「親しみ」がないところに生産的な議論はない
言葉が発せられ、受け取られる場に必要なのは、僕の言葉でいえば「親しみ」です。例えばいま、政治議論の場に「親しみ」らしきものが見られるでしょうか。むしろ、親しみの対極といってもいい空気が蔓延しているように思います。常に相手の言葉尻をとらえて批判し、失点させようとしている。
ときどきラジオ番組に出演すると、互いに相手の意図を汲みあうような親しみの空気を強く感じることがありますが、メディアに乗る言葉のやりとりで、それはどちらかというと例外的です。テレビやtwitterの議論は「親しみなんてあってたまるか」という雰囲気がほとんどですよね。
これでは、言葉の射程距離は絶望的なくらい短くなってしまいます。
僕が議論をしない理由はこれです。面と向かってもしないし、twitterでの議論なんて論外です(笑)。だって、親しみがないところでは言葉は絶対に通じないから。
親しみのない場でいくらがんばって言葉をつくしても、まったく無意味です。個人的にはそんなに好みではないけれど、欧米人でスピーチが上手な人は、必ず冒頭でちょっと笑いを取りますよね。あれはやはり、大陸の厳しい文化の中で培われたスキルなんだと思います。
つまり、言語そのものが通じないことだって少なくない大陸では、人前で話すときには何よりその場に「親しみ」の空気を作るということが死活的に重要だということが、骨身にしみているんでしょうね。それがなければ、いくら理路整然と内容を述べても通じないものは通じないのだということを、彼らはよく知っている。
ただその一方で、僕は冒頭にジョークを挟むといった「話術」でやれることには限界があるとも思っています。はっきりいえば、意図的に相手の言葉の「距離」とか「方向」をずらしてやろうと構えている人たちの前で話すことに、どんな意味があるのか、と思っているんですね。
互いに親しみを持って言葉を交わせる場を作ることができれば、言葉の射程距離は驚くほど伸びます。それは、言葉を受け取る側にとっても、発信する側にとっても、すごくメリットの大きいことだと思うんです。どうしてみんな、そういう方向に向かおうとしないのでしょう。

その他の記事
![]() |
【高城未来研究所】「海外に誇る日本」としてのデパ地下を探求する(高城剛) |
![]() |
見た目はエントリープラグ? 驚異の立ち乗りロケット「ティコ・ブラーエ」を見てきました(川端裕人) |
![]() |
ポスト・パンデミックのキューバはどこに向かうのか(高城剛) |
![]() |
冠婚葬祭に思うこと(やまもといちろう) |
![]() |
宇野常寛特別インタビュー第4回「僕がもし小説を書くなら男3人同居ものにする!」(宇野常寛) |
![]() |
『仏像 心とかたち』望月信成著(森田真生) |
![]() |
川の向こう側とこちら側(名越康文) |
![]() |
想像もしていないようなことが環境の変化で起きてしまう世の中(本田雅一) |
![]() |
2本の足で立つ、ということ(やまもといちろう) |
![]() |
あたらしいライフスタイルのひとつとして急浮上する「スロマド」(高城剛) |
![]() |
江東区長辞職から柿沢未途さん法務副大臣辞職までのすったもんだ(やまもといちろう) |
![]() |
「海賊版サイト」対策は、旧作まんがやアニメの無料化から進めるべきでは(やまもといちろう) |
![]() |
仮想通貨周りやオンラインサロンが酷いことになっている現状について(やまもといちろう) |
![]() |
言語を問うことの意味(甲野善紀) |
![]() |
最近ハゲ関連が熱い、あるいは新潟日報と報道の問題について(やまもといちろう) |