甲野善紀
@shouseikan

対話・狭霧の彼方に--甲野善紀×田口慎也往復書簡集(5)

死をどのように受け止めるか

 

「已むに已まれぬ想い」と共にホスピスの活動に携わる方々

 

ただし、身近な人間が苦しんでいる姿を目の当たりにしている場合や、自分自身が大病を患って死を切実なものとして感じている際に、「それでも何かできることはないか」という思いを已むに已まれずに持ってしまうのも人間だと思います。

私自身はホスピス医療に反対しているわけではありません。

それは「已むに已まれず」の想いでホスピスの活動を行っている方にお会いし、直接お話を伺ったことがあるためです。東京の山谷で「きぼうのいえ」という在宅型のホスピスを運営されている山本雅基さんという方です。私は2006年の夏、一度だけ、このホスピスを訪れました。そこには、住む家もない日雇い労働者の方々や、末期症状の病気を抱えた方が入居されていました。そうした方々に対して、山本さんは最期を迎えるための居場所、「終の棲み家」を提供するために、在宅型のホスピスを始められたのです。そこでは、多くの「居場所がなかった」人々が、山本さんやスタッフの方に看取られながら旅立っていくそうです。

山本さんは『山谷でホスピス始めました。』というご著書の中で、多くの方々を看取っていくなかで気づかれたことを以下のように書かれています。

 

「そんななかで、ぼくははっきりとした発見をした。ただ寄り添うことが大事なのだということ。助けが必要だと思っているひとには喜んで協力しよう。でも放っておいてほしいというひとは、せめて憂いのないように環境を整えて、心ゆくまで放っておこう。

愛しにくいひとはいる。それを無理に愛することはできない。でも、死を何度か看取るたびに、どんな人であれ、生きているという事実は、それだけでいとおしいことなのだと、ぼくは思うようになった」(『山谷でホスピス始めました。』)

 

ここでは、「全てを手の内にいれ、コントロールする」という発想はありません。「最終的には、ただ寄り添うことしかない」という覚悟が書かれています。付言いたしますと、山本さんはクリスチャンの方です。この「寄り添う」という姿勢は、キリスト教の教えと結びついたものであると思います。偉そうなことは何も言えませんが、この「ただ寄り添う」という(おそらく『信仰』と結びついた)想いに支えられたホスピスを経営されている山本さんに、私は畏敬の念を頂きます。

「死」の問題は複雑です。そして人によって「いかに死を引き受けるか」という方法や考えは異なるものであると思います。私自身も「死」というものについて考え抜いたわけでも、実感として何かを掴んでいるわけでも全くありません。それでも、「死は別系列である」「死は人間の手のうちには決して入らない」ということと、「已むに已まれぬ」想いで死を「自らが納得するかたち」で引き受けようとすること。この2つの考え・姿勢を両方抱えたまま、この問題についても考え続けていきたいと思います。

 

暴走する主義主張と信仰について

 

最後に、「暴走する人間の主義・主張」について、少しだけ触れさせていただきたいと思います。甲野先生のお手紙に書かれている民族迫害などの「『狂信的』な社会運動」の問題は、ある思想が集団的な運動に結びついた際の危険性の問題であると思います。私は以前、「公」と「私」という観点から宗教について文章を書かせていただきましたが、個人的な「信仰心」のレベルを超えて集団的な運動に発展した場合、信仰や主義・主張は暴走する危険が常に存在します。以前、養老孟司先生が「私は個人的な『信仰心』は信じるが、『宗教団体』は信じない」とどこかで書かれていましたが、まさにこの問題と関わる発言であると思います。『大地の母』に描かれている秋山真之らの暴走も、こうした狂信と集団的な暴走の問題が描かれている部分です。

ただ、この問題に関してはまだ考え始めたばかりの段階であり、正直、「自分の意見」と言えるほど考えつめているわけではありません。ただ、甲野先生が書かれた

「私は私の主張や考えが、私個人は「正しい」というか、「そうあるべきだ」と思う事でも世の中全体の状況を見た時、決してそれを強くは勧められないとの思いも同時に持っていて、それで、まあまあ社会とそれなりの折り合いをつけてきたのです」

ということと関連しますが、キーワードとしては、以前書かせていただいた「閉じない」ということ、信仰を「相対化」し「絶対」を避けること、ある種の「後ろめたさ」を常に持ち続けること、などがあると思います。あくまで「個」のレベルの主義主張や信仰の自由は保障しつつ、「個」の枠を超えた場合の危険性を常に認識し、あくまで信仰の価値を「相対化」させること、あくまで「個」のレベルにとどまらせることが重要であると思います。

浄土真宗の釈徹宗先生が「いわゆる『古くからある』宗教には、必ず『暴走』しないように歯止めをかけるシステムが存在しています。たとえば仏教では、個人的な『神秘体験』の類は全て切り捨てるようになっています。こうしたシステムがなければ、宗教は極めて危険な方向に走り出す危険性があるのです」といったことを書かれていたように記憶していますが、宗教団体であれ、社会運動的な団体であれ、常にこうした「内部から暴走を食い止める装置」を導入し、暴走を防ぐためのシステムを作り上げていくしかないと思っています。

田口慎也

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甲野善紀
こうの・よしのり 1949年東京生まれ。武術研究家。武術を通じて「人間にとっての自然」を探求しようと、78年に松聲館道場を起こし、技と術理を研究。99年頃からは武術に限らず、さまざまなスポーツへの応用に成果を得る。介護や楽器演奏、教育などの分野からの関心も高い。著書『剣の精神誌』『古武術からの発想』、共著『身体から革命を起こす』など多数。

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