※この記事は小寺信良&西田宗千佳メールマガジン「金曜ランチビュッフェ」2015年2月13日 Vol.022 <いつ大人になるの号>の冒頭です。
Twitter経由で、こんな記事を見つけた。
・編集者って何の仕事をする人なんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20150211201344
さすがにこれは編集者が仕事しなさすぎだろう……と思うが、冷静に考えると、この仕事でもない限り、編集者の仕事を知っている人も少ないはず。「センセー! ゲンコー!」って言って追いかけている様をマンガなんかでは見るが、ああいうのは手塚治虫くらいしか体験しない世界だと思うし、そもそも私の知っている編集者の仕事ではない。
今回は、著者の目から見た編集者の仕事をお伝えしよう。編集者と彼らが属する出版社を悪者にする声もある。が、その辺にはずっと違和感がある。本メルマガでも、敏腕編集者が間に入って作業してくれているから、こういう風に皆さんのお手元に届いているわけだ。仕事の内容を知れば、「編集者悪者論」への違和感の正体を、みなさんも理解してくれると思う。
「整える」のが基本、だがそれだけじゃない
まず第一に、編集者の仕事は「最終的な出力にあわせて、原稿を揃えてから整える」ことだ。ウェブにしろ本にしろ、基本的な流れは変わらない。文章にしろ写真にしろ、きちんと「枠の中」に流し込まないと読みづらい。そこに流し込むために、文章や写真の体裁を整える作業になる。原稿を集める、という仕事はその一貫と考えていい。「センセー!ゲンコー!」はこの部分を抜き出したものだ。
この作業はいわゆる「レイアウト」とはちょっと異なる。特に紙メディアの場合、レイアウトは本職のデザイナーが行い、編集者はそのための素材集めをする。ウェブでは、コンテンツ・マネジメント・システム(CMS)に文字や写真を流し込むと、自動的にレイアウトが完成する場合が多い。だから、デザイナーの出番は減ってきているのだが、一方でその結果、ビジュアル面でのクオリティが低くなりやすい点が問題視されている。
この時、特に雑誌では、レイアウトに合わせた文字数調整がとても重要な仕事になる。ウェブメディアの仕事が増えて楽になったな、と思うのは、この「文字数調整」が劇的に減ったからなのだが、一方でそれは文章の中身にも影響してくる。
というわけで第二の仕事が「内容の精査」。レイアウト内に文字を流し込んでいく時には、なんでも流し込めばいいものではない。その結果「記事全体が読みやすい」と感じられないと意味がない。だから同時に、文章の中身を精査し、読みやすいかどうか・間違っていないかどうかをチェックする。特に書籍の場合、十万字を越えるような内容をきちんと構成するのは、相当な苦労が必要になる。まったく経験のない人の場合、なんの手引きもなしに完成させるのは不可能だ。編集者はそこで、構成や内容について口を出し、良いものに仕上げるための手助けをする。
内容の正しさについては、実際には「校閲」という専門職がいて、その方々が細かくチェックするのが正しいあり方であり、新聞や一部の雑誌、書籍はそうしている。が、コストや手間がかかることもあって、特にウェブ媒体では編集者が査読者であり校閲者である、というパターンが多い。
第三の仕事が「内容の決定の補佐」だ。記事は著者が書くものだが、各媒体で「どう扱うか」「どう見せるか」は媒体側の判断になる。雑誌は特にそうで、編集長が全体方針を決め、各パートを編集者が責任を持って構成する形を採る。著者には内容や体裁など、書いて欲しい形を提案し、共に記事を作り上げていく。いわば企画者としての顔であり、本来編集者のもっとも大きな仕事はここにある。
そして第四の仕事は、「ここまでの三つがスムーズに進むようにする」ことだ。たとえば、原稿に必要な取材を手配することもあるし、著者が持っていない写真を企業などから入手することもある。内容を良くするために著者を持ち上げたり、助言を与えたりすることもそうだ。また、情報を得て記事のクオリティを上げるために、情報源となる個人や企業との関係を作るのも彼らの仕事。そして、効率的に原稿を収集・整理するために、間に人をたててその人々を使うのも、また編集者の仕事である。
職域の広さが認識の違いを生む
要は、「書くこと・デザインすること以外の多くの雑用と、執筆の依頼」を行なうのが編集者であり、職場や個々人によって、働き方も違えば職域も違うものなのだ。だから、「原稿作成はほぼ著者丸投げで、最終的な整理以外はしない」人もいれば、「中身を作りあげるために、著者やデザイナーに指示を出しまくる」人もいる。
ポイントは、その本人が編集をどんな仕事と考えているかにある、と思っている。最近は「整理して流し込む」ことが仕事である……と思う人が増えたのか、企画まで一緒に考え、時にはそこをサポートしてくれる、というタイプの編集者は減ってきている。が、大手出版社を中心に、多くの実績を持つ編集者は、良いものを作るための環境作りに腐心する人が多い。
どこまで編集者と協調関係を作れるかが、著者の力量のひとつだ、と私は思っている。それができないと、どんどん自分がやらねばならない仕事が増えていき、良いものが作りにくくなっていくからだ。原稿を受け取って成形することだけが編集者の仕事ならば、出版社はあんなに高いマージンを取るべきではないし、原稿料ももっと上がるべきだ。しかし、「どうすれば良くなるか」「そのためにどこまで作業するか」という部分で編集者が共に判断を下すことで、一人ではできない価値が生まれてくると、そこには「共同制作者としての利益配分」が出てくる。
出版社不要論・編集者不要論に違和感があるのは、そういう機能を無視しているからである。人は一人でなんでもできるわけではない。産業的に「良いものを量産する」には分業制が欠かせない。そのために、著者と編集者は別れているのだ。逆にいえば、編集者がなにもしてくれず、結局自分への負担が大きかったのならば、より高いギャランティを請求してもいい、と私は思う。
編集者という「仕事仲間」とのパートナーシップを築くことは、この仕事の最大のノウハウといっていい。そこで躓いた人々は多い。私もすべての編集者といい関係が築けた、とは思っていない。
パートナーシップを築く上で、なにを期待して良くて、なにを自らやらねばならないのか。
紙だけの時代よりも、今はテキストの量が劇的に増えた。だからこそ、そうした「良い関係を築いて良いテキストを作っていく」ノウハウを蓄積しなければいけないのだろう、と思う。自分がやっていることを人に説明できる自信はないが、「原稿の書き方」を教わる時には、そうした話も必要なんではないだろうか。
小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」
2015年2月13日 Vol.022 <いつ大人になるの号>目次
01 論壇(小寺)
「教職員のLINE利用禁止」の背後にあるもの
02 余談(西田)
編集者の仕事とは「ほんとうはこうだ」
03 対談(小寺)
ドローンの安全性、そして未来 (1)
04 過去記事アーカイブズ(小寺)
日本人はなぜオタクとなり得たか
05 ニュースクリップ(小寺・西田)
06 今週のおたより(小寺・西田)
コラムニスト小寺信良と、ジャーナリスト西田宗千佳がお送りする、業界俯瞰型メールマガジン。 家電、ガジェット、通信、放送、映像、オーディオ、IT教育など、2人が興味関心のおもむくまま縦横無尽に駆け巡り、「普通そんなこと知らないよね」という情報をお届けします。毎週金曜日12時丁度にお届け。1週ごとにメインパーソナリティを交代。
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筆者:西田宗千佳
フリージャーナリスト。1971年福井県出身。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。取材・解説記事を中心に、主要新聞・ウェブ媒体などに寄稿する他、年数冊のペースで書籍も執筆。テレビ番組の監修なども手がける。
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