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岩崎夏海の競争考(その29)正しい苦しみ方
勝利するためには努力が必要であり、努力とは、「苦労」をして初めて価値が出る。それゆえ、「苦しむこと」が大切になってくるのだが、苦しみには正しい苦しみと間違った苦しみとがあり、間違った苦しみを味わうと、それは必ずしも努力につながらない。そこで今回は、どうすれば正しく苦しめるか――について考える。
苦しみにとらわれてはならない
正しく苦しむために必要不可欠なのは「メタ視点」だ。率直に苦しんでいる自分と、それをメタ視点から冷静に見つめる自分――二人の自分を活かして苦しんでいく必要がある。
苦しむことに集中してしまうと、人はそれに耐えられない。例えば、マラソンランナーが足腰を鍛えるために走っていたとする。すると、やがて息が上がり、足も痛くなってくるので、どうしたって苦しい。そこで、その苦しさにとらわれると、もう走れなくなってしまう。そういうふうに、苦しみにとらわれると失敗する。苦しみだけではなく、何ごともとらわれるのは敗北への道をまっしぐらに進むことと同義だ。
だから、苦しみにとらわれないことが肝要になってくるのだが、するとそこで、多くの人は苦しみを「紛らわそう」とする。例えば、他の何か楽しいことを考えて、感覚を麻痺させるのだ。この「感覚を麻痺させる」というのは、多くの人が使う「苦しみから逃れる手段」だ。例えば、走っていて苦しいとき、終わった後の美味しいご飯のことを思い浮かべる。すると、足の痛みが薄れるので、耐えられるようになるのである。
しかしながら、この方法には重大な欠点が二つある。一つは、苦しみを麻痺させるのに伴って、感性も麻痺してしまうことだ。鈍感になってしまうのである。苦しみだけではなく、あらゆることへの反応が鈍くなる。そうなると、例えば走るフォームを崩しても気づかず、かえって悪い結果を招いてしまう。
感覚を麻痺させると「努力」ができなくなる
もう一つの副作用は、そういうふうに感覚を麻痺させると、苦しみを感じられなくなり、結果的に「努力」とはならなくなる――ということだ。努力というのは、苦しんで初めて価値があるのだから、それがなくなってしまうと元も子もないのである。
スポーツの世界では、しなやかな身体の持ち主と、筋肉隆々の選手とが戦った場合、たいてい勝つのはしなやかな身体の選手である。それは、しなやかな身体の選手の方が能力がすぐれているからではなく、心の能力がすぐれているからだ。しなやかな身体を持った選手は、努力することで培った自信があるから挫けない。しかし筋肉隆々の選手は、努力による自信の蓄積がないので、いざというときもろいのである。
なぜかといえば、人が筋肉隆々になるまで鍛えるためには、どこかで感覚を麻痺させる必要があるからだ。それゆえ、それが努力にはならず、結果として体は鍛えられるが、心が鍛えられない状態になってしまう。それで、いざというとき心が挫け、勝つことができないのである。だから、勝つためにはちゃんと苦しまなければならない。苦しんだうえで、そこから逃げてはならないのだ。
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