寝転んで、お腹を掻きながら
「おとな学」なんていうタイトルで、原稿を書いているわけですが、じっさいのところ「おとな」を定義するものなどはないのです。
まさに、ヘーゲルがいうように「王が王であるためには、家臣がいるから」というほかはありません。「おとながおとなであるためには、こどもがいるから」ということですね。では、こどもとは何かということになりますが、こちらの方も定義することなどはできません。「こどもがこどもであるためには、おとながいるから」という他はないのです。
現代という時代は、このこどもとおとなの境界線があいまいになった時代だといえるだろうと思います。その理由は様々あるのでしょうが、わたしは市場経済の隆盛というものが、大きな理由のひとつではないかと考えています。
今回はそのことをご説明しましょう。
もともと、定義も公準もない「おとな」とか、「こども」といった言葉をめぐっての考察ですので、科学的な根拠のある話ではありませんし、何か答えが出てくるような問題でもありませんので、寝転んで、お腹でも掻きながら、お読みいただければ結構です。
寝転んで、お腹を掻きながら、書物を読むというのは、実はわたしが描いているおとなのイメージでもあるわけです。こどもはそんなことしませんからね。
その他の記事
![]() |
「なぜかモテる人たち」のたったひとつの共通点(岩崎夏海) |
![]() |
米国大統領とテカムセの呪い(高城剛) |
![]() |
自分をさらけ出そう(家入一真) |
![]() |
大騒ぎの野球賭博と山口組分裂騒動あれこれ(やまもといちろう) |
![]() |
「新聞を読んでいる人は、政治的、社会的に先鋭化された人」という状況について(やまもといちろう) |
![]() |
美食の秘訣は新月にあり(高城剛) |
![]() |
リモートワーク時代のエンタメを考える(本田雅一) |
![]() |
かつて都市の隆盛を象徴した駅や空港の「行列」「混雑」は古くさい20世紀の思い出に過ぎない(高城剛) |
![]() |
「対面力」こそAIにできない最後の人の役割(高城剛) |
![]() |
スマホv.s.PC議論がもう古い理由(小寺信良) |
![]() |
「テレビを作る側」はどこを向いているか(小寺信良) |
![]() |
オーバーツーリズムの功罪(高城剛) |
![]() |
宇野常寛特別インタビュー第6回「インターネット的知性の基本精神を取り戻せ!」(宇野常寛) |
![]() |
袋小路に入ってしまった年金制度改革をどうしたものか(やまもといちろう) |
![]() |
観光バブル真っ直中の石垣島から(高城剛) |