メルマガ『大人の条件』にて連載中の<「おとな学」入門>より

悲しみの三波春夫

寝転んで、お腹を掻きながら

「おとな学」なんていうタイトルで、原稿を書いているわけですが、じっさいのところ「おとな」を定義するものなどはないのです。

まさに、ヘーゲルがいうように「王が王であるためには、家臣がいるから」というほかはありません。「おとながおとなであるためには、こどもがいるから」ということですね。では、こどもとは何かということになりますが、こちらの方も定義することなどはできません。「こどもがこどもであるためには、おとながいるから」という他はないのです。

現代という時代は、このこどもとおとなの境界線があいまいになった時代だといえるだろうと思います。その理由は様々あるのでしょうが、わたしは市場経済の隆盛というものが、大きな理由のひとつではないかと考えています。

今回はそのことをご説明しましょう。

もともと、定義も公準もない「おとな」とか、「こども」といった言葉をめぐっての考察ですので、科学的な根拠のある話ではありませんし、何か答えが出てくるような問題でもありませんので、寝転んで、お腹でも掻きながら、お読みいただければ結構です。

寝転んで、お腹を掻きながら、書物を読むというのは、実はわたしが描いているおとなのイメージでもあるわけです。こどもはそんなことしませんからね。

1 2 3 4 5

その他の記事

日本の未来の鍵は「日韓トンネル」と「日露トンネル」(高城剛)
米国政府の保護主義政策。実は数年来の不均衡揺り戻し(本田雅一)
世界経済の混乱をどう生き抜くか(やまもといちろう)
“今、見えているもの”が信じられなくなる話(本田雅一)
IR誘致に賭ける和歌山の今が象徴する日本の岐路(高城剛)
中国人のビザ免除方面も含めた日中間交渉のジレンマについて(やまもといちろう)
突然蓮舫が出てきたよ都知事選スペシャル(やまもといちろう)
無意識の中にある「他者への期待」–その功罪(名越康文)
東京丸の内再発見(高城剛)
日本の「対外情報部門新設」を簡単に主張する人たちについて(やまもといちろう)
ボブ・ディランとぼく(ロバート・ハリス)
「レゴとは、現実よりもリアルなブロックである」(宇野常寛)
年末企画:2019年度の「私的なベストガジェット」(高城剛)
古い日本を感じる夏のホーリーウィークを満喫する(高城剛)
「テレビに出ている若手ロシア専門家」が古典派ロシア研究者にDISられる件(やまもといちろう)

ページのトップへ