マンションのロビーにまで響くフルートの音色
「根本から変わりたい」と願った私が最初に出会ったのは、ヨーロッパで作られた、身体と心の使い方に目を向けたメソード「アレクサンダー・テクニーク」でした。それらは身体と心の密接な関係を学ぶ上で、大きな気付きに満ちたものでした。
また、能楽師の観世栄夫氏の朗読の声の響きに感銘を受け、「もし、こういう響きをフルートで出せたら、どんな演奏ができるだろう?」と、自分なりに工夫を重ねるようにもなりました。
そういう試行錯誤の日々の中で今の私のフルートの恩師、植村泰一先生に出会いました。
※植村泰一(うえむらやすかず、1934年 - )。日本のフルート奏者・指導者。日本フルート協会副会長。
植村泰一先生との出会いは、あるコンサートの打ち上げの席でした。
「自分には聞こえない様に吹くんだよ」
お酒を片手にボソっと仰ったその一言に、「私の求めるものはここにあるのでは?」と直観した私は、日を置かず、その門を叩きました。
植村先生が名器・銀のルイ・ロットから奏でられる音は、今まで、私が知っているどんなフルートの音とも異なっていました。レッスン時間に遅れないようにといつも早めに到着して、マンションのロビーで待っていると、先生の吹かれる笛の音が聞こえてきます。しかし、先生の部屋は5階で、しっかりと防音された部屋の中で吹かれている音が聞こえてくるということは通常考えられません。それは所謂大音量、というものでも決してなく、こちらの心に語りかけてくるような深い響きです。
「この響きは、いったいどうやって生まれているんだろう?」
植村先生との出会いによって、フルーティストの私のテーマは、曲を演奏するということもさることながら、いかにして豊かな「響き」を得るか、ということに移っていきました。
喜寿を越えられた今でも、コンサート会場では、植村先生の音は後ろの壁に反射して聴こえてきます。まさに日本の伝説にもある「遠音がさす笛の音」そのままです。
演奏されている姿は決して力んでいるのでもなく、大げさな動作が伴うでもなく、ただ舞台に佇んでいるとしか見えないのですが、その音は、聴いている側の全身にスーっと染渡り、身体の中で広がっていき、心を揺さぶり、涙腺を緩ませます。
あるレッスン時などは、何気なく吹かれた、小さな一音が、雅楽の合奏の音の様に天井から降り注ぎ、その色とりどりの響きに呆然と立ち尽くしたことすらありました。
しかし、植村先生との出会いによって目指すべき方向を見出したものの、どうすればそんな響きが得られるのか、当時の私には見当もつきませんでした。師の立ち姿や構え方を真似してみても、かえって音が出なくなるだけ。「自分に聞こえない様に吹くんだよ」というあの言葉を思い出して吹いてみても、自分に聞こえなければ周囲の人にはもっと聞こえない……という笑い話なような演奏になるばかり。
そもそも、小さな音で吹こうとすればするほど、プルプルと緊張が走り、音が揺れてしまうのですから、お話になりません。
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