切通理作
@risaku

切通理作メールマガジン「映画の友よ」より

『STAND BY ME ドラえもん』は恋する時間を描いた映画

 

未来の娘と過去の自分へのメッセージ

この映画は、基本的には、恋をする時に感じる<時間の取り返しのつかなさ>を描いた作品だと思う。
好きな人に釣り合うような、別の人間(この作品においては、主人公「のび太」に対する「出来杉くん」に集約されている)でないことに悩む。

急に一念発起して、勉強しだしたりして、努力めいたことを始めるが、当然すぐには報われず、そのことによってかえって落ち込む。

別の人間になりたかったり、時間を取り返したりしたいともがくが、しかし最後に頼むものは、自分自身しかない。

のび太が、「この時間をしっかり覚えた!」と、未来の自分に呼び掛ける<絶対孤独>の場所からの叫びをあげるくだりがあるが、映画を見た後もまざまざと残る場面であった。

このくだりは、『雪山のロマンス』という原作にあるエピソードを膨らませたもので、見事な脚色であり、『Returner リターナー』(02)『ALWAYS 三丁目の夕日』以来の、山崎監督の時間テーマが活きた個所にもなっている。

この作品は、一本の映画にするにあたって、オリジナルな脚色がそれほど目立たないようになっている。
エピソードも全部藤子・F・不二雄の原作に、既にあるものだ。

だが一本の映画として再構成されることで、元となった藤子F先生の意図まで、原作をそのまま読んでいた時以上に浮かび上がって来るような気がするから不思議だ。

たとえば、未来で、のび太と結婚することになるしずかちゃんが、その前の晩、父親と対話する、『のび太の結婚前夜』という、有名なエピソードがある。

自分はパパやママになんにも返せなかったと言うしずかに「最初のおくり物は君が生まれてきたことだ」と言い、それからの毎日の思い出こそ、君からの最高のおくり物だった……という言葉は、おそらくF先生が、当時漫画を描きながら育てていた、まだ子供だった愛娘に当てたものであることは想像に難くない。

自分の娘が将来大きくなって、嫁ぐ日が来たら、おそらく自分はこれだけは必ず伝えるだろう……。否、恥ずかしくて言えないかもしれない。だったらドラえもんのひみつ道具「正直電波」の力を借りて、しずかのパパに言わせてしまおう。

原作にある要素から一本の長編の流れとして再構成された時、私は改めてそのことを確信するに至った。

ここで語られる親の気持ちは、のび太の父母のものとして描かれるのではないからだ。
もちろん、F先生がもしまだ生きていて、初めからこの長編映画を構築し直したとしたら、のび太の側の父母との深い交流場面も、結婚前夜のものとして描いたかもしれない。

だが残された原作にあるのは、しずかの方の父親の「本音」だけなのだ。
そしてしずかのパパは、嫁いでいく娘に、のび太のことをこう語る。

とりたてて取り得のないあの青年は「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ」。君が彼を選んだ判断は正しかったと思う……と。

これはF先生にとって、未来の娘としてのしずかと、過去の自分としてののび太に送ったメッセージではないだろうか。

『ドラえもん』世界ののび太は、<とりたてて取り得のない人間>である必要がある。ひみつ道具を出してもらうという前提があるからだが、同時にそれは、<誰にとっての過去でもある>存在でなければならないからだろう。努力や才能の結果として得られるものが結果として実る前のその人の姿。

漫画家として大成したF先生だが「もし自分が今の立場を築かなかったら?」「漫画を描いていなかったら?」という存在の象徴としてののび太を、ライフワーク『ドラえもん』の主人公として、生涯描き続けた。

そしてヒロインのしずかちゃんは、<とりたてて取り得のない人間>であるのび太を、そうであるがゆえに受け入れてくる<グレートマザー>的存在でなければならない。

それはこの映画で未来の時間として描かれる、雪山でしずかとともに遭難したのび太が颯爽とマッチを出すが濡れて使えない時、しずかはライターを差し出すが、のび太を立てるためにそれまであえて出さなかった……というところにもあらわれている。

未来ではもうドラえもんは一緒に居ない。「いまごろ昼寝でもしてるんだろう」とつぶやくのび太に「子どもみたいなこと言って。変わらないのね」とちょっと叱ってみせるしずか。

実はこの時の青年のび太は、子ども時代ののび太がタイムふろしきで急成長した姿なのだが、しずかはそのことを知らないのに、潜在的にはキャッチしている。

まさに、のび太の存在自体を、理屈抜きで受け止めてくれている存在なのだ。

なにせ、未来の出来杉くんが「僕は『なんでも自分で出来るから』って、しずかちゃんにフラれたんだ」という意味のことを言うシーンが、今回の映画にはあるのだから!

だがのび太は、「あの件、OKよ」と言って高熱に倒れるしずかが、何を言っているのかわからない。未来の自分がプロポーズをしたということが、想像つかないのだ。

もっと驚くかと思っていたのにと言いながら倒れるしずかは、究極の慈愛を持った存在だ。

これらの、映画で膨らませた描写は、まるで原作にもともとあったかのように、融合している。

熱にうかされるしずかの生命ゲージの低下が、機械によってアナウンスされる、さりげないディテールもいい。二人の恋は、ギリギリのところでは、命がけなのである。

 

「刷り込み」効果という罠

しずかちゃんと自分では到底釣り合わず、そんな自分を取り返すには、ドラえもんのひみつ道具に頼れとばかりに、のび太はしずかちゃんをカプセルに閉じ込め、そのカプセルが開いて最初に見たものを好きになるという「刷り込み」現象を利用して、自分に惚れさせようともくろむ。

そんな『たまごの中のしずちゃん』という話も、今回映像化されている。

このひみつ道具「刷りこみたまご」に関しては、四次元ポケットからとりだしたドラえもん当人がどこか使用をためらうようなところがあるのだが、舞い上がったのび太は一も二もなくそれを使用しようとする。

外を歩いているしずかちゃんを、ひみつ道具「ストレートホール」で下に落とし、のび太の部屋に直結させ、落ちてきた彼女をカプセルに閉じ込める。あとは「刷り込み」効果を期待すればいい。

これ、2014年7月が過ぎたばかりの我々にとって、何か思い当らないだろうか。
そう。岡山県倉敷の児童誘拐監禁事件だ。窓のない密室を用意して、少女を監禁、自分の妻にしようとした男。

大人になっても恋愛に挫折し続けてきた男が、まだ無垢な少女を、自分の部屋で育て直す。そうすれば、地球の全存在の中でまず自分を第一に思ってくれるのではないか?

劇中、このカプセルが、動物にとっての「刷り込み」現象を応用したものであることの説明がドラえもんによってなされるのだが、のび太はその説明を満足に聞いていない。ただ、このカプセルを使えば、しずかちゃんが自分に振り向いてくれる便利な道具だと捉えているだけだ。

ではなぜドラえもんによる、「刷り込み」の説明が必要なのか? それはこの道具が持っている本質を観客に伝えるためであり、それがゆえに……これは映画で付け加えられた描写なのだが、ドラえもんは、どこか使用をためらいさえするのである。

これが実は「怖い発想」だということに、山崎・八木両監督も自覚的なのではないだろうか。

だがその一方で、手違いから自分が惚れられる役回りになった出来杉君が「こんな機械に頼ってきみの心を動かすのはいやなんだ」と当たり前のように権利を放棄するのも、いささか理想的に過ぎるというか、文字通り、なんだか出来過ぎな気がしてしまう。

『ドラえもん』はあくまで、身勝手なことを考えては失敗するダメな子の視点で、自分の愚かさに気付いていくように仕掛けられた物語なのである。いつも、決して上から目線ではない。

『ドラえもん』が始まった当初、のび太がジャイ子(ジャイアンの妹)と結婚するという未来予想図を書き換え、しずかちゃんと結婚出来るようになるまでの物語である……ということが、連載のプランとしてある程度想定されていた。

この映画は、のび太がしずかちゃんとの恋を成就出来る可能性のある人間に成長し、幸福感を抱くようになるまではドラえもんが手助けするのだという、縦のプロットが用いられているが、これは原作でも初期に構想されていた方向に似ている。

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切通理作
1964年東京都生まれ。文化批評。編集者を経て1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』で著作デビュー。批評集として『お前がセカイを殺したいなら』『ある朝、セカイは死んでいた』『情緒論~セカイをそのまま見るということ』で映画、コミック、音楽、文学、社会問題とジャンルをクロスオーバーした<セカイ>三部作を成す。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。続いて『山田洋次の〈世界〉 幻風景を追って』を刊行。「キネマ旬報」「映画秘宝」「映画芸術」等に映画・テレビドラマ評や映画人への取材記事、「文学界」「群像」等に文芸批評を執筆。「朝日新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞」「産経新聞」「週刊朝日」「週刊文春」「中央公論」などで時評・書評・コラムを執筆。特撮・アニメについての執筆も多く「東映ヒーローMAX」「ハイパーホビー」「特撮ニュータイプ」等で執筆。『地球はウルトラマンの星』『特撮黙示録』『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』等の著書・編著もある。

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