甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(8)

山岡鉄舟との出会い

禅に関心をもったキッカケ

 

ただ、その後、私が自分の人生を託す事になった武の道や、それに関連して禅や荘子などの宗教的な事に関心を持つようになった潜在的なキッカケは、高校2年生の時に、幕末の志士で明治の剣聖と謳われ、勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末三舟」と称された山岡鉄舟の伝記『山岡鐵舟』(沢田謙著)を読んだ事が大きく働いているように思います。

私は、この戦争中に刊行された紙質も悪く印刷もかすれがちな本で、初めて心の底から深く尊敬する歴史上の人物に出会ったのでした。

それまでは、よく面談などの履歴書に書かされる「尊敬する人物」というのは、ただ真面目で面白くもおかしくもない人物だと思っていたのです。ところが、山岡鉄舟は真面目なところは恐ろしく真面目ですが、無茶で一本気なところもありました。幕末維新の時は、西郷隆盛と勝海舟との間で行なわれた「江戸城明け渡し」の会談を実現させる使者の役を果たすなど、何度となく命がけの場面をくぐりぬけてきているその業績と同時に、ゆで卵を無理やり100個食べてみせたり、老齢の俥引きが巨漢の鉄舟を載せて往生していると、逆にその俥引きを抱え上げて俥に乗せ、自分がその俥を引いて帰宅し、その俥引きに食事を振舞うなど、その桁外れな、また人情味あふれるエピソードの数々に、すっかり惹き込まれました。

私がいかに山岡鉄舟という人物に惹かれていたかは、田口さんはすでに御存知かもしれません。実は私の道場の「松聲館」という館名は、この山岡鉄舟居士に縁があるのです。

鉄舟が少年時代を過ごした飛騨の高山で書を学んだ時の師匠、岩佐一亭という人物は、弘法大師入木道五十一世の道統を受け継ぐ書の大家でした。この岩佐一亭が「『松聲』の二文字を絹本に書いて、仁孝天皇の天覧に供せられた」というエピソードが私の頭の中にずっとありました。道場を建てた1978年の秋、新しく建てた道場の名称を何としようか、いろいろ考えていたのですが、ある日外出先から帰って来て、その新しい道場の手前にある坂を登っている最中に、突然この「松聲」という文字を思い出し、直に「そうだ、『松聲館』にしよう」と決めたのです。

松聲とは、一般には「松籟」として知られている、松に吹く風、松林に風が吹いて、松の枝葉がサワサワと鳴る様、その音を称している言葉ですが、とにかくあまりにも私の中にピタリと来た言葉だったものですから、もう一も二もなく、この言葉、この文字に道場名を決めたのです。もちろん、この「松聲」という文字を知った時は、将来自分が武術の道場を建てて、この文字をその道場名にするなどという事は夢にも思わず、ただ、この『山岡鐵舟』という本によって、鉄舟のような破天荒な生き方をしても「尊敬する人物」として、「誰に遠慮することもなく、そのことを表明していいのだ」という事が、とても嬉しかったことは憶えております。

そして、この本によって、私は禅というものに対しても、初めて具体的な関心を持つようになりました。山岡鉄舟が剣と禅の大家である事は広く知られておりますが、私が高校生の時は、周囲にそうした事を知る人もおらず、私にとっては、この本の中に出てきた禅の公案の話は、大変興味深いものでした。なかでも胃を患っていた鉄舟が、自分の病気の診察に時折やって来る千葉立造という医師を禅の世界に引き込んだ時のエピソードや、落語界の三遊亭円朝を、やはり座禅させた時のエピソードは、当時禅に対して何の予備知識もなかった私にとっては、非常に新鮮に感じました。

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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