甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(4)

人間にとって、いったい何が真実なのか

 

人間にとって、いったい何が真実なのか

 

また、このオーストラリアでの例とは別に、人々の行動や行為が宗教的なものと直接結びついた事で、その地域の人々全体の不幸をもたらした例として、イースター島の事も思い浮かびます。

巨大な石像が草原に立ち並ぶイースター島は、かつては謎とロマンに満ちた場所でしたが、その後さまざまな調査によって、この島には豊かな森林があり、人々も多く暮らしていたようですが、巨大なモアイ像を造るために森林を伐採し、不毛な島となってしまったらしいという事が明らかになってきました。

石像造りはアボリジニに対する差別政策よりも、ずっと純粋な情熱と信仰で行なわれたであろう事は十分に想像されます。しかし、それによって島の自然環境は衰え、人々の生活が立ち行かなくなってしまったのです。(これ以外にも理由はあったかもしれませんが、モアイ像の建設が大きな原因であった事は確かなようです)

このようにあらためて歴史を振り返ってみると、これが善だと信じて行なった事が、災厄を招くことになっていた事が少なからずあったのではないかと思い至り、実になんとも言い難い思いにかられました。古くから伝承されてきた事というのは、それなりに意味があると思われていますが、必ずしもそうではないという事も、いくつもあります。

例えば、怪我をした時、その傷口を殺菌消毒する薬を使って乾燥状態を保つ事は、洋の東西を問わず広く行なわれてきました。しかし近年、そうした殺菌消毒のための薬剤を使わず、かつ傷口を乾燥させないで湿潤状態を保った方が、早く綺麗に治ることが広く知れ渡ってきて、一般の病院でも行なわれるようになってきました。もっとも、まだ頑なに消毒を行なっているところもあるようですが、かなりの病院現場で薬剤を使わず湿潤状態を保つようにすることで、傷を早く治すようになっています。

怪我への対応という必然性の高い事であっても、統一見解が無い。そして、まったく違った対応を行なっても、それなりに傷口がふさがり、修復されるという事は、「人間にとって、いったい何が真実なのか」という事を探究しようとする時、大変考えさせられる事ではないかと思います。

1 2 3
甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

その他の記事

東京と台北を比較して感じる東アジアカルチャーセンスの変化(高城剛)
週刊金融日記 第269号 <性犯罪冤罪リスクを定量的に考える、日経平均株価2万円割 他>(藤沢数希)
思い込みと感情で政治は動く(やまもといちろう)
高齢の親と同居し面倒をみていますが、自分の将来が不安です(石田衣良)
アマゾンマナティを追いかけて〜赤ちゃんマナティに授乳する(川端裕人)
「リバーブ」という沼とブラックフライデー(高城剛)
決められないなら、委ねよう(天野ひろゆき)
前川喜平という文部科学省前事務次官奇譚(やまもといちろう)
宗教や民主主義などのあらゆるイデオロギーを超えて消費主義が蔓延する時代(高城剛)
国家に頼らない「あたらしい自由」を目指すアメリカ(高城剛)
自分の健康は自分でマネージメントする時代(高城剛)
怪しい南の島が目指す「金融立国」から「観光立国」への道(高城剛)
高2だった僕はその文章に感情を強く揺さぶられた〜石牟礼道子さんの「ゆき女聞き書き」(川端裕人)
僕たちは「問題」によって生かされる<前編>(小山龍介)
本気のアマチュアカメラマンが選ぶ一眼レフの不思議(高城剛)
甲野善紀のメールマガジン
「風の先、風の跡~ある武術研究者の日々の気づき」

[料金(税込)] 550円(税込)/ 月
[発行周期] 月1回発行(第3月曜日配信予定)

ページのトップへ