※岩崎夏海のメルマガ「ハックルベリーに会いに行く」より
人間は愚かだが、愚かであることで生きられる
イカロスは、ギリシア神話に登場する人物の一人だ。彼は、職人(科学者ともいえる)の父・ダイダロスとともに、迷宮に幽閉されていた。そこで父が、科学の力で羽根を作り、それを使って飛ぶことで、脱出に成功した。
ただその際、息子は父から「羽根を固定している蝋が溶けてしまうから太陽には近づきすぎるな」と警告される。しかしそれにもかかわらず、イカロスは自らの力を過信し、太陽に近づきすぎる。そのためあえなく墜落し、死んでしまうのだ。
この話を聞いて、福島の原子力発電所のことを思い浮かべない日本人は、おそらくいないだろう。一見便利な、めざましい科学の発展が、やがて過信を招き、大きなわざわいにつながるというのは、ギリシア時代以来、人間が何度もくり返してきたことだ。
しかしそれゆえ、それは人間にとっての宿命——あるいは本質と言い換えることもできる。失敗をくり返すことは、実は単に愚かさの証明ということだけではなく、人間の本態であるということもできるのだ。「人間万事塞翁が馬」のことわざが表すように、失敗は必ずしもネガティブなできごとではない。イカロスの犠牲があるとはいえ、人類はそれを足がかりとし、生き延びてきた部分もるのだ。事実、ダイダロスはその後も生き続けるのである。
イカロスの神話が指し示すもう一つの意味合いは、実はそこである。人間は、単に愚かなだけではなく、逆に愚かであることで生きられるのだ。人は、空を飛ぶとつい自分の力を過信し、太陽に近づきすぎてしまう。そのおかげで、イカロス自身は死んでしまうが、ダイダロスやこの神話を読んだ他の人間たちは、そこで「イカロスのように振る舞ってはいけない」という尊い教訓を得ることができ、逆に延命を図れる。
つまり、イカロス一人の死が、その他大勢を生かすことにもつながっているのだ。これが、人間社会の、あるいはこの世界そのものの、残酷な構造となっている。
人間は、イカロスのようにお調子者の側面を持っている。だからこそ、「失敗」ができたり、犠牲を払えたりする。それによって、かえって全体としては活性化している。
コンビニで無駄な発注をなくした結果、どうなったか
あるとき聞いて驚いた、コンビニにおける逸話がある。コンビニにおいては、お弁当が主力商品なのだが、データや統計学を活用することで、その日に売れるお弁当の数というのは、ほぼ正確に予測できるようになっていた。そのため、あるとき経営者は、お弁当を「その日売れると予測される分」しか仕入れないことにした。なぜなら、売れ残る弁当は大きな無駄に思えたからだ。これを減らせば、もっと利益が上がると考えたのだ。
ところが、いざそれを実行してみると、予想もしていなかったことが起こった。お弁当が、事前の予測を大きく下回って、ちっとも売れなくなってしまったのだ。それまで毎日ほぼ正確にできていた予測が、この日以降、大きく外れるようになってしまった。
そこで原因を調べてみると、驚くべきことが分かった。コンビニのお弁当というのは、単に食べるためだけではなく、ディスプレイとしても機能していたのだ。どういうことかというと、客というのは、「たくさんあるお弁当の中からどれかを選びたい」と思い、買っていた。ところが、お弁当が一つしかないと、急に買う気が失せてしまうというのだ。つまり、廃棄している弁当も、単なる無駄ではなかった。それは、ディスプレイとして他のお弁当を引き立てる役割があったのである。
そのためコンビニでは、仕入れ量を以前と同じに戻したそうである。その方が、利益が上がるし、かえって効率的だったのだ。
人間社会にも、それは当てはまる。失敗し、足を引っ張っているような人間でも、他者の教訓になるという意味では、大きな存在価値がある。よく「自分には価値がない」と嘆く人がいるが、もしそれが本当なら、その「価値がない」ということが、他者にとっては「ああなってはいけない」という教訓となり、その意味で皮肉にも大きな価値があるのだ。
これは、集団だけではなく個人にも当てはまる。一個の人間の中にも、イカロス要素は必要なのだ。すなわち、イカロスのように傲慢で、浅はかで、軽はずみなところだ。その部分を活かすことで、人は失敗ができる。そして、その失敗から学ぶことができるのである。
岩崎夏海メールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」
『毎朝6時、スマホに2000字の「未来予測」が届きます。』 このメルマガは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』)作者の岩崎夏海が、長年コンテンツ業界で仕事をする中で培った「価値の読み解き方」を駆使し、混沌とした現代をどうとらえればいいのか?――また未来はどうなるのか?――を書き綴っていく社会評論コラムです。
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