離見の見
心のストッパーを外す方法――それは「離見の見」である。
離見の見とは、能の大家、世阿弥の言葉だ。
「離見の見」とは、自分を離れたところから見る――その視点のことをいう。具
体的には、自分の背中を高いところから見下ろすイメージだ。自分の後ろに5メー
トルくらい下がり、そこからさらに2.5メートルほど上がった位置、ちょうど自分
を俯瞰できるところから、自分の背中を見るのである。
ぜひ、目をつむって自分の背中を見ることをイメージしてほしい。
そこで、自分の背中はどのように見えるだろうか?
あるいは、周囲の景色も見えるだろうか?
それが、客観的に見た「あなた」なのだ。離れたところから見たあなたなのであ
る。
それは、あなた自身が考えていたより、幾分か小さく見えないだろうか?
あなた自身が考えていたより、幾分か心許なく、寂しげに見えないだろうか?
それがあなただ。あなたという人間は、この世界においてはたくさんいる人間の
一人に過ぎない。ワンノブゼムだ。吹けば飛ぶような存在である。それが、客観
的に見たあなたの本当の姿だ。
この「離見の見」という概念は、世阿弥が後継者の踊りを指導するために築きあ
げたものだ。
「踊り」というのは、離れたところから見てもらって評価されるもの。そのため、
踊り手自身が「離れたところからどう見えているか?」ということを意識する必
要がある。それゆえ、そういう視点をイメージさせるのが狙いなのだが、しかし
世阿弥の意図は単にそれだけに留まらない。
それ以上に、人が「自分という存在」を知るうえでは、この客観的な視点が欠か
せない――ということがある。人はどうしても自分のことを主観的に見がちで、
それゆえ近視眼的になり、その価値を見誤る。
「価値を見誤る」と、それは以降、失敗の種になる。勝負でいえば、近視眼的に
自分を見ると、どうしたって実力を過大評価しがちだ。それゆえ、練習が疎かに
なり、努力足らずで負けてしまうことになる。
勝負に限らず、この世のさまざまな問題を解決しようと思ったら、いつだって「
根本理由」にまで遡って対処する必要がある。
自分を過大評価して勝負に負けてしまう人は、えてして「今度からもう少し努力
しよう」と考えるだけで、その根本にある「自分の評価を見誤った」というとこ
ろにまでは遡らない。
その結果、何度も自分の評価を見誤るという失敗をくり返し、いつまで経っても
成長できない。
失敗をくり返さないためには、何か失敗を犯したとき「今度から気をつけよう」
と反省するのではなく、「なぜ失敗したのか?」ということを根本に遡って問い
詰める必要があるのだ。失敗をくり返す人というのは、たいていこの作業を怠っ
ている。
では、なぜそういう作業を怠るのか?
それにもちゃんと理由があって、根本まで遡ると、自分のコンプレックスに触れ
ざるを得ないので、それを避けようとするところがあるのである。
例えば、「外見が醜い」というコンプレックスを持っている人がいたとする。そ
ういう人は、離見の見――すなわち客観的な視点を持つことを非常に嫌がる。
なぜなら、そこで客観的な視点を得ると、自分のコンプレックス――外見が醜い
ということに直面しなければならないからだ。そこで心が傷ついてしまうのであ
る。
そういう人は、心が傷つくのを避けようとして、自分を客観視したがらない。臭
いものに蓋をするで、そこに無意識のうちに近づかないようにするのだ。
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