※メールマガジン「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」2015年4月17日 Vol.031 <春本番号>より
4月12日は、第18回統一地方選前半の投票が行なわれた。僕の住むさいたま市でも市議会議員選挙が行なわれ、僕の選挙区では候補者11名、当選人9名が決定した。わりかしゆるい選挙だったと言えるだろう。
しかし11名も候補者がいる割に、うちの近所にまで選挙カーが回ってきたのは4~5名だったのではないか。まあ回ってきても名前を連呼するだけなので、本人の政策などはわからない。
一般的に国会議員選挙に比べると、地方議会選挙は関心が薄い。特に都市近郊では、住んでるところと働いてるところが別というケースが多く、居住地ではメシ食って寝てゴミ出すだけというライフスタイルの人も少なくない。地元にどんな問題があるのかも把握していない勤め人も、少なくないはずだ。
かく言う自分も、昔勤め人だった時代はそうであった。今住んでいるところは仮住まいにしか過ぎないという意識もあっただろう。なんか地元の人たちで上手いことやってくださいよ的な無関心さがあった。
地方の政治システムは、国のそれとは大きく異なる。国政は国会がドライブするので、国会議員や政党の政策に関心が集まるのは当然だ。一方で地方議会では、地方の行政をドライブするのは知事や市長であり、議会はそのチェック機構といった意味合いになる。ほとんどの条例は首長が立案し、議会承認という流れで、議員立案の条例などはほとんどない。おそらく全国の自治体でも、まだ一度も議員立案の条例を持ったことがないところはまだあるはずだ。
こういう構造だから、地方議員一人一人の理念や思想や方策などは、あまり力を持ち得ない。これは政党にしても、人数が多ければ第一党とは言うが、与党というわけではない。国会の与党に相当するのが首長であり、議会の政党はみんな野党である。
この構造の限界を思い知ったのは、2010年に突然わき起こった、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(青少年育成条例)の改正案、いわゆる非実在青少年問題の時であった。すでにお忘れの方もあるかもしれないので簡単に説明しておくと、当時東京都知事だった石原慎太郎氏が、青少年育成条例の改正案として、アニメや漫画の登場人物に対しても児童ポルノ法の対象として規制するという方針を打ち出したものだ。東京は出版や映像制作といった日本のメディアの中心地であるため、東京都の条例は日本のみならず世界中に影響を与えることになる。
多くの有識者や団体がこの条例改正案に反対するよう、都議会議員や政党の元へ押しかけ、都庁が陳情の人たちでごった返すという前代未聞も事態になったが、党としての意見もなかなか一本化できず、議員らの反応は芳しくなかった。実際に改正案の一部は丸められたものの、それは超党派の議員らが団結した結果、かろうじて押し返したに過ぎなかった。
中身のない選挙演説のわけ
今回の市議会選挙では、比較的丁寧に数名の候補の選挙演説を聞きに行った。うちの選挙区が特殊なのかわからないが、政党を前面にプッシュしている議員はほとんどなかったのが特徴的だった。
大体地方議員候補の演説は、まず候補を押す地元有力者数名の挨拶に続き、候補者の演説が5分、人が多く集まっていれば10分ぐらいといったところである。その内容は、これまで自分がどのように地域に貢献してきたかという、過去の成果やステータスを示すトークが大半で、地域固有の問題を具体的に取り上げ、どれをどういう方針で解決するのかといった、未来のビジョンについて語ったケースはなかった。これは国会議員選挙と大きく異なる点である。
なんでこんなことになるのかなと、帰り道腕を組ながら考えたところ、少しわかった気がする。地方選挙は、利害関係がダイレクト過ぎるのだ。問題解決の方法を巡って対立があった場合、どちらかに肩入れすることになれば、逆の立場の人々の票を失いかねない。さらに政党もそんな地方の細かい話にいちいち方針など出さないので、「政党の方向性」として語るべき案件もないのだ。
一方でもう決着が着いた話なら、自分の成果としてアピールできる。この背景には、「議論して決まったのなら正しい方針」という免罪符が機能している。
本来ならば、選挙演説の場で未来の政策について持論を披露するのは、政治家としては当たり前だ。逆にその時期以外に、議員の考えを知る機会がない。生活圏の身近な問題を吸い上げるために地方議会が存在するというのであれば、選挙の時だけでなく常時議員にアクセスできるパスが必要だが、ネットからアクセスできない議員のほうが多い。後援事務所に足を運んでアポイントを取り、日時を設定して先生お忙しいところ云々と頭を下げ下げ陳情に行くという、昔ながらのスタイルでしか問題提起ができないのであれば、土日祝日しか昼間地元にいない勤め人は、いつ地元の政策議論に参加できるのか。
今回の市議会選挙で、さいたま市の投票率は40%しかない。区によっては36%という数値である。さらに1区は無投票当選だ。こんな状況で、この選挙は民意を反映した結果と言えるのだろうか。
投票しないと変わらない、だけど投票しても何も変わらない。大都市に依存して暮らす衛星都市の地方選では、こうしたジレンマが未だに続いている。
小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」
2015年4月17日 Vol.031 <春本番号>目次
01 論壇(西田)
スマートウォッチの本質は「チラ見」の向こうにある!
02 余談(小寺)
都市部の統一地方選が「ドッチラケ」な理由
03 対談(西田)
鷹野凌氏に聞く「日本独立作家同盟が生まれた理由」(4)
04 過去記事アーカイブズ(西田)
戦いは数だよ、兄貴
05 ニュースクリップ(小寺・西田)
06 今週のおたより(小寺・西田)
コラムニスト小寺信良と、ジャーナリスト西田宗千佳がお送りする、業界俯瞰型メールマガジン。 家電、ガジェット、通信、放送、映像、オーディオ、IT教育など、2人が興味関心のおもむくまま縦横無尽に駆け巡り、「普通そんなこと知らないよね」という情報をお届けします。毎週金曜日12時丁度にお届け。1週ごとにメインパーソナリティを交代。
ご購読・詳細はこちらから!
その他の記事
心身や人生の不調対策は自分を知ることから(高城剛) | |
「脳ログ」で見えてきたフィットネスとメディカルの交差点(高城剛) | |
国家に頼らない「あたらしい自由」を目指すアメリカ(高城剛) | |
在宅中なのに不在票? 今、宅配業者が抱える問題(小寺信良) | |
僕たちは「問題」によって生かされる<前編>(小山龍介) | |
αショック:オートフォーカスカメラの登場(高城剛) | |
世界百周しても人生観はなにも変わりませんが、知見は広がります(高城剛) | |
『スターウォーズ』は映画として不完全だからこそ成功した(岩崎夏海) | |
Googleの退職エントリーラッシュに見る、多国籍企業のフリーライド感(やまもといちろう) | |
人生の分水嶺は「瞬間」に宿る(名越康文) | |
日大広報部が選んだ危機管理の方向性。“謝らない”という選択肢(本田雅一) | |
片思いの恋愛感情、相手に伝えるべき?(家入一真) | |
“スクランブル化”だけで本当の意味で「NHKから国民を守る」ことはできるのか?(本田雅一) | |
インドのバンガロール成長の秘密は「地の利」にあり(高城剛) | |
海外旅行をしなくてもかかる厄介な「社会的時差ぼけ」の話(高城剛) |