西田宗千佳×小寺信良対談 その4(全5回)

PCがいらなくなる世界

「ちゃんとしたものを自分で作りたい欲」がない

西田 ない。違うんですよ。でも、そこでiPadとかを渡されて、満足するほどのリテラシーはないんですよ。要は、パソコンではこういうことが全部できる、ってわかってるけど、iPadとかでいいのか──

小寺 踏ん切りがつかないんだね。

西田 そう。僕らだと、それだったらiPadでいいんじゃない? って思うけれど、パソコンでできることしかわかってないから、「やっぱりパソコンください」ってことになってるんですよね。

小寺 それは周りもそうだからかなあ。

西田 多分そうだと思うんですよ。まだ高校生ぐらいだと、パソコン持ってたってそれでレポート書くわけでもないし。で、プログラミングするとか、写真いじるとか、そういう人間も多いわけじゃない。なんというか、ひとつのリビングツールって感じですよね。

でも、彼ら彼女らにとって、僕たちがレンタルCDで音楽借りたり、FMラジオ聴いてエアチェックしたり、テレビ見てたりしたのと同じものが、間違いなくYouTube、ニコ動に変わってきてるという印象はある。

小寺 じゃあiPodにしろ、ウォークマンにしろ、母艦になるもの、っていう感覚はないのかな。

西田 へんてこなのはね、ダイレクトレコーディング使うんですよ。

小寺 おおー、CD直録り。

西田 直録り。俺びっくりしたんですよ。「お、ウォークマン使ってんだ」と。シンクしてんのかと思ったら、CDからダイレクトレコーディングしてるんですよ。なんでお前そんなめんどくさいことすんの、って聞いたら、いや、パソコンの方がめんどくさい、って。

小寺 パソコンの何がめんどくさいんだろう。やっぱり使い慣れないからかなあ。

西田 そうなんだと思うんですね。パソコンに入れて、パソコンの中でライブラリを管理するという考え方がない。

あと、ちらっと聞いてもうひとつ思ったのは、友人から自分で編集してCD-Rに焼いたのが回ってるじゃないですか。そうすると、当然CDDBのデータベースにマッチングするわけでもないから、取り込んだって曲名がつかないわけですよ。どうせつかないんだったら、パソコンにデータなんか入れない。こっちでいいや、って話になる。

へんてこな話だな、とは思うんだけど、でもレンタルCDからダビングしたものをみんなで融通しあう、というのが基本だって考え方になれば、そういうこともあるのかなと思ったんですね。

小寺 でもそういうベスト盤的なCDを作るのはパソコンでやってる?

西田 パソコンでやってる。だから、できる子はいるんですよ。

小寺 ふうん。なるほどなあ。でも、自分もできるようになりたいとは……

西田 思ってない。そのへんがね、ちょっと僕も微妙なんですけど、僕らの時には、テープに好きな曲を集めてベスト盤を作るとか、レタリングを一生懸命貼ってラベル作るだとかって、わりとみんなやってた記憶があるんですね。でも、そういう行為を、今みんながやりたがってるわけじゃない、っていう変化はどこから来てるのかな、と。

小寺 昔あんだけいろいろやってたのは、多分、“渇望”があるんだと思うんですよね。

西田 渇望。ああ、なるほど。

小寺 いわゆる、「ちゃんとしたものを自分で作りたい欲」ですよ。パソコン教室に行くと、Wordを使ってお知らせのビラ作りましょう、みたいな題材も多いんだけど、ああいうところにも繋がる話なのよ。既製品っぽい、ちゃんとしたものを作りたい、という欲望。手芸とかさ、そういうところもそうなんだけど。

西田 ああー、それはそうかもしれない。

小寺 要は、手作りでもちゃんとしたものが作りたいという渇望が昔はすごくあって。テープ編集とか、インレタ(インスタントレタリング)で一生懸命曲名書くとか、ちゃんとしたい、っていう渇き。

西田 ああ。そういう意味で言うと、DVDとかブルーレイへの、番組をきっちりCMカットしてダビングしたい欲、というのも、年齢によって区切れてる気がするんです。

小寺 多分そうです。あれは要するに、元の映画の形に復元したい、というだけですし。

西田 そうそう。

小寺 きっちりしたいんでしょうね。“きちんとさん”現象(笑)

西田 うん、うん、そうそう(笑)。

小寺 今まで日本はずっと“きちんとさん”を育ててきたんだけど、そこから脱落する人たちが出てきたってことでしょうね。そういう意味で、目的を見失ってる人が多い、ってことかもしれない。自分がやんなくても誰かやってくれるわけだから。

西田 で、特にYouTubeとかニコ動があることによって、別にそれは商業コンテンツって意味じゃないんだけど、誰かがやってくれたものがけっこうあるわけじゃないですか。

小寺 うんうん。

西田 そこにけっこうな人がハードル乗り越えて、作る側にがーっと行き始めてる。他方で圧倒的な数が、“きちんとさん”にもなれず(笑)、受容する側にいる。そこの溝というのが、昔に比べるとどんどん広がってんのかなと思ったんですよね。

1 2 3

その他の記事

隣は「どうやって文字入力する」人ぞ(西田宗千佳)
会社を立ち上げました–家入流「由来を語れる」ネーミングについて(家入一真)
なぜ若者に奴隷根性が植えつけられたか?(前編)(岩崎夏海)
『仏像 心とかたち』望月信成著(森田真生)
“リア充”に気後れを感じたら(名越康文)
残暑の中で日本だけに定着したマスク文化を考える(高城剛)
対人関係の9割は「自分の頭の中」で起きている(名越康文)
2023年は「人工知能」と「公正取引」の年に(やまもといちろう)
仕事とは「何を」するかではなく「どう」するかだ(岩崎夏海)
マイルドヤンキーが「多数派」になる世界(小寺信良)
本当に大切な仕事は一人にならなければできない(やまもといちろう)
急速な変化を続ける新型コロナウィルスと世界の今後(高城剛)
カタルーニャ独立問題について(高城剛)
実際やったら大変じゃん…子供スマホのフィルタリング(小寺信良)
がん治療・予防に「魔法の杖」はない?–「転ばぬ先の杖」としての地味な養生の大切さ(若林理砂)

ページのトップへ