やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

年末年始、若い人の年上への関わり方の変化で興味深いこと





 
 忘年会シーズンですが、私自身は手持ちの事業は概ね子会社に移したり、投資先に譲渡してしまったため、自前の組織を持たなくなった結果、組織の長として忘年会に参加することはなくなりました。

 手がけていた海外事業はファンドの投資先に集約され、コンテンツ開発事業は某上場企業に、統計ツールや数理モデルを使った仕事は東京大学のプロジェクトや新設したデータビークルへ移管しまして、お陰様で順調に進めさせていただいております。これで、私個人はいままで培ってきたノウハウをコンサルタントとして提供したり、投資先が事業を伸ばした結果の配当金として収入を得るという穏やかな仕事になった… はずが、なんだかんだで慌しい日々を送っておりますが。

 その甲斐あって、どこぞの宴会に足を向けてもいわゆる「アピールするために寄ってくる若者」を捌く必要はなくなりました。私に好意を持ってもらうためにあれこれ話しかけてくるよりも、純粋に自分はどうしたらいいでしょうか的な話や、業界知識を得るための対話がメインになったという点で気楽になったわけです。

 少し距離ができますと、なるほど日本人も他の国の人も若い人たちが何を期待して宴会にやってくるのか良く分かるようになります。私はたいてい自分が参加した宴会でみだりにFacebookなどで顔写真を掲載しないように求めます。理由は単純で、私自身出張が多く、また妻帯者にとって貴重な夜の時間帯(子供が寝てから夫婦の会話が始まるまでのあいだ)はとても大事なもので、それを削って宴会に参加するということは私自身にも目的があるからです。そして、月間数回の夜の時間をどの会合に割り振るのかは、とてもとても大事なことである一方で、断っている宴会もまた、多数あります。やはり、私自身も偉い人を宴会に誘って断られた日の夜に、その人がタグ付けされてFacebookでにこやかに他の人と写真に納まっているのをみると、こっちは断ってそっちに行ったのかという気分になります。先約だったのかもしれないし、他意はないのでしょうが、人脈を誇示したいのかなと思うようなケースもあるわけでむつかしいわけです。

 その点で、自分がガツガツして、月30日のうち半分以上を宴会に費やしていたころ、また宴会に誘われる身になってガツガツした若い人にちやほやされていたころ、そして、人生の転換点を経て少しそういう熱量から距離を置いてみた現在では、やはり人間の情念というか、仕事や欲、人間関係のあり方はかなり変化しました。何を求めて人と出会うのか、一度経験してきたからこそ遠くから見て透けて見えるものは確実にあります。

 歳を取ってみると、これから自分はやはり下り坂なのだということを実感します。それは体力の問題だけではなく、取り組みたい仕事をすべてやっていては時間がどうしても足りない。いままでは睡眠時間を削ったり、人を雇ってお願いしながら対応してきたけど、どうしたって仕事は選ばなければならないし、人付き合いも絞らなければ回らなくなっていくのです。そこから零れ落ちてほとんど会わなくなる友人もいれば、昔はそれほど気にもかけていなかった人たちと思いもよらないところで接点を持ってプロジェクトでご一緒をしたりといったこともあるのです。

 それらは、ガツガツしていた若い顔つきだった私を、面倒くさがられ嫌われながらも一目を置いてくれ付き合って時間を割いていた大人の人たちの選球眼によるものが大きいのです。自分なりのクラスチェンジの必要に気づいて、5年ぐらいかけて準備をして、今年はずいぶんいろんなものを放り投げ、仕込んでいたものが徐々に芽を出して、自分を変えていくことには成功しましたが、なぜ成功したかというのは私のいまの頑張りではなくて、昔の私を見て知って付き合ってくれていた大人たちの目利きの賜物だと思うのです。

 逆に、いまや私が若い人たちを見極める側に回っていることは良く感じます。別に野球で育成を担当しているからとか、投資先を探す必要に迫られてとか、個別の職業的な事情はあるにせよ、やはりその人の神経がどこに向いていて、どう細やかで、どこへ向かおうとしているのかが分かれば分かるほど、何となくのことが見通せるようにはなってきました。

 ただ… ここまでの話をひっくり返すようですが、本人の資質や背景とは別に、その本人が持って生まれた「運」はとても大事だなあと思うわけです。どんなに優れているように見える人でも、目に剣が立っていたら駄目だとか、この人は周りを踏み台にして自分が上がっていこうとして踏み台を外されたとき大変な目に遭いそうな人だなとか、そういうことを感じるようになります。

 この「優れているからと言って成功するわけではない」けど「優れた自分を見つけ出してそこで勝負をする」ことのバランスは、とても大事なんだろうと思うのです。

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路

Vol.143 野球賭博やスマホアプリの安全性を憂えつつ、たまには真面目に歳を取ることでの気づきを語ってみるなど
2015年12月18日発行号 目次
187A8796sm

【0. 序文】年末年始、若い人の年上への関わり方の変化で興味深いこと
【1. インシデント1】野球賭博関連、NPBの腰砕けとさらなる揉め事の暗雲が立ち込める
【2. インシデント2】曲がり角に差し掛かったスマホアプリの安全性
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」のご購読はこちらから

やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員を経て、情報法制研究所・事務局次長、上席研究員として、社会調査や統計分析にも従事。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

その他の記事

完全な自由競争はファンタジーである(茂木健一郎)
五月病の正体 「どうせ……」というくせものキーワード(名越康文)
沖縄の長寿県からの転落で考える日本の未来(高城剛)
生き残るための選択肢を増やそう(後編)(家入一真)
過疎化する地方でタクシーが果たす使命(宇野常寛)
今世界でもっとも未来に近い街、雄安(高城剛)
「自信が持てない」あなたへの「行」のススメ(名越康文)
横断幕事件の告発者が語る「本当に訴えたかったこと」(宇都宮徹壱)
コロラドで感じた大都市から文化が生まれる時代の終焉(高城剛)
物流にロボットアームを持ち込む不可解、オーバーテクノロジーへの警鐘(やまもといちろう)
ゆたぼん氏の「不登校宣言」と過熱する中学お受験との間にある、ぬるぬるしたもの(やまもといちろう)
菅政権が仕掛ける「通信再編」 日経が放った微妙に飛ばし気味な大NTT構想が投げかけるもの(やまもといちろう)
「ワクチン接種」後のコロナウイルスとの戦いは「若者にも出る後遺症」(やまもといちろう)
教育としての看取り–グリーフワークの可能性(名越康文)
どうも自民党は総体として統一教会と手を切らなさそうである(やまもといちろう)
やまもといちろうのメールマガジン
「人間迷路」

[料金(税込)] 770円(税込)/ 月
[発行周期] 月4回前後+号外

ページのトップへ