『潮騒』の炎を越える体験
数々の失敗を繰り返したのび太は、いっそのこと、もうしずかちゃんが自分のことを嫌いになってしまえばいい……とまで思い込むようになる。
将来結婚出来るとしても「僕なんかと結婚したら、しずちゃんは一生不幸になるかもしれない」と。
そんなのび太の恋わずらいゆえの浮かない顔を、先生に叱られて人生が嫌になったからではないかとしずかは思う。だが声をかけようとした自分のスカートをめくるのび太に怒り、駆け去るのだった。
そしてのび太は仕上げとばかり、ドラえもんのひみつ道具「虫スカン」を使うことにする。これを飲んだ者は強烈な異臭を発し、その臭いに接した者は誰でも嫌悪せざるを得ない……という薬である。
だがその薬を勢いで一気飲みしてしまい、自室で倒れ込んだのび太を、強烈な異臭に耐えながら、しずかが頑張って、這いつくばってまでものび太の部屋に到達する『しずちゃんさようなら』というエピソードがあり、これも今回映画化されている。
個人的には、これは、三島由紀夫原作で何度も映画化された、『潮騒』の、「この火を飛び越えてみよ!」を越える名シチュエーションだと思う。
臭いによる嫌悪感。それも究極のものを越えてまで、その人のことを助けたいという気持ち。それはこれまで何百何千という物語で描かれてきた、男女の障壁として立ちはだかる逆境をも凌駕するものだろう。
この場面に至る前に、しずかが、自分のスカートをめくった時ののび太がつらい表情だったことを瞬間的に思い出し、駆けつけてきたという、実に映画的な契機を、今回の作品では盛り込んでいるのがミソである。
原作からエピソードを織り合わせる時、脚本を書いた山崎貴は、結婚前夜にしずかのパパが言う「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる」というのび太像は、『しずちゃんさようなら』で描かれる、自分のせいでしずかちゃんが不幸になるかもしれないという、超先回り的な想像力にも現れているという解釈を持っていたことが、本作のプレスシートで語られていた。
言われてみればそうかもしれない。そこまで深く相手の幸せを思うことが出来るからこそ、二人は潜在的に結びつくのだ。
ドラえもんと別れる日
過去から自分を応援しにやってきたのび太と、未来ののび太が対面するシーンで、未来の青年のび太は、遠く公園で昼寝をしているドラえもんにあえて近寄らず、声もかけない。
青年のび太は、こんなことを言っていた。ドラえもんは、子ども時代の僕の友だちだから……。
これは、未来のこの時点に到達する前に、いつかのび太とドラえもんには別れる時が来るということを示している。
前述の通り、この作品で明確化された縦軸は、のび太がしずかちゃんとの恋を成就出来る可能性のある人間に成長し、その幸福感を抱くようになるまでドラえもんが手助けするというものだった。
のび太が幸せを感じた時、別れが来る。
未来予想でのしずかちゃんとの結婚の可能性が倍増していると知った時、タケコプターで飛びあがり、全身で喜びを体感するのび太を遠くに見ながら、ドラえもんが彼との別れも近いことを実感するのは、この映画のために新たに用意された、印象に残るシーンである。
映画の最初で、まだタケコプターをコントロールできず、めまぐるしい画面転換で文字通りキリキリ舞いするのび太を描いたこの映画だが、もはやすっかりタケコプターを自分のものにし、天駆ける自由を謳歌している。
彼の成長が文字通り躍動する場面として、映画的に描かれ、その頂点で別れの予感が告げ知らされる。
前にも書いたように、この映画は、ブリッジとなるさりげないシーンを除き、特別原作に大きな改変を加えてはいない。
ドラえもんとの別離と再会も、原作にある『さようならドラえもん』『帰ってきたドラえもん』のエピソードそのままだ。
山崎・八木両監督は、原作から『さようならドラえもん』のエピソードを映像化する時、ジャイアンとの喧嘩に粘り勝ちして帰ってきたのび太が寝ている横で、優しく見守るドラえもんが、同じ構図の次のコマ(朝日が窓から差し込んでいる)ではいなくなっている……という、たった2コマで別離を表現するツボを、映画でも再現する。
『ドラえもん』のここ数年のアニメ劇場版が、やや過剰演出で原作の行間を引き延ばして埋め尽くし、強弱がなくなってしまっていることへの、いいカウンターにもなっている。
ドラえもんが安心して未来に帰れるようにと、いつもは逃げ回っているいじめっ子のジャイアンに喧嘩を仕掛け、何度倒れてもすがりつくのび太に、ジャイアンが根負けして去っていくくだりでも、ジャイアン側の感情を強調しないで、あえてあっさり処理しているのがいい。
原作を知っている方はご存じのように、藤子F先生は、『さようならドラえもん』の翌月に『帰ってきたドラえもん』を描き、のび太にドラえもんを戻してあげている。
だからのび太との決定的な別れは、実は映画の中でも回避されている。
だが前述の、未来における青年のび太が、ドラえもんを遠くから見ながら言う、「子ども時代の僕の友だちだから」という意味の言葉を、この映画はあえて観客に聞かせている。
むろんこれは、ひとつの並行宇宙の出来事であり、別の未来では回避された……という見方も出来るだろう。
最終的な答えは出さないで、観客に委ねられているのだが、私はやはり、ドラえもんはのび太が大人になる前に、どこかで別れるべき存在であり、それは藤子F先生も認識していたことだと思っている。
なぜなら『ドラえもん』というのは、とりたてて取り得のない人間が、最後の最後は自分自身を頼みにするしかなく、でもそうした現実にむき出しにさらされる前に、人には多くの手助けが必要だということを描いたドラマだと私は思っているからだ。
ドラえもんというロボットは、子どもの視聴者(読者)にとっては「いたらいいな」という存在であり、大人の視聴者にとっては、子ども時代、自分を守ってくれたものに気付き、感謝する対象の象徴だと思う。
この映画は、『ドラえもん』の原作をひとつも読んだことがなく、テレビも映画も一本も見たことがない人でも、その世界観を見事に凝縮されたかたちで味わうことが出来るであろう、奇跡のような作品である。
『STAND BY ME ドラえもん』
8月8日公開
公式サイト
筆者:切通理作
1964年東京都生まれ。文化批評。編集者を経て1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』で著作デビュー。著書に『お前がセカイを殺したいなら』『情緒論~セカイをそのまま見るということ』『特撮黙示録1995-2002』等がある。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。今夏に『ゴジラ』のオリジンを生み出した映画監督を論じる『本多猪四郎 無冠の巨匠 MONSTER MASTER(仮)』(洋泉社)を刊行。
切通理作メールマガジン「映画の友よ」
「新しい日本映画を全部見ます」。一週間以上の期間、昼から夜まで公開が予定されている実写の劇映画はすべて見て、批評します。アニメやドキュメンタリー、レイトショーで上映される作品なども「これは」と思ったら見に行きます。キネマ旬報ベストテン、映画秘宝ベストテン、日本映画プロフェッショナル大賞の現役審査員であり、過去には映画芸術ベストテン、毎日コンクールドキュメンタリー部門、大藤信郎賞(アニメ映画)、サンダンス映画祭アジア部門日本選考、東京財団アニメ批評コンテスト等で審査員を務めてきた筆者が、日々追いかける映画について本音で配信。基準のよくわからない星取り表などではなく、その映画が何を求める人に必要とされているかを明快に示します。
「この映画に関わった人と会いたい」「この人と映画の話をしたい!」と思ったら、無鉄砲に出かけていきます。普段から特撮やピンク映画の連載を持ち、趣味としても大好きなので、古今東西の特撮映画の醍醐味をひもとく連載『特撮黙示録1954-2014』や、クールな美女子に会いに行っちゃう『セクシー・ダイナマイト』等の記事も強引に展開させていきます。
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