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岩崎夏海の競争考(その22)なぜ若者に奴隷根性が植えつけられたか?(中編)
シラケ世代
1955年から1965年くらいの間に生まれた人々は「シラケ世代」と呼ばれた。それは、彼らがテレビから多大な影響を受ける幼年期、あるいは思春期に、まるまる一週間、生放送であさま山荘事件を見続させられたからだ。そこで彼らは、革命家が警察によって決定的に敗北させられる現場を目撃した。そして「戦っても結局は負けるんだ」「熱くなったらカッコ悪い」という意識が植えつけられた。そのため、「人生は楽しまなければ負け」という考えが、知らず知らずのうちに醸成されていったのである。
そんな彼らは、一つの上の「団塊の世代」が学生運動などで熱い青春期を送っていたのに比べ、非常に冷めていたから「シラケ世代」と呼ばれるようになった。ところで、ここで重要なのは、彼らはシラケて、自らは戦いに参加しなかったものの、否応なく「ある戦い」に巻き込まれたということだ。それは「受験戦争」だ。シラケ世代は、団塊の世代の後に訪れた学歴重視の世の中で、最も熾烈な受験戦争に巻き込まれた人々でもあった。ちょうど、共通一次試験が1979年に導入され、多くの学生がそれを受けるようになった。そこでは、日本中の若者が一つの試験で比べられるという、過酷な競争を強いられたのだ。
ここに、一つの「引き裂かれ」が生じる。シラケ世代は、幼時に「戦ったら負けだ」という思想を植えつけられたにもかかわらず、思春期には「受験戦争」という「戦い」に否応なく巻き込まれた。それを嫌々させられた。
この「受験戦争」は、大きな社会問題になった。勉強についていけない落ちこぼれが多数発生した。そのため学校が荒廃し、校内暴力が拡大した。いわゆる「不良学生」が増産され、「ヤンキー」という言葉が広まったのもこの頃だった。さらには、受験勉強に心を病ませる学生も多発した。その中の一人が、勉強を強いた両親を恨み、金属バットで殴り殺すという事件が発生し、世間に大きなショックを与えた。1980年のことだった。
そんなふうに、受験戦争の激化によって、学生たちは苛烈な環境のただ中に置かれた。シラケ世代は、かつてなかったほどに勉強を強いられるという、皮肉な状況に置かれたのだ。
さらに、そんなシラケ世代を第三の皮肉な状況が直撃する。それは「バブル経済」である。