個人への批判が引き起こす問題
日本国内にいるとなかなか気づかないことだと思いますが、今、英語が世界的な言語になっている中で、情報が流通し、取材が自由に行われ、様々な事実が多角的に明らかにされていくという世界的な潮流があります。この潮流と日本のメディアの状況がズレていることは事実だと思います。つまり、日本という国が、失われた20年の中で、世界的なプレゼンスを低下させて、力を失っている。この現状を打破するためには、国を開かなければいけないというのが事実だと思います。この点について、上杉さんが指摘されていることについては、私は耳を傾ける必要があると思うのです。
ところが、ツイッターなどソーシャルメディアを中心とする日本人の言論の様子を見ていますと、今回の上杉さんの件について「読売の記事を盗用した」と指摘することばかりで、むしろ日本のメディアにおいて何が一番大事な問題なのかが見えにくくなっている気がします。もちろん、上杉さんも公人なので、上杉さんがどのような形で情報を得て報道されているかについては、皆さんにわかりやすく説明する義務があると思います。でも、そのことと、上杉さんが指摘されてきた「日本のメディアの閉鎖性」はまったく別の問題です。下手をすると、上杉隆という個人に対する批判が、既存メディアの現状についての援護射撃になりかねない。そして、このような状況は非常に良くないと私は思います。
上杉さんには、私が横から見ていても、いろいろ危ういところがあります。その危うさが、ひょっとしたら、上杉隆という人の人間的な魅力にも繋がっているのかもしれません。日本のメディアはもっと開かれなければいけないということは、プリンシプルに基づいた指摘です。上杉さんほど、大きな波及効果のある形で、そのような指摘をすることが誰もできなかったというのは事実です。メディアの閉鎖性は多くの方が指摘されてきたことですが、これだけ関心を集めるきっかけになったのは、上杉隆さんの功績が大きいと思います。上杉隆という非常にユニークな個性を持った方、私も近くから見ていていろいろ危ういところがある方、そういう方が公共性に関わる重要な指摘をされたということが、日本のジャーナリズムの歴史を考えれば、興味深い偶然だと思います。
私は、上杉さんの発言の動機は、決して悪いものではなく、日本の現状を憂うものだったと思います。そして、その発言の背景にある現場感覚は信じるに足るものだと思っています。ただ、上杉さんの表現には独特のスタイルがあり、誤解を受けやすことも事実でしょう。上杉さんがもし、日本のメディアの閉鎖された現状について、あまり饒舌になり過ぎることなく事実だけをビシッと伝え続けているならば、日本の方々により理解されやすい形になったかもしれません。ある意味では非常に花がある、ある意味では危うい方なので、そのことがかえって問題の本質を見えにくくしているのではないかと懸念します。
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