといえば、その「カチン」感もきっと伝わるだろう)
いろいろな抵抗をしてきたけれど、個人鑑定はしていないとはいうものの、「星占い」原稿でおまんまを食わせていただいているのは確かだし、大手プロバイダーさまたちが運営している占いサイトでコンテンツを提供、そのページのなかではほかの多くの先生がたと同じように「占い師」としてカテゴライズされているので、「占い師」カガミというアイデンテイテイも、まあ、仕方がないと最近では受け入れるようになってきた。いいもん、ぼくはぼくなんだし。(と開き直りか)
しかし、この「占い師」という言葉、今度はカッコつけて英文表記などになったときに、またしても頭を抱えることになってしまうのである。
占い師を英語で言うと、なんというか。
簡単な辞書をひくとFortune Tellerという言葉が出てくる。「占い」はFortuneTelling.そこで、海外の方にはFortune Tellerのカガミと紹介されることにもなるわけだが、この言葉、関係者にとっては「カンベンしてくれー」といいたくなる呼称なのだ。
フォーチュン・テリングは「運を語る」とか「幸運を告げること」だから、カッコいいじゃん、などと思うのは大いなる勘違いなのだ。英語圏で、多少なりとも占いや占星術に真剣にとりくもうとしている者であれば、「フォーチュン・テリング」という言葉はNGワードだというだろう。
この言葉には、どうもお遊び的で、軽薄、場合によっては一種の詐術のようなニュアンスがついてまわるのだ。
では、なんという言葉を使うべきか。
それはずばり、Divination、デヴィネーションである。この言葉はもちろん、Divineという言葉からきている。Divineというのは、「神にかかわる」「神からの」「神聖な」といったような言葉だ。お遊び的なものとは異なるという荘重なニュアンスがこの言葉にはある。
ギリシャ語ではこれにあたる単語はmantike、ラテン語ではmancyであった。たとえば、手相占いのことをChiromancyといったりカード占いをCartmancyといったりするけれども、これは手(カイロ)のmancyであり、カード(Cart)のmancyであり、ともにDivinationであるということになる。
だから、まじめな占い師はフォーチュンテラーではなく、ディヴァイナーと呼称するほうがずっと好ましいのだ。
もし、あなたが外国の占い師さんに会った時には、「フォーチュンテリング」ではなく、「デヴィネーション」という言葉を使っていただきたいのであります。その瞬間、きっとその占い師さんはあなたに一目置いてくれるはず。

その他の記事
![]() |
「おじさん」であることと社会での関わり方の問題(やまもといちろう) |
![]() |
情報を伝えたいなら、その伝え方にこだわろう(本田雅一) |
![]() |
タンザニアで感じるトップの死に対する本当の評価(高城剛) |
![]() |
晴天率と自由な気分は比例するという話(高城剛) |
![]() |
視力回復には太陽の恵みが有効?(高城剛) |
![]() |
ブラック企業と奴隷根性(岩崎夏海) |
![]() |
無意識の領域へアクセスするあたらしい旅路のはじまり(高城剛) |
![]() |
中国からの観光客をひきつける那覇の「ユルさ」(高城剛) |
![]() |
ゆとり世代がブラック企業を育んだ(岩崎夏海) |
![]() |
お盆の時期に旧暦の由来を見つめ直す(高城剛) |
![]() |
ひとりで「意識のレベル」を測る方法(高城剛) |
![]() |
再びサイケデリックでスイングしはじめるロンドン(高城剛) |
![]() |
イタリア人にとっての「13日の金曜日」(高城剛) |
![]() |
「先生」と呼ぶか、「さん」と呼ぶか(甲野善紀) |
![]() |
Oculus Go時代に「Second Life」を思い出す(西田宗千佳) |