甲野善紀
@shouseikan

「わからない」という断念から新しい生き方を生み出していく

「隣人として接する」ということ

ここまで書かせていただいて、以前のお手紙で触れさせていただいた山谷のホスピス「きぼうのいえ」を運営されている山本さんご夫妻のことを、私は思い出します。

山本さんご夫妻はホスピス入居者の方に接する際、「隣人として接する」ということを基本原理とされているそうです。隣人として。私はここに、ある種の「距離感」を感じます。つまり、「私はあなたにどこまでも『寄り添う』。しかしそれでも、私はあなたではない。あなたに代わってあなたの苦しみを引き受けることはできない。それでも私は、私ではない個人としてのあなたを尊重し、支えることはできる」ということではないでしょうか。

この距離感が、共生というものに向かう際の重要な鍵になると思います。以前にも書かせていただきましたが、吉本隆明氏はホスピス医療というものは死を人の手の内に入れるものだとして批判されました。しかし、寄り添うということ、隣人として接するということは、完全に手のうちに入れることではありません。内側に取り込むのではなく、「隣にいる」ということ、そして「支える」ということです。

この隣人として接するという姿勢と、寄り添うという姿勢は、ホスピスに限らず共生ということが問題になる全ての領域において、重要な意味を持つのではないでしょうか。内側に取り込まず、わからないものはわからないものとして触れること。しかし、わからないからといって拒絶するのではなく、寄り添うということです。少なくとも、今の私はそのように考えています。

 

共生関係を築くために

わからないことを根本に置いたうえでの共生に向かうためには、少なくとも異なる立場の意見を自由に発言できるようにすること、その権利の保障だけは行う必要があると思います。そして、それらの立場の異なる意見のどちらにも我々がアクセスすることができるということが必要だと思うのです。

単純な例かもしれませんが、キリスト教原理主義の方の言説も、徹底的な無神論者の言説も、原発賛成派の発言も、原発反対派の発言も、双方自由に発言されることが保証されること。どちらが正しいのかということが問題なのではありません。どちらの言説も公の場に存在し、そのどちらにも我々が触れることが出来ること。そして、その相反する言説を取り込みながら、我々各人が迷い、のた打ち回りながらであっても考え続けることが重要なのではないかと思うのです。

繰り返しになりますが、「どちらが正しいか」を決めるための議論が重要なのではありません。相反する言説を各人が、各人の仕方で抱え込み、自分の頭で考え続けることが重要であると思うのです。自分と異なる意見や思想を自分の内側に取り込む際には、必ず痛みや不協和音が伴います。その痛みや不協和音を受け入れたうえで考え、生きる方向性を探ることが、今の私たちには必要なのではないでしょうか。

2回続けての長いお手紙となってしまいました。今回触れたテーマについて、またいずれ甲野先生のご意見を伺わせていただけますと幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。

田口慎也

 

 

※この記事は甲野善紀メールマガジン「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」 2012年05月11日 Vol.028 に掲載された記事を編集・再録したものです。

 

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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