茂木健一郎
@kenichiromogi

<続・生きて死ぬ私>「私の詩集」より

「文章を売る」ということ

思わぬ真相が待っていた

振り返れば、「私の詩集」というのはそのような性質の「商品」だったのかもしれない。薄幸の文学少女が、自分の心が編んだ詩を売って生活を立てる。通りがかりの者が、思わず、支援したくなる。「私の詩集」を持って駅頭に立つ少女自体が、一つの「作品」なのであり、それは、いわば現代アートのパフォーマンスのような、そのようなものであったのではないか。

私が最後に「私の詩集」を買ったのは、数年前のことである。かつて少女だったその人は、成熟した女性になっていた。彼女は、まだきれいだった。そして、昔日と同じ雰囲気を漂わせていた。定価は、少し上がっていたかもしれない。

家に帰った私は、今度という今度は、いよいよ「私の詩集」を読んだ。すでに魔法は解け始めていたのだろう。驚くことに、詩集の名義は、男の名前になっていた。ファンタジーの皮がはがれると、思わぬ真相が待っていたのである。

事情通によると、あれは、男が書いた詩集を、その女が「私の詩集」として売るものなのだという。今立っている女性は、「二代目」なのだとも言う。

肝心の詩と言えば、あまり感心するものではなかった。何だか、羊頭狗肉な気がした。世の中は、ファンタジーの密度が、足りないね。

「私の詩集」は、そのまま、自分の机の横に置かれて、やがて埃が積もり始めた。そのうちに、その有り様を、目にするのもいやな気持ちになってきた。

それでも、私が高校を卒業してしばらくして見た「私の詩集」という幻は、今でも心の中できらきらと輝いている。目を閉じれば、あの時の感激が泉からわき出るようによみがえってくる。

思えば、「私の詩集」は、自分の心の純粋さのバロメータなのだろう。あの日、「私の詩集」を持って立っている、あの少女を見た時に心にわきあがってきたもの。本当は、いつまでも、買ってはいけなかったのだ。その仕組みを知ってはいけなかったのだ。ましてや、詩集を読んではいけなかったのだ。

生きるうちに、現実に染まって行く中で、いかに心の純度を保つか。この困難な命題のど真ん中に、「私の詩集」があるような気がして、思い出す度に心がざわざわする。

 

茂木健一郎メルマガ『樹下の微睡み』Vol.28、「続・生きて死ぬ私」より>

1 2
茂木健一郎
脳科学者。1962年東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文藝評論、美術評論などにも取り組む。2006年1月~2010年3月、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター。『脳と仮想』(小林秀雄賞)、『今、ここからすべての場所へ』(桑原武夫学芸賞)、『脳とクオリア』、『生きて死ぬ私』など著書多数。

その他の記事

21世紀に繁栄するのは「空港運営」が上手な国(高城剛)
トランスフォーマー:ロストエイジを生き延びた、日本ものづくりを継ぐ者 ――デザイナー・大西裕弥インタビュー(宇野常寛)
不調の原因は食にあり(高城剛)
アップル暗黒の時代だった90年代の思い出(本田雅一)
成宮寛貴友人A氏のブログの話(やまもといちろう)
視力回復には太陽の恵みが有効?(高城剛)
夏の京都で考える日本の「失われた150年」(高城剛)
いまさらだが「川上量生さんはもう駄目なんじゃないか」という話(やまもといちろう)
居場所を作れる人の空気術(家入一真)
迷走ソフトバンクのあれやこれやが面倒なことに(やまもといちろう)
ピダハンから考える信仰における「ほんとう」について(甲野善紀)
季節の変わり目の体調管理(高城剛)
正しい正しさの持ち方(岩崎夏海)
川端裕人×荒木健太郎<雲を見る、雲を読む〜究極の「雲愛」対談>(川端裕人)
小商いと贈与(平川克美)
茂木健一郎のメールマガジン
「樹下の微睡み」

[料金(税込)] 550円(税込)/ 月
[発行周期] 月2回発行(第1,第3月曜日配信予定) 「英語塾」を原則毎日発行

ページのトップへ