ゲーム研究者・井上明人が考える『ゲーム的快楽』の原理

ゲームと物語のスイッチ

II.出来事の連なり、繰り返す出来事の連なり

 

整理してみよう。

まず、先ほどと同じようにゲームと物語の差が問題にならなさそうな事例を考えてみる。

E 自らのルールに世界を従わせるために、戦争を繰り返そうとする人の物語
F 勝者のみが、ルールを決めることができるという戦争のゲームをする人

(具体的な状況が頭に浮かびにくい人は『ゴッドファーザー』や『アドルフに告ぐ』などを思い浮かべてもらいたい)

さて、ここで試しに「人」という要素を抜いてみよう。

G  自らのルールに世界を従わせるために、戦争での勝利を繰り返す物語
H  勝者のみが、ルールを決めることができるという戦争のゲーム

 

この二つの文はE・Fと比較して、文意が変わってしまっている。しかしどのように変わってしまったのだろうか

まず、共通する要素から考えてみよう。ここで対象とされている物語とゲームには共通して、「勝利したならばルール設定権を持つ」という順序が存在することが述べられている。

ただし、G・Hでは、この順序の扱い方が決定的に違っている。G(物語)では、これは単なる一つの事柄の推移について述べたものだが、H(ゲーム)ではこれは因果性として規定されている。「勝利したならばルール設定権を持つ」を持つ、ということがG(物語)の記述では本当に妥当かどうかはわからない。勝利しても、ルールの設定権を持てないかもしれない。しかし、H(ゲーム)の記述では、勝利すれば、ルールの設定権が得られること自体が述べられている。「ある事柄Xがあり、そしてYという結果が得られた」という二つの物事の関係は、必ず起こることなのか、それともたまたまそのケースで起こることなのか。二つは別の事柄である。

しかしE・Fのように、「勝利→ルール設定権を持つ」という構造を信じる「人」を対象として記述してしまえば、この違いはかなりの程度まで隠蔽してしまうことが可能になる。勝利すれば、ルール設定権が得られる筈だ、と考えて行動する人の行動はほとんど同じものになるはずだ。もっとも、「勝利→ルール設定権を持つ」ということが必ず起こると信じている人と、数ある可能性の一つとして考えている人とでは、色々な違いはあるかもしれない。だが、思考の結果として実行される、行動の記述としては、かなり近い振る舞いとして理解ができるだろう。

ゲームと物語。両者ともに、二つ以上の事柄の推移について述べたものである。一方は、これを因果関係として規定し、一方はこれを一つの結果(先後関係)として規定する。

別の例を考えてみよう。例えば、「努力する全ての人は、必ず報われる」ということを信じている人がいるとしよう。この人が、努力すれば報われる、ということを信じている理由は、

I ある努力家が、ある成功を収める物語

を読んだからだったとしよう。『キュリー夫人』でも『マハトマ・ガンジー伝記』でも何でもかまわないが、そういった偉人伝を沢山読んでいる人が、努力すれば報われる、と信じるとする。だが、実際には、全ての努力が必ず報われるわけではないかもしれない。物語は、ゲームの構造を推測させる手がかりとして機能させることはできるかもしれないが、努力家十人が、大きな成功を収めた物語を観察できたからと言って、

J 全ての努力家が、必ず成功を収めるゲーム

であることを保証できるわけではない。むしろ、成功した十人の裏側で、悲惨な目にあった一〇〇人の努力家と、特に成功したわけでも没落したわけでもない五〇〇人の努力家がいたとすれば、

K 一定の条件を備えることのできた努力家ならば、成功を収めるゲーム

かもしれない。

 

さらに、これでコンピュータ・ゲームとして作ろうと思ったら「一定の条件」が何なのかを決めておく必要があるだろう。サイコロを降ったら決まるのか、それとも特定のキャラクターを選んだら決まるのか、あるいはキリスト教徒の英語話者であることを条件とするのか。ゲームスタート時の資金が一定以上、というのでもいい。

ただし、物語では、それが細かく決定されていなくともかまわない。「ビル・ゲイツが成功した」物語を書くために、それがビル・ゲイツの頭が良かったからなのか、努力家だったからなのか、白人だったからなのか、たまたま子供の頃からコンピュータに触れる環境があったからなのか、周囲の友人や知人が彼を見限ることがなかったからなのか。ビル・ゲイツが成功した条件を細かく決めることができなくとも、ビル・ゲイツが成功した経緯について物語としてまとめることは可能だ。

物語は、事柄の順序の推移を扱うことで成立することが許される。「ある人が、成功する物語」は成功に関する物語として読めるものになるだろう。しかし「ある人ならば、成功するゲーム」は成功に関するゲームとして遊べないはずだ。たまたま、ビル・ゲイツに生まれれば成功し、ビル・ゲイツに生まれなかった人は成功しないゲーム。ゲイツに生まれればそれでゲームクリアだし、ゲイツに生まれなかったら、ゲームオーバー。それは、五秒で終わる「ゲイツ出生ゲーム」になるかもしれないが、「成功」に関してはプレイしようがないゲームになる。

ここまでの議論を整理しておこう。

 

1.ゲームと物語は、ともに二つ以上の事柄の推移について述べたものである。(それゆえに、同じような概念として用いることが可能な場合がある)

2.物語は、二つ以上の事柄が順序的に結びついた事例について扱う(Xがあり、Yがあった)。ゲームは、二つ以上の事柄が因果的に結びつく状態を扱う(XならばYとなる)

1 2 3

その他の記事

国民投票サイト「ゼゼヒヒ」は何を変えるのか――津田大介、エンジニア・マサヒコが語るゼゼヒヒの意図(津田大介)
「iPhoneの発売日に行列ができました」がトップニュースになる理由(西田宗千佳)
なぜNTTドコモは「dポイント」への移行を急ぐのか(西田宗千佳)
「一人でできないこと」を補う仕組み–コワーキングスペースが持つ可能性(家入一真)
「最近面白くなくなった」と言われてしまうテレビの現場から(やまもといちろう)
音声で原稿を書くとき「頭」で起きていること(西田宗千佳)
ドイツの100年企業がスマートフォン時代に大成功した理由とは?(本田雅一)
『ご依頼の件』星新一著(Sugar)
宇野常寛特別インタビュー第6回「インターネット的知性の基本精神を取り戻せ!」(宇野常寛)
“リア充”に気後れを感じたら(名越康文)
kindle unlimitedへの対応で作家の考え方を知る時代(高城剛)
「自信が持てない」あなたへの「行」のススメ(名越康文)
先端医療がもたらす「あたらしい人類」の可能性に思いを馳せる(高城剛)
学術系の話で出鱈目が出回りやすい理由(やまもといちろう)
僕がネットに興味を持てなくなった理由(宇野常寛)

ページのトップへ