重要なのは「ルールを捨てる」こと
——いまのお話を聞いただけでも、「武術」という言葉でイメージされるものとは随分印象が違うことがわかります。
北川 カナダのトロントにあるシステマ本部のウェブサイトに、次のようなキャッチコピーがあります。
NO BELTS OR UNIFORMS
NO KATAS OR STANCES
NO FORMALITIES OR RITUALS
REAL, PRACTICAL, AND EXCITING Training!(訳)
ベルトやユニフォームはありません。
型や構えもありません。
格式張った作法や慣習もありません。
リアルで実践的で、
とても楽しいトレーニングができます。
(システマ・トロントのウェブサイトより)
このキャッチコピーにあるように、システマには決まった型やカリキュラムがありません。同じインストラクターでも、毎日トレーニングメニューは変わります。
なぜなら、システマのトレーニングは常に、参加者が持っている思い込みや固定観念から自由になることを目指しているからです。もし、ビジネスパーソンがシステマを学ぶ意味があるとすれば、それはこうしたシステマの自由なトレーニングに象徴される、「ルールを捨てる」思考法にあるのだと思います。
——ルールを捨てる?
北川 例えばボクシングなら「1ラウンド3分」「グローブをつける」「一対一で戦う」など、さまざまルールがありますよね。さらには「ジャブからストレート」「足はステップを踏む」といった「暗黙の了解となっているセオリー」もあります。こうしたセオリーも、参加者が決められたルールに最適化しようとするなかで生まれてきます。
同じように、私たちの生きる社会にも、たくさんのルールがあり、私たちはほとんど無意識のうちに、それらのルールに最適化することで、日々を過ごしています。条文化された憲法や法律だけではなく、資本主義や貨幣制度といったシステムもルールです。それらに最適化しているうちに、例えば「人が多いところでは騒がない」「他人の悪口を言わない」といった暗黙のセオリーも生まれてくる。
ここで重要なことは、一歩引いたところから客観的に、自分たちを縛っているルールやセオリーを認識しておくことです。ルールに適応することは大切ですが、あまりにも適応しすぎると、ルールが変わったり、ルールのない状況に置かれたりすると、途端にフリーズしてしまうことになります。
システマのトレーニングが決まったカリキュラムを持たず、毎日のようにメニューを変えるのは、私たちの無意識の中にある「ルール」から手を離し、客観視しておくためです。どんな状況でも通用する普遍的なルールなど、この世には存在しません。例えば、私たち日本人にとっては「人を殺してはいけない」というのはかなり普遍性の高いルールですが、戦場ではそれが賞賛されることもあるわけです。
自分がどのようなルールに縛られているかを知ることは、そこから自由になる第一歩です。ビジネスでも、多くの人々が当たり前だと思い込んでいるルールやセオリーを疑い、そこから自由になることは成功者の条件と言っていいでしょう。
そうした自由な発想は、一般にはその人の才能や経験によるものと考えられがちですが、システマではトレーニングによって高めていくことのできる「スキル」と位置付けています。身体を使ったトレーニングを通して、こびりついた固定観念を外していくことを目指すのです。

その他の記事
|
「犯罪者を許さない社会」っておかしいんじゃないの?(家入一真) |
|
減る少年事件、減る凶悪事件が導く監視社会ってどうなんですかね(やまもといちろう) |
|
「見て見て!」ではいずれ通用しなくなる–クリエイターの理想としての「高倉健」(紀里谷和明) |
|
今の京都のリアルから近い将来起きるであろう観光パニックについて考える(高城剛) |
|
「見たことのないもの」をいかに描くか–『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(切通理作) |
|
日本の未来の鍵は「日韓トンネル」と「日露トンネル」(高城剛) |
|
百田尚樹騒動に見る「言論の自由」が迎えた本当の危機(岩崎夏海) |
|
Adobe Max Japan 2018で「新アプリ」について聞いてみた(西田宗千佳) |
|
「スターウォーズ」最新作は台北のIMAXシアターで観るべし(高城剛) |
|
誰がiPodを殺したのか(西田宗千佳) |
|
“今、見えているもの”が信じられなくなる話(本田雅一) |
|
社員を切ってください、雑巾は絞ってください(やまもといちろう) |
|
「平気で悪いことをやる人」がえらくなったあとで喰らうしっぺ返し(やまもといちろう) |
|
バルセロナという街の魅力(高城剛) |
|
DLNAは「なくなるがなくならない」(西田宗千佳) |










