思わぬ真相が待っていた
振り返れば、「私の詩集」というのはそのような性質の「商品」だったのかもしれない。薄幸の文学少女が、自分の心が編んだ詩を売って生活を立てる。通りがかりの者が、思わず、支援したくなる。「私の詩集」を持って駅頭に立つ少女自体が、一つの「作品」なのであり、それは、いわば現代アートのパフォーマンスのような、そのようなものであったのではないか。
私が最後に「私の詩集」を買ったのは、数年前のことである。かつて少女だったその人は、成熟した女性になっていた。彼女は、まだきれいだった。そして、昔日と同じ雰囲気を漂わせていた。定価は、少し上がっていたかもしれない。
家に帰った私は、今度という今度は、いよいよ「私の詩集」を読んだ。すでに魔法は解け始めていたのだろう。驚くことに、詩集の名義は、男の名前になっていた。ファンタジーの皮がはがれると、思わぬ真相が待っていたのである。
事情通によると、あれは、男が書いた詩集を、その女が「私の詩集」として売るものなのだという。今立っている女性は、「二代目」なのだとも言う。
肝心の詩と言えば、あまり感心するものではなかった。何だか、羊頭狗肉な気がした。世の中は、ファンタジーの密度が、足りないね。
「私の詩集」は、そのまま、自分の机の横に置かれて、やがて埃が積もり始めた。そのうちに、その有り様を、目にするのもいやな気持ちになってきた。
それでも、私が高校を卒業してしばらくして見た「私の詩集」という幻は、今でも心の中できらきらと輝いている。目を閉じれば、あの時の感激が泉からわき出るようによみがえってくる。
思えば、「私の詩集」は、自分の心の純粋さのバロメータなのだろう。あの日、「私の詩集」を持って立っている、あの少女を見た時に心にわきあがってきたもの。本当は、いつまでも、買ってはいけなかったのだ。その仕組みを知ってはいけなかったのだ。ましてや、詩集を読んではいけなかったのだ。
生きるうちに、現実に染まって行く中で、いかに心の純度を保つか。この困難な命題のど真ん中に、「私の詩集」があるような気がして、思い出す度に心がざわざわする。
<茂木健一郎メルマガ『樹下の微睡み』Vol.28、「続・生きて死ぬ私」より>
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