メルマガ『大人の条件』にて連載中の<「おとな学」入門>より

悲しみの三波春夫

寝転んで、お腹を掻きながら

「おとな学」なんていうタイトルで、原稿を書いているわけですが、じっさいのところ「おとな」を定義するものなどはないのです。

まさに、ヘーゲルがいうように「王が王であるためには、家臣がいるから」というほかはありません。「おとながおとなであるためには、こどもがいるから」ということですね。では、こどもとは何かということになりますが、こちらの方も定義することなどはできません。「こどもがこどもであるためには、おとながいるから」という他はないのです。

現代という時代は、このこどもとおとなの境界線があいまいになった時代だといえるだろうと思います。その理由は様々あるのでしょうが、わたしは市場経済の隆盛というものが、大きな理由のひとつではないかと考えています。

今回はそのことをご説明しましょう。

もともと、定義も公準もない「おとな」とか、「こども」といった言葉をめぐっての考察ですので、科学的な根拠のある話ではありませんし、何か答えが出てくるような問題でもありませんので、寝転んで、お腹でも掻きながら、お読みいただければ結構です。

寝転んで、お腹を掻きながら、書物を読むというのは、実はわたしが描いているおとなのイメージでもあるわけです。こどもはそんなことしませんからね。

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