西田宗千佳×小寺信良対談 その5(最終回)

教育にITを持ち込むということ

IT機器は教科書よりも、教材であったほうがいい

小寺 うん。教科の外側にある本質的なことで、学ぶエンジンになるのは、やっぱり人に評価される、ということなんですよね。今、学校の中で評価されるって言えば、先生が誉めるとか二重丸もらうとか、そういう非常に限られた……教育者という立場に立った人の判断だけになってる。

たとえば工作のレベルとかっていうのは、その学年の子どもなりの難易度というか琴線に触れる部分があって、先生には評価されないんだけど、子どもたちにとってはこれはスゲェ! ってやつがあったりするじゃないですか。逆の方向では、こんなの作れるわけねえ、親に手伝ってもらったろ、みたいなこと。

そういうところでもっといろんな方面からの評価があって、初めてバランスが取れる。なんかこうね、僕も子どもを学校に行かしてて、この評価軸でいいのかな? ってところを時々感じますね。

西田 その時に、IT機器があると、IT機器がうまい子が評価される、って思われがちじゃないですか。

小寺 あー。そうじゃないよな。

西田 そう、それは違うんだな、というのがなんとなくわかってきた気が。だからね、本出した後にも、いろんな電子教科書の話題が盛り上がってきて。結果的にやっぱり電子教科書を導入しましょう、という話になったら、そうじゃねえだろう、という気持ちにどんどんなってきました。むしろ、教科書要らないだろ、そうじゃないんじゃない? という気分にすらなってますね。

小寺 僕も西田さんが書かれたあの本の時にインタビューされたんですけど、IT機器は教科書よりも、教材であったほうがよりいいと思うんですよね。教科書はどうしても、日本の検定制度の中ではやりづらい。検定をやめろ、という風には誰もコンセンサスが取れないので。手っ取り早くやるためには、教材として入れるしかないと思う。

西田 そうね。しかも、入れてく速度が、韓国に比べて遅れてるとかシンガポールに比べて遅れてるとか、そんなのどうでもいいんじゃないの、っていう気もしていて。そう考えた時に、いろんな子がね、評価される軸として、ある子は運動で評価されるかもしれないし、ある子は書道がうまいとかで評価されるかもしれない。ある子は、そういう表現で評価されるかもしれない。

要は、その表現のための道具として、紙とペンだけじゃダメなんだと。じゃあコンピュータも使えばいいんじゃないの、という。その時に多分、パソコンよりもタブレットのほうが、子どもには向いてるのかな? という感じですよね。

1 2 3 4

その他の記事

日本人の情報感度の低さはどこからくるのか(やまもといちろう)
スマホが売れないという香港の景気から世界の先行きを予見する(高城剛)
週刊金融日記 第285号<暗号通貨トレーディング失敗記録もぜんぶメルマガ読者にお見せします、株式市場は日米の政策期待に期待他>(藤沢数希)
突然蓮舫が出てきたよ都知事選スペシャル(やまもといちろう)
20代のうちは「借金してでも自分に先行投資する」ほうがいい?(家入一真)
インタラクションデザイン時代の到来ーー Appleの新製品にみる「オレンジよりオレンジ味」の革命(西田宗千佳)
「夢の国」に背徳が登場する日はやってくるのか(高城剛)
この冬は「ヒートショック」に注意(小寺信良)
ソフトバンク・Pepperの価格設定から見る「売り切り時代」の終わり(西田宗千佳)
衰退する日本のパラダイムシフトを先導するのは誰か(やまもといちろう)
「日本版DBS」今国会での成立見送りと関連議論の踏み外し感の怖さ(やまもといちろう)
スーツは「これから出会う相手」への贈り物 (岩崎夏海)
沖縄、そして日本の未来を担う「やんばる」(高城剛)
喜怒哀楽を取り戻す意味(岩崎夏海)
技術はなんのために使うべきなのか(西田宗千佳)

ページのトップへ