『戦争論』から16年――小林よしのりは今の「ネトウヨ」をどう見ているのか?
小林 わしが「新しい歴史教科書をつくる会」をやっていた1990年代後半当時って、まだ今のように中国や韓国の反日教育のことが多くの日本人に知られていなかったんだよな。
たとえば、やしきたかじんの『そこまで言って委員会』とか、ビートたけしの『TVタックル』のような番組でコメンテーターが「中国は悪い」「韓国は悪い」というようなことを堂々と言えるような状況ではなかった。政治家が「戦前の日本は中国や韓国に良いこともした」なんて言えば、たちまち首が飛んでいたよね。それほど、当時は自虐史観一色だったんだよ。そのなかで、日本国内で歴史教科書に従軍慰安婦のことが記載されるとか、「南京虐殺事件」の被害者の数がどんどん増えたりとか、そういう傾向が出てきたからわしらのような人間が歴史教科書論争を通じて、日本国内の状況に対して抵抗し始めた。さっき與那覇さんが言われたように、確かに当時は「じゃあ、どういう歴史観で行くのか」という歴史論争そのものがあったわけだな。わし自身も歴史教科書の記述を書いてたし(苦笑)。
でも、今ではべつに「ネトウヨ」でない一般の日本国民も、中国や韓国がどれだけ反日的かを知ってしまっている。テレビの討論番組などでも、平気で中国や韓国の悪口を言えるわけだ。主婦だって中国の食品がどれだけ汚染物質が入っているかとかを話している。
今ではもう歴史観とかは全然関係なく「とにかく中国・韓国は嫌いだ」という感情的な反発になっていて、その延長線上で「在日特権」のようなものが槍玉に挙げられるようになって、だんだん「在日韓国人に我々日本人の権利が奪われている」という話になってきてしまっている。だから、単なる排外主義としてのナショナリズムがかなり一般的になってしまった、ということなんだろうな。
宇野 小林さんは、「つくる会」の運動にコミットして、『戦争論』から『ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論 』(幻冬舎)などを描いていた当時、「『物語』を語れ」ということを掲げて歴史観の再構築を試みていたと思うんですね。そのときの「物語=歴史観」というのは、與那覇さんが指摘されたような、単に「中国・韓国は嫌い」といった排外主義とは全然異なるものだったと思うんですが、仮に小林さんを中心とした「つくる会」の運動が、ある種の自虐史観を矯正してマスメディア上の歴史観のバランスを取ることに成功した――つまり、ある程度言論戦に勝利した――として、その結果生まれたこの状態は、小林さんは想定されていなかったということですよね。
小林 わしもここまで過激になるとは予想してなかったよ(苦笑)。だいたい、「新しい歴史教科書をつくる会」だって、もちろん「自虐史観に抵抗する」という面はあったけど、当時、仮想敵としていたのはむしろ「司馬史観」だったからね。
「司馬史観」というのは(「つくる会」の前会長、現理事である)藤岡信勝が作った言葉で、世に普及している司馬遼太郎の小説で語られるような「日本は明治時代まで立派だったが、昭和に入ってからダメになった」「日露戦争は正しかったが、先の大戦は侵略だった」という歴史観のことだな。
しかし、わしは『戦争論』を描いたとき、大東亜戦争を真っ向から肯定してしまった。それは当時の「つくる会」の中でも、かなり右に寄った意見で、認められていなかったんだ。ところが、それがものすごい大ベストセラーになっちゃった。そこから何か動きが変わってきてしまったんだな。その『戦争論』の中で触れた、慰安婦問題や南京虐殺事件といった問題が論争のタネになっていってしまった。
宇野 小林さんの「自分は言論戦に勝利したかもしれない。でもその結果、想定外の状況が生まれてしまった」という認識は、まさに與那覇さんのおっしゃった、今の「歴史観すらない」という状態とイコールでしょうか。
與那覇 おそらくそうでしょう。たとえば、歴史学者にとって「何が仮想敵であったか」という観点から振り返ってみると、90年代前半までは司馬遼太郎さんの小説で、後半からは小林さんの漫画だったと思います。「世間のみなさんはあれが歴史だと思っていますが、歴史学的にいうとここが間違っています。ああいうものは、危険なナショナリズム史観です」というふうに批判することで、論争がなりたちえたわけですね。そのことが同時に、一般社会における歴史学のレーゾン・デートル(存在意義の証明)にもなっていた。
でも、今は何を仮想敵にしたらよいのかもわからない状況になっていて、きっとそれは「物語」が、ないからなんだと思います。たとえば司馬史観であれば「明治までは良いが、昭和はダメ」というストーリーに対して、「そもそも日本が植民地を持つきっかけは明治時代にあるじゃないか、だから司馬史観は問題がある」という批判の仕方が可能だった。ところが、「とにかく中韓と同じは嫌なんだ!」だと、もう議論の噛みあわせようがない。そこにあるのは純粋に情動的な反応だけで、物語のかたちをとっていないからです。
小林さんの『戦争論』は、おそらく「物語がぶつかり合う時代」と「もはや物語なき時代」の蝶番(ちょうつがい)のような格好になっていたと思うんです。いわゆる大東亜戦争肯定論の「物語」になっている部分と、一番最後の「ごーまんかましてよかですか」の部分、たとえば「慰安婦問題でこう言われたらこう言い返しとけ」みたいな、物語未満の「反論ハウツー」のふたつで構成されていた。今のネット右翼的世論は、そのハウツーだけになっているのではないか、というのが自分の認識ですね。
中国・韓国に対する被害者意識の広がり
宇野 朴さんは、安田浩一さんとの共著の『韓国のホンネ』や、北原みのりさんとの共著の『奥さまは愛国』で、いわゆる「ネトウヨ」層の現場を多く取材しているわけですが、いまの状況についてどうお考えなのでしょうか。
朴 ネトウヨといえば、さきほど宇野さんや萱野さんが指摘されたような、ステレオタイプなイメージがありますよね。「自分の望んだ仕事にも就けず、学歴もそう高くなく、友人にも恵まれてない――そういう鬱屈した思いを外国人嫌悪(ゼノフォビア)に変えて表現しているのではないか?」、というものです。
しかし、私が取材したネトウヨ的な女性の皆さんは、ほとんどが結婚していたり、恋人やパートナーがいました。彼女たちは「ネトウヨあるある」の鬱屈したイメージにはあてはまらない方々だったんです。
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萱野稔人×小林よしのり×朴順梨×與那覇潤×宇野常寛『ナショナリズムの現在ーー〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来』
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