やまもといちろうメルマガ「人間迷路」より

個人の情報発信で考えていること



 こんど、みんなご存じ徳力基彦さんと、先日日経BP社から独立された井上理さんとでトークイベントをやるらしく、ほんのり観客としてお伺いしようと思っているんですよ。

#メディアミートアップ vol.6:一人のメディアはどこまで行けるのか

 で、お題が「一人のメディア」ということで、結構ここ20年ぐらい考えたり悩んだりしていることが多くて、自分なりに考えているテーマとしてどういうのがあるのだろうと、まあだいたい半年に一回ぐらい棚卸しておるので、それを喋ろうかなと思っています。

1. 組織に属していようと、結局書き切るのは一人の仕事

2. 個人の興味範囲以上にモノを書くことはできない

3. ブログから各メディアでの出店へ書くものを卸す仕組みに

4. 自分の名前で読んでもらえる仕組みは結局SNS頼み

5. 叩かれなければ読んでもらえない、オルタナティブへの理解

6. 訴訟は本当にリスクか

7. ひとりメディアのチームプレイは品質向上の夢を見るか

8. 個性を引き出させるトンマナとリズム、語調を確保できないと共感する読者は呼び込めない

 記事を書いて仕上げる、というのはなかなかしんどい仕事だと思われるところも多いんですけど、私なんかは好きで書き続けているわけですよ。苦にならないというか、知って、整理して、書いて、読まれて、この世に生きた証を残すことを目的にしているので、別に金にならなかろうが面倒だろうが訴訟リスクがあろうが気にしません。書きたくて、書いているわけですから。誰に頼まれるのでもなく、誰に愛されようと嫌われようと、神は私を見ておられます。それだけのことです。

 一方で、書いたものは読まれなければなりません。むつかしいのは、書くことが目的になってはならないということです。知っていることを書いているだけではチラシの裏ですから、いかに読まれるか、適切な人に届けるのかということはとても問題になります。

 組織に属した記者であろうが、私のような野良の書き手から続けている人間であろうが、読まれる仕組みがあって初めて存在を認められます。昔であれば、どこどこの新聞社の記事である、通信社の配信であるといえば読まれたのでしょうが、より込み入った話を読んでもらおうということになると、やはり「バイネームの強さ」は必要になってきます。つまり、誰が書いたのかで、読み手は読む前から記事の良し悪しを判断するようになっている、ということの裏返しでもあります。

 だからこそ、名前を出して読んでもらえるようにするための工夫や、私であれば「山本一郎」というアイコンでクリックしてくれる読み手の想定をしながら、どうやったら読まれるのかを考えてテーマからトーン・マナー、リズム、文章の装飾にいたるまで「山本一郎」というアイコンにそった調整をする必要があります。私が例えば恋愛小説を書いても、いまの私の記事の読み手には刺さらないでしょうから、もしもそういうものが書きたいとなれば、ペンネームを使ったり、誰かと共同作業で文章やシナリオを起こす必要が出てきます。

 どうしても看板が必要なケースも少なくないので、そういう場合は個人ブログからどんどん飛び出して、読み手が私の記事を拾い読みしやすいところに出張していくことが重要な局面に、ネットメディアも移ってきたと思います。個人ブログの記事はヤフーやスマートニュースは拾ってくれませんので、多くの人に読んでもらえる書き手としてポジションを確保するためには、出張するメディアや看板にあわせた記事を書き続けるしか方法はありません。これはこれで大変な作業なので、それができない人は折角の論考も読み手に伝わらないまま埋没していってしまいますし、器用に工夫できる人は書く場所をどんどん広げていって芸風を知られるぐらいまでにはのし上がっていけるというのが実際のウェブ系メディアのすごろくなのではないかと思うのです。

 書き続けていっている中で、目立てば叩かれますし、切っ先の鋭い批評記事を書けば訴えられるリスクも高まります。訴えられないような書き方を心掛けるというだけではなく、きちんと取材し、裏付けのあるもの以外は憶測でも書かない、事実の断定ではなく事象や人物に対する評価にとどめるといった、書き続けるために身を守るテクニックが必要というのはどうしてもあります。

 良くあるのが「ゴールはあるのか?」とか「将来のビジョンは持ちうるか?」という疑問や懸念です。でも、私の場合は冒頭に申しました通り、書き続けて、読まれているだけで幸せなのです。叩かれたり訴訟されたりすることが、むしろ「ああ、私は生きているのだなあ」と実感できますし、やはり問題の解決が調査の結果可能になって、それを書き綴っているあいだはたいていの場合、拭いがたい多幸感に包まれています。事実に辿り着いた瞬間は祝福を受けた気分になります。書いた記事でいきなり訴訟を提起されて、敢えて記事で触れなかった核心部分を証拠として裁判所に提出した次の期日で先方から持ちかけられる和解案を読んでいる時間は常に充実感で一杯です。

 私のような書き手になったほうがいい、などとおこがましいことを申し上げるつもりはありません。自分で自分の心情を書いていて、私は決して普通ではない、いやむしろ異常なほうだというのは何となく分かります。高みを目指して自分なりに頑張ってようやく辿り着いた境地が、他の人にとってはまったく魅力の無い修羅の世界であったとしても、私は幸せに包まれて修羅の世界で生きていくことができます。後悔をしたことはないし、たぶんこれからもずっとこういう活動をして死ぬまでこうなのでしょう。

 そういう異常さが私のある種の「作家性」を支えているのはよく承知している一方、私は決して多くの人たちから無限の共感を受けるような「一般性」は持っていないと思います。ジャニーズ事務所に所属する芸能人が国民の最大公約数的な好感を持つのと相対して、そういうメインストリームに場外からミサイルを撃ち込むことに価値を感じてもらえる人が、山本一郎という一人メディアのお客さんだということになります。

 それは良いとか悪いとかではなく、そういうものなのだ、と己を知ることが、分を弁え、背伸びせず、幸せに生きていく秘訣なのではないか、そう考えて今日も酷い記事をたくさん書いています。

 

やまもといちろうメールマガジン「人間迷路」

Vol.222 山本一郎という一人メディア、漫画村関係者の実名リスト、経産省キャッシュレス・ビジョン、それぞれについてを語る回
2018年4月18日発行号 目次
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【0. 序文】個人の情報発信で考えていること
【1. インシデント1】海賊版サイト「漫画村」はアドテク全盛時代の仇花か――漫画村本体および関連会社の全取引リストを見る
【2. インシデント2】経産省が唱えるキャッシュレス・ビジョンに感じるもの
【3. 迷子問答】迷路で迷っている者同士のQ&A

 
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やまもといちろう
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。サイバーインテリジェンス研究所統計技術主幹など歴任。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。日経ビジネス、文春オンライン、みんなの介護、こどものミライなど多くの媒体に執筆し「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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