◇政治的パフォーマンスと視聴率狙いの報道
「レーガン大統領はお化粧していましたよ」
大学生のとき、私が政治学者の佐藤誠三郎先生のゼミで聞いた話です。佐藤先生は米国の政治家たちともつながりが深く、頻繁に米国に行っていました。当時はレーガン政権の真っ只中、ゼミの中で、お土産話をしてくれることがあったのですが、「そうか。政治家は男が化粧する時代なのか」という驚きの感情とともに覚えています。
それまでも米国の政治家は、1960年、ケネディ大統領が初のテレビ討論会をきっかけにニクソン候補を逆転し、大統領に就任して以来、テレビの影響力については様々な研究がされていましたが、その20年後の80年に就任したレーガン大統領になると、化粧までするようになったのです。
もともと、レーガンはハリウッドの俳優で、ハリウッド労働組合の委員長です。まさに世界最高の映像技術がレーガンのチームにあり、テレビ映え重視の戦略でした。テレポリティクスの初代大統領となったのです。それまでは非常に中身があって、判断力がある人をリーダーにというのが世界的なコンセンサスでした。
たとえば、ケネディ大統領は政治家に期待される決断ができた。キューバ危機で見られたような極めて微妙な、ギリギリまで両立、鼎立の可能性を探りながら、最後の最後では決断する。こういう、ギリギリのところまで両立することが可能かどうかを探る知恵とそれをサポートしてくれるブレーンと、さらに自分の価値に基づいて優先順位を決め、ジャッジするというのが政治家の役割でした。
しかし、70年代の2度のオイルショックと景気停滞下のインフレに見舞われて疲弊した米国の有権者は歴史観や判断力は二の次で、「ソ連憎し」で、強い米国を体現してくれるレーガンに政権を委ねたのです。レーガンはケネディが有していたような能力は極めて乏しく、むしろパフォーマンス力に秀でていました。強いアメリカというステレオタイプを演じるパフォーマンス力があったのです。このレーガン政権は行革(民営化)路線、税制改革と様々な面で日本に大きな影響を与えました。中でも大きな影響を受けたのが、レーガン大統領との間で、「ロン」「ヤス」と呼び合ったロンヤス関係の中曽根康弘氏です。
中曽根氏は当時、党内基盤が弱かったため、自らの別荘である日の出山荘にレーガン大統領を招くなど、米国との良好な関係をバックに、政治的な実権を握り続けました。なお、日の出山荘のパフォーマンスは劇団四季の浅利慶太氏のアドバイスによるもの。また東急エージェンシー社長の前野徹氏もブレーンに置き、レーガンに習ったパフォーマンス政治を行なったのです。
テレビメディアはこういった中曽根政権のパフォーマンスを好意的に報じました。「安竹宮」とされた自民党内での安倍晋太郎氏、竹下登氏、宮澤喜一氏の3人による中曽根政権の後継をめぐる争いもテレビメディアが報道するようになります。
テレビメディアもバラエティ番組全盛期を迎えて、政治をそれまでのニュースといった形だけでなく、わかりやすく伝えるスタイルに変わってきます。84年には全国ニュースとローカルニュースを統合したフジテレビの夕方のニュース番組「スーパータイム」(ニュースキャスターが立ってニュースを伝えた初めての試み)、テレビ朝日「ニュースステーション」開始。その後の「朝まで生テレビ!」、「サンデープロジェクト」、「TVタックル」など、ニュースとバラエティの融合が始まります。
なお、この時代にテレビ朝日でニュースバラエティ番組が多く始まるのは、66年に東映の持株の半分を朝日新聞社が譲受するまで、新聞社との関係が薄く、新聞メディアと政治家の緊張関係の影響を他局ほど受けなかったことが大きいと見られます。
その他の記事
宇野常寛特別インタビュー第6回「インターネット的知性の基本精神を取り戻せ!」(宇野常寛) | |
iliは言語弱者を救うか(小寺信良) | |
中国人が日本人を嫌いになる理由(中島恵) | |
最新テクノロジーで身体制御するバイオ・ハッキングの可能性(高城剛) | |
「平気で悪いことをやる人」がえらくなったあとで喰らうしっぺ返し(やまもといちろう) | |
Amazon Echoのスピーカー性能を試す(小寺信良) | |
なぜ若者に奴隷根性が植えつけられたか?(前編)(岩崎夏海) | |
いじめられたくなければ空気を読め(岩崎夏海) | |
ぼくがキガシラペンギンに出会った場所(川端裕人) | |
自分の心を4色に分ける——苦手な人とうまくつきあう方法(名越康文) | |
やっと日本にきた「Spotify」。その特徴はなにか(西田宗千佳) | |
「学びとコンピュータ」問題の根本はなにか(西田宗千佳) | |
「表現」を体の中で感じる時代(高城剛) | |
「Googleマップ」劣化の背景を考える(西田宗千佳) | |
揺れる「全人代」が見せるコロナと香港、そして対外投資の是非(やまもといちろう) |