なぜゲームという「電車」を途中下車してしまうのか
ゲームを電車に喩えるなら、「電車を降りる」のは本来、終着駅、すなわちゲームセットの瞬間しかないはず。しかし、多くの人は、電車を途中で降りてしまいます。いわば、ゲームを「途中下車」してしまうのです。
ゲームに勝てない、ゲームが苦手だ、という人の話を聞くと、ゲーム中に「負けてしまうかも」「ミスしたらどうしよう」と不安になってしまうとおっしゃるんですね。私からすると「よくそんな暇がありますね」と思うんですが(笑)、実際、そうなってしまう。それは結局、ゲームという電車を「途中下車」してしまっているからではないでしょうか。
もしもゲームを「動き続けている電車」だと捉えていたら、そんなことを考える暇はないと思うんです。ゲームという「動き続ける電車」の中で変化し続ける「景色」を前に、あれこれ計算し、判断し続けるのはかなり忙しいことです。たった一本のラリーであっても、丁寧に見て行けば、分析し、検討しなければならない要素がたくさんあります。サービスのコースをボール何個分ずらせばどうなるか、ということまで考え始めると、とても許された時間では間に合わないぐらい、頭を高速で回転させなければなりません。
本当であれば、ゲームというのは自分と相手とがひとつの電車に乗り、互いにその瞬間ごとの「景色」を前に頭と身体を総動員し、そして「ゲームセット」の声を聞いたら、一緒に電車を降りる、というものであるはずです。ところが現実には、途中でゲームを降りてしまう人がいる。そういう人は、どうやってもゲームに勝つことはできないでしょう。
言い換えれば「ゲーム中に余計なことを考えてしまう」というのは、その時点でゲームという「電車」から降りて、日常に帰ってきてしまっている、ということですね。日常の時間の進み方というのは、電車のように一方向に進んでいるわけではないので、余計なことを考える余裕ができてしまうわけです(笑)。
「負けそうかな」「ダメかな」と不安に思っている時点で、ゲームという電車から降りてしまっている。あるいは、ゲーム中に大声をあげて相手を威圧しようとする人も同じですね。大声を出すたびに、心がゲームから離れていってしまう。ゲームの時間というのは、留まらず、ずっと進んでいくものですからね。一球ごとに声を出して、いちいちゲームから意識を途切れさせている人は、とてもじゃないけれど、トップレベルの「ゲームの時間」についていけないと思います。
そういう視点から見ていくと、「超一流」の選手はみんな、「静か」なんですよ。テニスならロジャー・フェデラー選手を見てください。ほとんどの場面で、スッと静かに落ち着いてプレーをしています。もちろん時々、勝負どころで大きな声を出していることがありますが、自分を奮い立たせようとするあまり、思わず声が出ているのだと思います。少なくとも、相手を威嚇したり、観客にアピールするために騒ぎ回っているわけではない。
「ゲームの時間」という観点から、いろんな種目のゲームを観察してみてください。きっと、発見があると思いますよ。
<第1回ここまで>
【お知らせ】山中教子特別講義「ゲームからひもとく 自分を支える力」
およそ1年振りとなる、元卓球世界王者・山中教子による特別講義を2016年1月30日、アープカレッジすがも(JR巣鴨駅徒歩2分)にて行います!
詳細・お申し込みはこちらから
【お知らせその2】卓球世界王者のレッスンを自宅で受ける「アープ卓球通信」スタート!
小手先ではない、「本格的な卓球」を求めるあなたへ。
初心者からトッププレイヤー、指導者まで。アープ理論に基づく卓球の最先端を映像とテキストでお届けします。
その他の記事
|
大きくふたつに分断される沖縄のいま(高城剛) |
|
花盛りとなるステマ関連が見せる地獄の釜の淵(やまもといちろう) |
|
私事ながら、第4子になる長女に恵まれました(やまもといちろう) |
|
違憲PTAは変えられるか(小寺信良) |
|
季節の変わり目の体調管理(高城剛) |
|
テレビと政治の関係はいつから変質したのか(津田大介) |
|
次々回衆議院選挙10増10減の恐怖と有力政治家国替え大作戦の今後(やまもといちろう) |
|
YouTube広告問題とアドフラウド(やまもといちろう) |
|
人生の分水嶺は「瞬間」に宿る(名越康文) |
|
「価値とは何かを知る」–村上隆さんの個展を見ることの価値(岩崎夏海) |
|
父親の背中、母親の禁止–『ドラゴンボール』に学ぶ好奇心の育み方(岩崎夏海) |
|
なぜ僕は自分の作品が「嫌」になるのか–新作『LAST KNIGHTS / ラスト・ナイツ』近日公開・紀里谷和明が語る作品論(紀里谷和明) |
|
貧乏人とおひとり様に厳しい世界へのシフト(やまもといちろう) |
|
古い枠組みから脱するための復活の鍵は「ストリート」(高城剛) |
|
ゆたぼん氏の「不登校宣言」と過熱する中学お受験との間にある、ぬるぬるしたもの(やまもといちろう) |












