ゲーム研究者・井上明人が考える『ゲーム的快楽』の原理

ゲームと物語のスイッチ

※この記事は宇野常寛さんのメールマガジン「ほぼ日刊惑星開発委員会 2014.7.23 vol.119 ゲームと物語のスイッチ――ゲーム研究者・井上明人が考える『ゲーム的快楽』の原理」のダイジェストです。(初出:『PLANETS vol.7』2010年)"

 

ビジネスへの応用可能性でも注目を集めている「ゲーミフィケーション」研究の第一人者・井上明人さんの論考。小説や映画のような「物語」と、「ゲーム」というジャンルの違い、そして、物語の快楽をときに凌駕する「ゲーム的な快楽」の正体について、哲学的に解き明かしていきます。

 

井上明人(いのうえ・あきと)

1980年生。国際大学GLOCOM客員研究員。ゲーム研究者および、ゲーミフィケーションの推進者。2010年日本デジタルゲーム学会第1回学会賞(若手奨励賞)受賞。2012年CEDEC AWARDSゲームデザイン部門優秀賞受賞。著書に『ゲーミフィケーション』(NHK出版)。

 

ゲームと物語のスイッチ

「ゲーム」と「物語」という二つの相性の悪さは、コンピュータ・ゲームの歴史においてしばしば大きな問題となってきた。「映画的ゲーム」「一本道RPG」「自由度」「ゲーム性」といったゲームに関わる評価の形容が使われるとき、この二つの相性の「悪さ」について言及されることが極めて多い。

本稿は、物語とゲームという二つの現象をどのように整理することができるのか。その問題についてささやかな整理を試みたい。物語とゲームという概念は思われているほどに相性が悪いものではなく、むしろ連続した概念である。そのことを、素描してみたいと思う。

なお、本稿で「物語」という術語を使うとき、narrativeとよばれることの多い領域を意識している。storyやシナリオといった領域は本稿の範囲を超えていることを予め述べておく。*1(*1Jerome Bruner "Making Stories: Law, Literature,Life", Harvard University Press (2003))

 

I.物語(Narrative)と、ゲーム。二つの連続について

物語と、ゲームはしばしば、同じようなものとして語られることがある。たとえば、次のような二つの表現を考えてみよう。

 

A お金持ちになって成功することが全て、という物語の中を生きている人
B 資本主義の金儲けのゲームの構造の中で勝ち抜くことこそが全てだと考える人

 

AとBの二つの表現から想像される人物像は、「物語」と「ゲーム」という二つの異なる表現を用いながら、ほとんど似たようなものを表現しているように思えるはずだ。何よりもお金を大切にしている人。お金を自分自身の人生にとって最も重要なものだと考えているような人。「物語」と「ゲーム」という別のものを介して表現されながらも、素描される人格は似たようなものだ。

一方で、ゲームと物語は全く別の現象でもある。また別の二つの事例を挙げる。

 

C ビル・ゲイツの伝記を読んで、マイクロソフトの成長プロセスを知ること
D ビル・ゲイツの人生をモデルにしたゲームをプレイし、ゲームの中のマイクロソフトを成長させること

 

この二つはビル・ゲイツとマイクロソフトに関わる知識を与える、という点では同様のことを可能にしているが、CとDでは様々な点が違っている。ビル・ゲイツの伝記を読めば、彼がどこの大学に入学していたのか、マイクロソフトが成功するまでのプロセスでどういった困難に直面したのか、といったことがわかるだろう。

一方で、ビル・ゲイツのゲームを遊べば、どういった構造的な困難を持っていたかということが理解できたりもするだろうし、もしかしたらマイクロソフトがアップルを買収したり、Googleを買収したりすることもできるかもしれない。または、ゲームをスタートさせた初期にIBMに買収されてしまってゲームオーバーになるかもしれない。マイクロソフトがこの30年の間にどれだけスリリングな状態にあったのかを、構造的に理解するという点ではゲームの方が優れた理解を与えるかもしれない。

ただし、現実に存在するマイクロソフトがどのような選択を実際に行ったのか、という確定した歴史を知るという意味ではビル・ゲイツの伝記を読んだ方がいいだろう。ニ〇〇九年現在のマイクロソフトは、Googleを買収していないし、IBMに買収もされていない。それは、歴史のifに過ぎない。

「ゲーム」も「物語」も、ともに何かの対象を描き出すことのできる手段だと捉えられる。同じものを描き出すこともできるが、その描き出し方には大きな違いがある。その違いがほとんど問題にならないような場合もあれば、大きく問題になるような場合もある。

いかなるときに、ゲームと物語は同一のものであり、いかなるときにゲームと物語は異なるものとなるのだろうか。

1 2 3

その他の記事

自分の心を4色に分ける——苦手な人とうまくつきあう方法(名越康文)
「芸能人になる」ということ–千秋の場合(天野ひろゆき)
動物園の新たな役割は「コミュニティ作り」かもしれない(川端裕人)
これからの時代をサバイブするための「圏外への旅」(高城剛)
インド最大の都市で感じる気候変動の脅威(高城剛)
当たり前だとわかっているけれど、なかなか実践できていないこと(本田雅一)
ロドリゲス島で出会った希少な「フルーツコウモリ」!(川端裕人)
レシート買い取りサービスONEと提携したDMMオートの思惑(本田雅一)
アーミテージ報告書の件で「kwsk」とのメールを多数戴いたので(やまもといちろう)
乱れてしまった自律神経を整える(高城剛)
季節にあわせた食の衣替え(高城剛)
暗黙の村のルールで成功した地域ブランド「銀座」(高城剛)
ウクライナ情勢と呼応する「キューバ危機」再来の不安(高城剛)
なぜ僕は自分の作品が「嫌」になるのか–新作『LAST KNIGHTS / ラスト・ナイツ』近日公開・紀里谷和明が語る作品論(紀里谷和明)
俺たちのSBIグループと再生エネルギーを巡る華麗なる一族小泉家を繋ぐ点と線(やまもといちろう)

ページのトップへ